ケアラー経験を美談にはしたくないけれど、私の大事なピース
皆様、ご無沙汰しております。
クリスマスも終わり、
2022年も、気づけば最終日。大晦日ですね。
皆様にとってこの1年はどんな1年でしたでしょうか?
私は、多くの方々に支えられ、時にはたくさん迷惑をかけてしまったり、それでも、支えてくださる方々のおかげで、2022年も生きることが出来ました。本当に感謝です。
さて、今回はちょっと渋めのサムネイルにしてみました。
それでは、本題へ、、、
2022年を漢字1文字で表すと
年末になるとよく上がるこのお題。
今回の本題に繋がる、2022年を漢字一文字で振り返ってみます。
私もやってみたくなったので(笑)
私は、この1年を漢字1文字で表すなら、
自分がこれまで経験した事を振り返って確認したり、自分が今興味があるもの、そして今後やっていきたい事を、自分で足を運んで、自分の目で見て、いろんな人に会って、確かめて、何度も確認して、
そんな作業の繰り返した結果、その全てが今後の自分の人生を歩む軸の「確信」に繋がったからです。
今日のタイトルは、つまりそういうことです。。。(笑)
...?って思った方、
分かりにくくてすみません。(笑)
もっと具体的に書いてみます。
美談にはしたくないけれど
正直、私は、若者ケアラーとして、父のケア、そして母の死があったから、「今の自分があり、将来の夢がある!」と、美談にしたくないという狭い心というか反発心みたいなものがあります。
でも、間違いなく父の経験や母の死は、私にとって今後の人生において、将来を歩む上での大事なピースになりました。
最近、いろいろな媒体で、ヤングケアラーや若者ケアラーの記事を見ます。
よく目にするのが、「苦難を乗り越えて今頑張っている」というキレイなまとめ方で締めくくられている記事。
でも、実際はその”今”に至るまでに、多くの葛藤や迷い、苦しみがあって、多くの選択と決断があって、その葛藤や迷いは現在進行中で本人の心の中には残っていること、それと付き合いながら生きていることを、自分も含め、また同世代の当事者の方とお会いする中で痛感しました。
だから、「美談にしてきれいさっぱり終わり!はい、次っ!」みたいには簡単にはいかないけれど、自分のこれまでのいろんな感情と付き合いながら、自分が掴んだ「確信」を大切にして、2023年はより大きな目標に向かって、前進していこうと思ったのです。
「ヤングケアラー」というトレンドワードが自分に与えた影響
最近、トレンドワードのように、記事やニュースでよく目にするようになった「ヤングケアラー」「若者ケアラー」というワード。
昔からこういう方々は、多くいらっしゃったと思うのですが。
このワードのおかげで、自分を客観的に社会的弱者として、認識しました。
反対に、自分は特別大変な子と認識し、自分を特別視しすぎた部分もありました。
若者ケアラーとしての自分が大きくなりすぎたし、ケアラーとして社会的弱者で、もっと助けてほしかった!こんなに苦労したんだ!と訴えてばかりの自分が居ました。
でも、やっと落ち着いて向き合えた時、
一人の人間として、人生の中の出来事の一つとしてみると、自分を嫌でも強くしてくれる、そして嫌でも自分の人生と真剣に向き合う大きなきっかけをくれたものでした。
スミマセン、今日の記事はキレイにまとめれません。
今日のお話は、私の心のまとまっていない感情をありのまま書いたので、分かりにくいかもしれません。
2022年、最終日思うことは、
人それぞれいろんな人生があるけれど、ケアラー経験は、特別感というよりも、私の人生を作り上げる大きなピースの一つで、ある意味、「生きるっておもしろいな」と思えた1年でもありました。
つまり、私の中でnoteを始めた当初の、目標みたいなものは、少しずつ、気がつけば達成に向かっていて、次の段階に行こうみたいな感覚なんです。
美談として、捉えてほしくなくて、グダグダ書いてしまいましたが、、(笑)
noteやSNSを読んでくださった方、直接会ってくださった方、今年はありがとうございました☺
2023年に向けて
noteやSNSを読んでくださった方、直接会ってくださった方、今年はありがとうございました☺
人生いろいろありますが、来年皆様にとって素敵な1年となりますように…。
2023年は、ケアラー以外の活動や趣味なども気ままに投稿できたらと思います。
来年もよろしくお願いいたします☆彡
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