家族のあれこれ

  振り返ってみれば、あのときのあれにはこういう意味があったとか、あのときにはこうとしか思えなかったけど、別の意味もあったとかということに気づくことがある。そして、案外そういった出来事がターニングポイントとなって人生が変化していたりする。

  それだけ人が、主観的な世界の中で生きていて、物語が常に語られ続けている存在なのだなと思う。客観的な世界ではなく、主観の中で生きている。

  私は、昔、自分の家族が脆い線で繋がっているようにしか思えなかった。そんな線でしか繋がっていないのに、一緒にいることを求めてくる両親が鬱陶しかった。両親の関係とか、それが子どもに気取られているところとか嫌だった。それなりに、家族の中で傷ついたこともあり、思春期の葛藤も経験した。

  少しだけ大人になったあるとき、父が大きな手術をして入院をした。命に別状はないが、後遺症がしばらく残り、私たちは変わり果てた父親の言動に大きな衝撃を受けたものだった。

  自分がこうだと思っていた人が、変わってしまうととても悲しい。見た目は一緒だけど、中身は全く違うような、これまでの全てが失われてしまったようなそんな気がした。

  遠方に住んでいた私は、一度しか見舞いに行かなかったが、毎日付き添っていた母の心労は相当だったと思う。

  その一度だけ父を見舞ったとき、手術の後遺症でせん妄状態にある姿を見て唖然とした。呂律が回らず、他の誰にも見えていない何かが見えたと大声で言う父。見ていられず、適当な理由をつけて帰ろうとも思った。

  小一時間ほど病室にいると、リハビリの時間になった(と言っても病室があるフロアをぐるりと一周するだけだが)。手が空いているのが、私だけだったので父に付き添い、リハビリに出かけた。

  二人っきりになると、父はふと母のことについて話し始めた。ここのところ毎日来ているが体は大丈夫かとか、自宅の仕事はちゃんとできているだろうかとか、そんな話だった。これまで、母に対してこんなにストレートな心配を話しているのを聞いたことがなかったので、私は大いに驚いた。

  なんだ、意外とちゃんと繋がっていたんだ。私がそれに気づいていなかっただけだったんだ。

  今でも相変わらず、家族のゴタゴタはある。そんなことがあっても、私も大人になったので、まあ、そういうこともあるよねといい距離感を持つことができるようになった。それに、せん妄状態の父がもらした言葉、本人は覚えていないようだが、その言葉を信じるなら私に見えている家族だけではない、違う部分の家族もあるようだ。

  父の手術は、私たち家族にとってかなり大変な出来事だった。今では父も元気になり、せん妄も全く残っていない。あのときの話は家族の中で、笑い話にもなっている。その後も、そして今だったなんだかんだ、家族の面倒ごとはあるし本当に嫌になることもあるけれど、あのときの父のもらした母への思いやりは、少なくとも私の中の家族のストーリーを書きかえる出来事だった。


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