橋の重圧

  先日、仕事の関係で盛岡に行った。土曜日にあらかたの用事を終えて、日曜日には新幹線の時刻まで盛岡駅のあたりをぶらぶらと散策していた。あいにくの雨で、また前夜に盛岡に住む知人と美味しいお酒を、楽しんで疲れていたので近場でだらだらと時間を潰していた。

  駅前のロータリーを抜けたところに開運橋という大きな橋がある。そろそろ駅に戻ろうと歩いていたときに、橋のたもとに開運橋の歴史が書かれてある看板を見つけた。なんでも、北上川にかかるこの橋は、1890年に当時の県知事の私費を使って作られたという。そして、現在、かかっている橋は当然のことながら何代目かの橋であるとか。

  また、これは後になって知ったことだが、開運橋というめでたい名前にもかかわらず、二度泣き橋という通称もあるらしい。盛岡に転勤してきた人が、こんな遠いところまで来てしまったと一度泣き、再び転勤になってやっと戻れるともう一度泣くのだという。

  開運橋は昔、ランプで照らされていたようで、岩手生まれの宮沢賢治も、その様子を歌に読んでいる。その名残なのか、今も年に何度かライトアップがされるようだ。

  橋の真ん中で辺りから、下を覗くと北上川が穏やかに流れている。それが普段の水量なのかはわからないが、何度か橋が壊されるくらいだから、きっと増水すると想像もつかないくらい激しく流れるのだろう。水の力は恐ろしいなと思う。

  この橋がなかったとき、人々はどうしていたのだろう。舟や離れたところの橋を使っていたのか。それとも、盛岡駅と反対側にはあまり人がいなかったのか。北上川を挟んで住む人はどのように交流していたのか。当時のことが少し気になった。

  気のせいかもしれないが、大きな橋を挟んで両側で雰囲気が違うように感じることがある。浅草近辺を歩き、吾妻橋を渡って墨田区に入ると空気感が違う。この場合、そもそも区が違うので当然と言えば当然だが。川が両側の空気感が混じり合うことを止めている。そう考えると、橋ができることで人や物が行き来するだけではなく、雰囲気というか空気感も繋がるのではないか。

  こちらと向こうの空気が、橋の上で混ざり合う。隔てていたものが混ざり合うのだから、橋にかかる重圧もそれは相当なものだろう。しかも、下では川というひとつの大きな流れ(水流という意味ではなく、上から下への流れ、空気感や雰囲気の運搬としての流れ)があり、それに負けないように立っていなくてはならない。

  橋は大変だ。それは、何度も建て替えになるはずだと妙に納得してしまった。なにかの架け橋になるという言葉をたまに聞くが、人と人や、組織と組織、または国と国の間の架け橋になるということは本当にたくさんの重圧がかかることだと思った。

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