佐久考古学会

長野県佐久地域で1970年設立以来、50年にわたり活動している考古学会です。佐久の考古…

佐久考古学会

長野県佐久地域で1970年設立以来、50年にわたり活動している考古学会です。佐久の考古学情報をお伝えします。

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  • 佐久の考古遺産

    佐久考古学会が2021年に刊行した『佐久の考古遺産』から部分引用した遺跡紹介です。

最近の記事

大豆田遺跡(弥生時代)

1 場所  佐久市長土呂に所在する。周防畑遺跡群のひとつを構成する遺跡である。標高は約700mである。佐久平北部に特徴的な田切地形から沖積地へと変化するその境部分にある。 2 特徴  平成27年4月に開校した佐久平浅間小学校建設に伴い、平成24年に佐久市教育委員会が発掘調査を実施した弥生時代後期の集落遺跡である。 注目されるのは、28点もの土器からイネ・アワ・キビなどの穀物圧痕が確認されたことである。他にも北関東系の甕が多数確認され、赤彩の人形土器もみつかるなど、当時の意外

    • 岩下遺跡(縄文時代)

      1 場所  小諸市八満に所在する。標高774~800m程の浅間山麓の南向きの緩やかな傾斜面に立地する。 2 特徴 平成4・5年に上信越自動車道建設に先立って県埋蔵文化財センターが発掘調査を行った。 ここで注目されたのは、縄文後期前葉の集落である。南向き斜面を段切りして東西約25mの平坦面を造成し、カット面に張出部を設けた敷石住居跡3軒が並び、その前面には石棺墓や土坑墓群がみられた。大土木工事で造られた祭りの広場と考えられる。集落の要の位置に中核的な大型住居を構え、その前面に

      • 地家遺跡(中世)

        1 場所  佐久市大沢に所在する。八ヶ岳連峰北麓から北東に延びる給料先端部の標高680~740m程の地点に立地する。 2 特徴  今はなき長命寺の比定地であり、板碑が多数出土していた。平成21~26年にかけて中部横断自動車道建設に先立って県埋蔵文化財センターが約1万7千㎡を発掘調査した。縄文時代から中世にわたる多数の遺構・遺物が出土したが、仏堂を含む中世建物跡や周囲に広がる墓域と石造物、蔵骨器の美濃須衛産の四耳壺、自然流路跡から出土した木製品は、中世寺院周辺の多様な活動を物

        • 砂原遺跡(古代)

          1 場所  佐久市塩名田に所在する。千曲川と濁川に囲まれた微高地部分に立地する。この段丘上には中山道が通過し、北方1.5㎞ほどには古東山道が渡河した地点がある。 2 特徴 平成4年には旧浅科村教育委員会が発掘調査を行っており、平成6年には北陸新幹線建設に伴い県埋蔵文化財センターが発掘調査を実施した。「砂原」というその名のとおり、2mもの厚さで千曲川の洪水砂が堆積している。洪水砂の下からは9世紀後半以前の竪穴住居跡や畠跡・水田跡が発見された。     平安時代の仁和4年(8

        大豆田遺跡(弥生時代)

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          32本

        記事

          西近津遺跡群(弥生時代)

          1 場所  佐久市長土呂に所在する。小諸方面から進んでくると左手に近津神社が見えてくるが、この右手側に遺跡は広がっている。 2 特徴  周辺は住宅や店舗などの開発が多く、これまでに幾次にもわたる発掘調査が佐久市教育委員会により行われてきており、弥生時代から中世・鎌倉時代にいたる大規模な遺跡であることが判明している。中部横断自動車道建設に伴う発掘調査は、約2万4千㎡を県埋蔵文化財センターが平成18年から20年にかけて実施した。弥生時代では方形や円形の周溝墓の他、竪穴住居跡11

          西近津遺跡群(弥生時代)

          小山寺窪遺跡(中世)

          1 場所   佐久穂町高野町上区に所在する。台地のやや窪地となる緩傾斜面に遺跡はある。 2 特徴  広域農道建設に伴い、平成14年に当時の佐久町教育委員会が発掘調査を実施し、平安時代の竪穴住居跡2軒の他、中世では竪穴建物跡、配石状の石組遺構に加え、多数の墓がみつかり、鎌倉時代後半期~江戸時代に至る100余基の五輪塔と宝篋印塔が出土した。墓には土坑墓や木棺の痕跡があるものなどがみられ、火葬骨も出土した。50体以上の埋葬がみられたという。  平成20~22年には中部横断自動車

          小山寺窪遺跡(中世)

          北裏遺跡群(弥生時代)

          1 場所  佐久市根岸に所在する。千曲川左岸の片貝川が形成した沖積低地と八ヶ岳から連なる丘陵縁辺の台地にまたがって遺跡は広がっている。 2 特徴  中部横断自動車道建設に伴い、本選部分は県埋蔵文化財センターが、インターチェンジから国道142号までの区間は佐久市教育委員会が発掘調査を行った。  台地上では弥生時代中期から古墳時代前期の大規模な集落域と墓域がみつかっており、本遺跡は千曲川左岸の弥生時代後期中葉の拠点集落と位置付けられる。  また、注目されるのは佐久市教育委員会

          北裏遺跡群(弥生時代)

          芝宮遺跡群(古代)

          1 場所  佐久市小田井地籍にあたる上信越自動車道佐久ICの北側に所在し、佐久平北部に特徴的な田切り地形の台地に立地する。聖原遺跡が田切りをはさんだ南に、小諸市中原遺跡が北にある。 2 特徴  佐久平北部の田切り台地には6世紀後半から9世紀前半にかけて大規模な集落遺跡が密集し、古代佐久の中心地帯であったことが明らかとなってきている。本遺跡群もそのひとつであり、上信越自動車道建設に伴う発掘調査は県埋蔵文化財センターが行い、隣接する市道ほか開発事業に伴っては佐久市教育委員会が本

