やっぱ自分の体を好きになりたいよね
Sakuです。
今日は、パジャマを買いました。
半袖にショートパンツ、紺地に赤いいちご模様。
パジャマは念願でした。
着古したTシャツ、ステテコがあるからと、パジャマなんて贅沢品、もったいないと思う反面、
「パジャマを着て寝ること」への純粋なる憧れ、カワイイ感じがずっとありました。
ジョギングをしてきて、シャワーを浴びて、パジャマを着た私を彼に撮ってもらう。
すると、まるまるした太もも、お尻、短くて太い二の腕。
。。。悲しい。。。
痩せて見えるようなポーズをしたのに、彼の写真の腕が良くないから!私はパジャマで微笑むカワイイスキニーな女の子ではなく、プクプクした、豚っぽい、女。
私は、たしかに数分へこんだ。
なんでや、ちゃんとジョギングして、嫌というほど汗をかいてきたのに。
DNAを呪う。デブ家系の父方。痩せる遺伝子を残してくれなかった母方。
私は、腕が短く、下っ腹がでた、豚っぽい女。加えて剛毛!
と、思ったけど
そんなの、自分以外が自分を傷つけるのにも、無自覚なジャッジにも、そうとう辟易してきた。
いま、どんな体型になろうと、どんなふうに映ろうと、私が私自身をジャッジして一体どんな意味がある?
この体が、数週間後には変わることはあっても、少なくとも今このときは、この体に心が入ってる状態は絶対に変わらない。
なら、ネガティブに自分を責め、写真の下手なパートナーを責めてなんになる?
私は、たまにそうするように、「ボディポジティブ」とか、「自分の体を好きになる」とか検索した。
そして、いろんなサイズの下着や水着を着て笑う海外のモデルを見た。
そしてセレブの、自分の体を愛することの重要性についての日本語訳を読んだ。
いろとりどりの皮膚、5段になったお腹の肉、妊娠のあとのマーク、太ももの裏のセルライト、やけどのあと。
それが全部キレイだと思った。
なんだか、ビクトリアズ・シークレットのモデルをキレイだと思うのと、同じふうにか違うふうにかよく分からないけど、
プクプクした体、たるんだ皮膚、ぜんぜん、いいなと思った。
そう思おうとしている自分もたしかにいる。
そう思わないと自分を受け入れられないから?
でも、事実として被写体になったいろんな体の女の人たちは、それぞれ違っていて、それぞれキレイ。
そして、この人たちが、それぞれに自分の体を嫌ったり、好いたりしていること、そのこと自体がカワイく思えてきた。
私はブリジット・ジョーンズが大好き。
レネー・ゼルウィガーも好きだけど、たくさん運動して痩せて筋肉質な体より、ぽちゃぽちゃしているブリジットのほうが好き。
彼女が、自分の体にため息ついたりしている姿が、かわいらしい。
私のDNAはふくよかな体型と、メランコリックな内面を、後世に残そうと必死だ。
どんなに抗っても、ネガティブになっても、それは簡単には消えない。私自身に染みついて、私自身を乗っ取ろうとさえしている。
生物のあまりにも力強いアピールーふくよかでメランコリックなDNAを残して、人間全体の淘汰を避けるメカニズムーに、私個人が太刀打ちできるものではない。
ならば、この私は、体がプクプクしているとかなんとかいってため息つくのではなくて、そっか、そういうものか、ならばどうやって好きになろう?と模索するほうが良い。
それから、周りの人に対してもジャッジをやめる。絶対に。
私がいつも親戚に会うと、痩せたの太っただの、お母さんに似てるだの似てないだの、うるさいよ。本当に無自覚だけど、それだけにタチが悪い。
そんなことで、この体、入れものにどうのこうのケチつけるようなことじゃなくて、あなたってこういう良いところがあるかもね、と、そっと気付いてそれをいい感じで言えるような(あるいは言わずにおくような)おばさんになりたい。
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