「死仮面」という作品が出来ました

2022年4月初旬。
俳優の中村優一氏と、僕は監督・脚本作の舞台挨拶巡りをしていた。

もとはケーブルテレビの連続ドラマとして、いわば地域密着の形で制作された「1979 はじまりの物語」が、再編集と追加撮影を行い、映画化されることになったのだ。


舞台挨拶は、二日間に渡った。
初日は大分県別府の別府ブルーバードにて。その夜は別府に宿泊。二日目の朝、別府を出発して昼に大阪の十三シアターセブンへ。さらに東京へ移動して、夕方過ぎから池袋シネマロサ。

乗り間違いを許されない、緊張かつ弾丸の旅路だった。

二日目の朝、別府のホテルで豪勢なモーニングを食べた。中村優一氏も一緒だった。
ホテルのアルバイトの方が、どうやら仮面ライダー電王の大ファンだったようで、優一氏のことに気がつき、チェックアウトの際におずおずと話しかけていた。

彼はまさに、その場で神対応を見せていた。

僕としては、朝の電車に間に合うか、それだけが気がかりだったが、若干の余裕は見ていたし、ホテルの方が喜んでくださるのを見るのは気持ちが良かった。

小走り気味に、僕らは別府駅まで歩いた。
切符を買おうとすると、優一氏が、僕と横並びの席を希望してきた。普通、こういう場合は離れた席で移動するものだ。違和感を覚えつつも、無事予定の列車に乗った。

大阪の十三までは、乗り換えを四回ほど行わないといけないため、眠るわけにいかなかった。僕は少しそのことに緊張していたのだけど、乗ってすぐに、心配無用だったことがわかった。

「僕、映画を撮りたいんです。撮れるチャンスが巡ってきそうなんです」

大阪に向かうまでの間、優一氏は映画を撮ることへの憧れや勝算、撮りたい映画のジャンルを熱く語ってくれたのだ。

この時すでに、完成作品に登場する、ピエロをやりたいというのが彼の口から語られていた。

完全に彼にロックオンされ、僕は移動の最中、延々ピエロについて考えることになった。

新たな心配が、よぎった。
ピエロのせいで脚本を考え込んでしまい、乗り過ごしてしまったらどうしよう、ということだ。

乗ってるのは特急や新幹線だから、一駅乗り過ごすだけで、県単位で別のところに行ってしまう。舞台挨拶を間に合わない言い訳に、「ピエロのことを考えておりました」は通用しないだろう。

されどピエロは笑う。
こちらを見て、ニカっと笑う。
思考から追いやろうと、脳をシャットアウトしてみても、暗闇で目を光らせてくる。一度脳に棲みついたピエロは、簡単なことでは駆除できなかった。

小倉駅が近づくときも、新大阪駅が近づくときも、僕は緊張を緩めなかった。
懸命に、ピエロと戦った。

広い車両、ほかに乗客もほとんどいないのに相席している優一氏は、映画熱を僕に伝えてくるのに余念がなかった。

「優一さん、もうすぐ降りますよ」と、降車を伝えるのは毎度僕だった。
乗り換えを待つ、駅のホームでも、「どうか脚本を!」と、熱かった。
だんだん、俺の隣にいるのが実はピエロじゃねえのか、という気がしていた。


その頃の僕は、創作すること、特に脚本業のみをやることに対して、すさんだ気持ちになっているところがあった。
ちょうど、映画「君の忘れ方」の話も始動していたし、今後は監督業に軸足を置けたら幸せだ、と考えていたところだった。

しかし、中村優一氏のプランを聞いているうちに、書きたい気持ちが、むくむくと膨らんだ。
そもそもミステリーを書いてみたいという欲求がずっとあったし、やってみる絶好の機会にも思えた。

ピエロのことを、もうすっかり、愛し始めていた。
ピエロと中村優一氏を、信じたくなっていた。

かくして僕はその日、池袋に着く頃にはもう、書くしかない!という気分になっていたのだった。


5月と6月を、脚本作業にあてた。
実際に書いてみると、いろいろと大変で、何度も話の骨子を思いついては、あーでもないこーでもないと直した。

最初に思いついたのは、一緒に住んでいる弟が、ある日帰ってきたらピエロの格好をしていた、というところから始まるというもの。なんでそんな恰好をしているのかてんで思いつかず、やめた。

ピエロの門をくぐってみると、待ち構えているのは当たり前のようにピエロで、色んなサイズの、顔をしたピエロ達がこちらを向いて、ゾンビの如く近づいてきた。
まさに、ピエロ迷宮。終わりがないようにも、思えた。

対抗策として、ミステリー小説を読み漁ったり、その頃ちょうどオンエアされていた「金田一少年の事件簿」のテレビドラマを毎週視聴したりした。
そうなんだよなあ、真実はひとつなんだよなあ、と、なにわ男子の曲を聴きながら脚本を考えた。なにわ男子の爽やかさで、ピエロを撃退しようと試みた。

すると不思議なことに、別件でミステリーの企画がやってきた。ピエロが運んできてくれたとしか思えない、念願の仕事でもあった。
僕は2022年夏を、ミステリーに捧げることになった(その別件というのも、もうすぐで情報が出ます)。

二ヶ月の死闘を経て、無事に脚本を書き切ることができた。
撮影は同じ年の9月、横浜で行われ、僕も監督補として、がっつりと現場に参加した。
アトリエレオパード全面協力のもとロケ、そして特殊メイクも相当なクオリティのものになった。馮啓孝さんには感謝が尽きない。

主演の秋沢健太朗さんをはじめ、多くの方の力が結集される現場だった。秋沢さんの台本の読み込みと情熱には、大変な元気を貰った。渋江さんと西尾さんは、台本を書いていた時よりも遥かにイメージ以上の、繊細なお芝居だった。

そしてなによりも真摯に謙虚に熱く現場で振る舞う中村優一監督に、僕は大いに刺激を受けた。

編集は弊社で行い、今年の4月に、全国で公開されることが無事に決定した。
別の方が監督された、もう二篇の中編作品と合わせて、『YOKOHAMA』として上映。
東京ではヒューマントラストシネマ渋谷、池袋シネマ・ロサ、シネマート新宿、UPLINK吉祥寺ほか、4月19日から全国で公開されるのだそう。
ぜひ、たくさんの方にご覧いただけたら嬉しい次第。


完成した今、不思議な気持ちになるのは、予告編でも出てくる秋沢氏のピエロ。あいつこそ、まさに、別府から大阪へ移動するとき、僕の頭の中に浮かんでいたピエロそのものである気がしてならない、ということだ。

ピエロは、もしかすると時間を飛べるのかもわからない。あるいは僕の過去の脳を侵食して、自分にイメージを置き換えることが、出来てしまうのかもしれない。

そんな能力があるのならば、ピエロよ――
もう少し、脚本を書くのを、手伝ってくれてもいいじゃないか。


されどピエロは笑う。こちらを見て、ニカっと笑う。
「それはお前が頑張れ」

そうでした、ピエロさん。

僕は今回、この脚本が書けて、本当に良かったと思っているのでした。

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