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来年があるかどうかわからない

介護士さんの研修会で、おじいちゃんが介護事例と紹介されることになり、
介護士さんから、コロナ中彼がホームに入っている間気になっていたことはなにかという質問が来た。

どうでしたか、とキョーコさんに水を向けると、
「本当に感謝しかないよね、足向けて寝られない」
という答えが返ってきた。その通り。彼の安全を確保し、毎月写真入りの
報告を送ってくださっているホームには、本当に感謝しかない。
けれど。
それは恐らく、期待されている答えとは違うのかなと、考え直して
こんな答えを書いて出した。

日記を引っ繰り返してみたら、2020/3/30に、ホームから連絡あり、
4/1に予定されていた外出が再度見合わせになった。
桜もなくなったかーと思うとがっかり。
と記してありました。その後に、
「来年もありますから!」と小池知事。
でも、来年があるかどうかわからない人達もいるのだ。
と書いてあり、やはり、一番気になっていたのは、この季節、このお祝い、この瞬間を一緒に楽しめないと、来年がないかもしれない……という思いだったようには思います。
お誕生日、クリスマス、イースター、桜……。

実は、桜が満開だった日曜日(8日)に、
私は、おじいちゃん1とおじいちゃん2をお花見に連れ出そうか
と迷っていた。
ただ、その前の週におじいちゃん2を表参道で友人達に会わせるという
ミッションをおえたばっかりだったので、最終的には
まぁ、いいかと、自分一人で近所でお花見して、一日が終わってしまった。
んだけど……夜、後悔したのだ。
やっぱりちょっと時間がタイトでも、おじいちゃんたちのところに行って、桜を見せればよかった。
だから、おじいちゃん1のホームから、「お花見に行きました」という
写真が送られてきたとき、なんというかすごくホッともしたし、
ありがたいと思った。
おじいちゃん2は、知り合いに、もしできたら、お花見に連れて行ってほしいと頼んであったので、連れて行ってくれたと思うことにした。

おじいちゃん1に関していえば、最初に倒れて入院、その後、
リハビリ病院に移ったのが桜の時期だった。
車椅子でタクシーに乗るほんの一瞬だったけれど、
病院に植えられた満開の桜が目に入った。
「桜!」私が指さすと、彼が大きな声で、日本語で言ったのだ。
「今年も桜が観られました!」
誰にともない宣言だった。そこに、いろいろあったけれど
それを乗り越えて桜を観るまで生きていたことへの
安堵みたいなものを感じた。

そんなに楽しみにしているなら……。それからはお花見が私の中で
小さなミッションになった。
どんより曇り空の日しか時間がとれなくて強行したら
「のりこ、桜は青空の下で観たい」と言われてしまい、
翌週に彼の教え子さん達に再度お花見に連れ出していただく
なんていうこともあった。

去年はおじいちゃん2が桜が観たいというので、
近所に連れ出したけれど、ソメイヨシノはすでに散っていて
八重ばかりだった。おじいちゃんは、納得しない。
近所に公園があるからそこに行こう、という。
つれてはいったものの、そっちもすでに葉桜。すると、
来年来よう!
おじいちゃん2がそういった。
そうだね。来年ね。そういいながら、私の方が泣きそうだった。
生きててね、来年まで。
おじいちゃん2は体力は少しずつ落ちてはいるものの、
幸い、桜の季節を迎えられた。

ふたりのおじいちゃんに来年の桜があるかどうか。
それこそ神のみぞ知る。
もし、あったら、来年はちゃんと連れて行こう。
見せようと思えば見せられたのに……という後悔はしないように。

もっとやってあげられたはずだ
親や周囲の人が亡くなると、そう言って後悔する人は多い。
私にあんまりそういう後悔がないのは、私が冷たい性格だということも
あるのけれど、それ以上に、無理はできない無理はしない性格によるところ
が大きいような気がする。

でも、やれるとわかっていたのにやらなかったことへの後悔は
いつまでも、ズンと胃に残る。
だから、今回は、おじいちゃんの桜の下の写真に本当に救われた。
私が連れだしたわけではないけれど、施設の方々のご配慮に救われた。

残り少ない日々。
できることを粛々と。
来年の桜があると祈りつつ。

得意技は家事の手抜きと手抜きのためのへりくつ。重曹や酢を使った掃除やエコな生活術のブログやコラムを書いたり、翻訳をしたりの日々です。近刊は長年愛用している椿油の本「椿油のすごい力」(PHP)、「家事のしすぎが日本を滅ぼす」(光文社新書)