          芝宮遺跡群(古代)

          封地遺跡の土偶(縄文時代)

           一般的に、長野県内では縄文晩期の遺跡は少ないが、佐久地域北部では、小諸市氷遺跡や七五三掛遺跡など、重要な遺跡が点在する。また同じく小諸市石神遺跡からは、遮光器土偶の頭部が見つかっており、東北地方との繋がりを感じさせる。  同じような理由で、佐久穂町封地遺跡の土偶にも注目したい。封地遺跡は、2003年に発掘調査されたが、左岸の千曲川低位段丘にあり、主に後期から晩期の遺物が出土している。特に晩期では、関東の安行系、東北の大洞系といった土器が見られ、各地との交流点としても注目され

          封地遺跡の土偶(縄文時代)

          大師遺跡(縄文時代)

          1 場所  大師遺跡は、千曲川支流の南相木川と小河川である茂沢川が形成した南向きの平坦な段丘上にあり、面積はおよそ19000m²。南相木村の村誌編纂事業の一環として、2009〜2010年にかけて発掘調査が行われた。  https://goo.gl/maps/ZfSQt8qh9NBYayCK9 2 特徴  発掘調査の面積はわずか500m²であったが、縄文時代では早期前葉から中期中葉の遺物が出土した。中でも多量なのが前期後葉諸磯式期のもので、住居址が8軒、土坑は35基に及び、あ

          大師遺跡(縄文時代)

          西一里塚遺跡群(弥生時代)

          1 場所  佐久平駅の南方、濁川右岸の佐久市平塚に所在する。中部横断道佐久中佐都ICのやや北側北側にある。その名前の由来は、遺跡付近には中山道が通っており、かつて一里塚があったことによる。中山道は岩村田宿からこの今はなき一里塚を経て塩名田宿へ向かっていた。 2 特徴  昭和初期から知られていた遺跡だが、昭和47・48年には圃場整備事業に先立ち、隣接する持田遺跡とともに発掘調査が行われた。佐久考古学会の会員も参加している。この調査では千曲川流域ではじめてとなる弥生時代の環濠が

          西一里塚遺跡群(弥生時代)

          宮ノ反A遺跡群【古代】

          1 場所  小諸市御影新田の東端にあり、佐久市西屋敷と御代田町小田井との3市町にまたがる鋳師屋遺跡群に近接する。本来は一体の遺跡群とみてよいだろう。調査地点は、現在は上信越自動車道となっている。 2 特徴  溝で方形に区画され、内部に数棟の掘立柱建物跡が置かれた7世紀末から8世紀前半の遺跡である。調査段階では、県内初の豪族居館跡ではないかと話題になったが、整理作業を進めていくなかで何らかの官衙(役所)跡であることが判明してきた。  郡衙の下の郷衙とも考えられてきたが、近年で

          宮ノ反A遺跡群【古代】

          推定清水駅跡

          1 場所  小諸市諸に所在する。上田方面から進むと国道18号「西原」信号交差点で、直進する国道18号と小諸駅へ向かう右手の路にわかれるが、国道18号のさらに北側には細い道があり、その道沿いに「東山道清水驛跡」と記された石碑がある。https://goo.gl/maps/WfA2kFs3e4XAUfu67 2 特徴  東山道は、律令国家が整備した官道のひとつで、佐久には清水と長倉の2つの駅が置かれた。この清水駅がここにあったと推定したのは、長野県内の古代史研究を牽引した一志茂

          推定清水駅跡

          茂沢南石堂遺跡【縄文時代】

          1 場所  軽井沢町茂沢地区にある。しなの鉄道信濃追分駅から南に県道をしばらく進むと、のどかな畑地が一面にひろがってくる。遺跡はこの茂沢地区の標高約900mの台地にある。 https://goo.gl/maps/GBqaaWJR1t8Z2WfD7 2 特徴  昭和33・34年の県道改修工事の際に多数の遺物が出土したことを受けて昭和36~55年まで計8次にわたる発掘調査が東京大学の三上次男教授、金沢大学の上野佳他教授(後に東大教授)によって実施されてきた。昭和55年の調査では

          茂沢南石堂遺跡【縄文時代】

          入山峠祭祀遺跡【古墳時代】

          1場所  国道18号碓氷バイパスを群馬方面へとのぼり、入山峠頂上手前のガードレール左手に遺跡の案内看板がみられる。 https://goo.gl/maps/HeXEwuoNmXvXceTJ6 2 特徴  阿智村の神坂峠、立科町の雨境峠とともに全国で3つしかない古墳時代の峠祭祀遺跡である。碓氷バイパス建設で中核部分が昭和44年に発掘調査された。調査では遺構はみつからなかったが、祭祀に用いられた管玉などの玉類や剣形品や臼玉等の石製模造品等が古墳時代の土師器とともに大量に出土した

          入山峠祭祀遺跡【古墳時代】

          県遺跡【古墳時代】

          1 場所  軽井沢町長倉の鳥井原に所在する。借宿で分岐する国道18号バイパス沿いにあり、標高は930mの高所にある。 2 特徴  昭和51年に国道18号バイパス建設に伴い第1次調査が行われ、平成5年には北陸新幹線建設に伴う第2次調査が行われた。2回の調査では、古墳時代前期の竪穴住居跡が計3軒みつかっている。弥生時代以前には集落がなかった地に突如出現した小規模な集落跡である。この竪穴住居跡の埋土にはレンズ状に堆積した軽石層が認められた。火山灰分析により、この軽石層は、浅間山の

          県遺跡【古墳時代】