「近畿地方のある場所について」が怖すぎる

映画と同じくらいの数、小説を読むので、よく知人から推薦してもらう。

この1ヶ月、2人からこの本が怖いと薦めてもらったのが、『近畿地方のある場所について』。


小説投稿サイトのカクヨムで人気に火がつき、単行本になったのだという。

SNSで存在を知って気にもなっていたし、本屋で購入した(隣に置かれていた『変な家』と『変な絵』もその時ゲットして読んだ。僕は『変な絵』派だった。うどん派か蕎麦派かのノリで誰かと語り合いたい。あなたはどちら派?)


子どもの頃、怖いものがとにかく苦手だった。
10歳年の離れた兄はホラーが大好きで、よく見ていたし、部屋にその類の本が数冊置いてあった。

ある夜、居間でテレビにかじりつく兄の隣に座ったら、それは『リング』で、なんとちょうど貞子が井戸から出てくるタイミングだった。

兄は「あーあ。お前、一週間後に死ぬわ」と、8歳の僕にいとも簡単に呪いをかけた。それから一週間、僕は指折り数えて毎日を過ごした。日曜日に呪いのビデオを見た一週間後と言うのは果たして、何曜日までをさすのか。ビデオを見たその時間のことか、それとも日付が変わるまでか。あるいは植木算的なサムシングで月曜日もカウントに入るのか。油断ならないと、月曜日も生きた心地がしなかった。
火曜日になっても、安心できなかった。

その頃たしか、国語の授業で、ゾウの時間ネズミの時間という、動物の個体差によって時間は違う、みたいな話を読んだばかりだったこともあって、僕と兄における一週間は、生物学的に普通の人とずれている可能性があるのではないかとまで考えた。

とりあえずもう一週間、はらはらしながら生きて、まあ生き延びた。


映像を制作するようになり、24~26歳の頃にホラー映画をえいやっとたくさん見た。

もちろん怖いホラー映画もあるが、怖さにもパターンと言うものがあり、カット割の妙が大事なのだなとわかった。
あれほど怖かった貞子には、恐怖心を失った。
怖いというよりも、たとえば白石晃司監督の作品には面白い、黒沢清監督の作品には凄い、という感情を持つようになった。
今の僕は夜中にトイレにも行けるし、地方のうら寂しいビジネスホテルに泊まっても、最初こそギョッとするが、缶ビール一本飲めばコロッと寝れる。
ホラーに抱く恐怖心なんて、遠い過去の感情。そう思っていた。


……そんなことなかった。

『近畿地方のある場所について』
まあ怖かった。最後に袋とじの資料がついているので、なるべく紙の本で読んでいただきたい(怖いのが苦手な方には本当にお勧めしない)。

ネタばれは控えつつ、とにかくよく出来ていたと思う。
構成も良いし、ホラーネタの波状攻撃を食らうから、段々感覚が麻痺してくるというか。些細なことも怖く感じるような仕掛けになってる。

終盤、霊現象の元となる事件を突き止めていく終盤になるのだけど、結果意味のわかるような、でもわからんような気持ち悪いままの感じが絶妙で。
幽霊が手を上げたままジャンプするってのも、動きがあるから映像的だし、モキュメンタリーの面白さを活字で味わった感覚がした。

読み終えたのが、深夜3時半。僕は一人だった。
参った。鳥肌が立つほど怖い。部屋の隅っこが怖い。流し台の鏡が怖い。

ならば先述のように、缶ビールをクイッと煽って寝ようと思っても、この日に限ってはダメだった。昼に、インフルエンザの予防接種を打っていた。
医者からは、激しい運動と入浴と酒を控えろと言われたいたのだ。頼むから、『近畿地方のある場所について』も控えろと言って欲しかった。


困った僕は、この時間に起きていそうな、Y.H.さんにLINEをした。
はたして彼は奇跡的に起きていらっしゃって、ダッシュでトイレと歯磨きを済ませてベッドに潜り込み、電話をかけた。

Y.H.さんには申し訳ないことをした。90分たっぷり、付き合っていただいた。最後はビートルズの話になり、「Here comes the sun」を流しながら電話を切った。電話を切った後も、僕はそれを爆音で聴いた。
そのうち、窓の外が白み始めた。Here comes the sunである。
ありがとう、ビートルズ。ありがとう、太陽。


恐怖心を克服したと思っていたのは大きな間違いであり、ただ普段、必要以上に怖いことを考えないよう生きるのが上手になっていただけである、とを僕は悟った。

恐怖とは、見えないだけで、常に隣にある。

『近畿地方のある場所について』、お薦めです。
怖くなったら、ビートルズもね。




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