🌸ヤングケアラーさくら

26歳、若者ケアラー。 素敵な代表と出会い、自分の辛かった体験を全て意味のあるものにし…

🌸ヤングケアラーさくら

26歳、若者ケアラー。 素敵な代表と出会い、自分の辛かった体験を全て意味のあるものにしようと日々奮闘中。 両親の病気や死に直面した経験を通して、感じた気持ちや辛さを吐き出します! 父は、脳出血で右半身麻痺、失語症、高次脳機能障害 母は、大腸癌の肝転移で、3年前の3月天国へ

マガジン

  • ヤングケアラー・若者ケアラーのお話

    若者ケアラーとしてのありのままの気持ち、現在の生活でのリアルな出来事、心境の変化を吐き出します。

  • 違う世界に浸ってみたシリーズ

    日常の悩みや現実から離れて、自分の好きな場所、コト、音楽に触れてみたただの私の日記です。

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ヤングケアラーさくらです

皆さま、はじめまして。 ヤングケアラーさくらです。 勘の良い方は、カードキャプターさくら?に寄せているのか?とお気づきかもしれません、、、 はい、その通りです。笑 名前の通り、ヤングケアラーです。 最近少しずつ注目されているこのワード。 国は18歳未満の子を指しているが、20代もヤングケアラーというワードを使わせていただきますという、私の独断で使用しますが、悪しからず。 私は、ヤングケアラーというこのワードの背後に、たくさんの問題や課題、当事者にしか分からない苦悩や葛

    • 丸3年が経ちましたとさ。

      みなさん、お久しぶりです。 まさかの1年以上ぶりでございます! だいぶ月日が流れていつの間にか2024年の3月18日ですね。 今日はタイトルの通り3月7日に母が天国に旅立ってから丸3年が経ったので振り返ってみようかなと思います。 最初の1年目は、なんとなく考えたくなかったのか、前を向いて仕事をしたり社会福祉士の資格取得のために通信で学校も通い始めて、あれ人って家族が亡くなっても意外と生きていけるんだなと思ったりもしました。 問題は2年目ですね。。。 きっと1年目のとき

      • ケアラー経験を美談にはしたくないけれど、私の大事なピース

        皆様、ご無沙汰しております。 クリスマスも終わり、 2022年も、気づけば最終日。大晦日ですね。 皆様にとってこの1年はどんな1年でしたでしょうか? 私は、多くの方々に支えられ、時にはたくさん迷惑をかけてしまったり、それでも、支えてくださる方々のおかげで、2022年も生きることが出来ました。本当に感謝です。 さて、今回はちょっと渋めのサムネイルにしてみました。 それでは、本題へ、、、 2022年を漢字1文字で表すと年末になるとよく上がるこのお題。 今回の本題に

        • ついに、若者ケアラー・ミドルケアラーの集いに顔を出してみた。

          皆様、こんにちは。 ハロウィンシーズンが終わり、世の中はクリスマスに向かって、音楽とかカフェの店内のBGMとか、イルミネーションとか少しずつ変化していますね。 この時期が一番好きな気がします。早いけれど、少しずつこの一年を振り返ったり。来年はどうしようかなと考えたり。 そんなこんなで、今年もあと2か月切ったし、新しい一歩を踏み出してみようかと、タイトルの通り、集いに参加してみました。 集いなるものに参加若者ケアラー・ミドルケアラーの集いに参加してきました。 主催者は

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        ヤングケアラーさくらです

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        記事

          母の遺品整理に手を付けるまでの【1年7か月】、そして感じたコトのない気持ち。

          皆様、こんにちは。 いつの間にか、涼しくなってもう秋ですね。 体調など崩したりしてませんか? 今回の写真は、先日大阪の長居公園で、チームラボボタニカルガーデンに行ってきたときの写真です。 私は、とにかく夜景やイルミネーションが好きなので、めちゃくちゃ癒されてリラックスできたので、皆様にも少しおすそ分けです。 さてさて本題… 私はだいぶ体調も安定してきたので、題名の通り先日、母の遺品整理に手を付け始めたので、その時に感じた気持ちをそのまま書いていきます。 というのも

          母の遺品整理に手を付けるまでの【1年7か月】、そして感じたコトのない気持ち。

          25歳独身若者ケアラー、少しずつ動きます。

          皆様、お久ぶりです。 前回の更新から少し月日が経ってしまいました。。。 前回の記事の最後に、「新しい試みについてまた記事にします。」ということ締めくくっていいたので、今回はこの「新しい試み」について書いていこうと思います。 最近の私その前に、最近の私について、「誰が興味あるねん」って話だと思うのですが、ご報告。(笑) 実は、これまでの家庭環境や仕事などのストレスが積み重なり、ホルモンバランスが崩れたり、適応障害と診断されて少しお休みをしていました。 今までいろいろと

          25歳独身若者ケアラー、少しずつ動きます。

          自分の人生を生きる

          皆様、こんにちは。 なんだかとてもお久しぶりの更新になりました。 本日は、タイトルの通り 「自分の人生を生きる。」というお話。 タイトルは、かっこいいし偉そうだけど、そんな大した話じゃありません。(笑) ただありのまま、ヤングケアラーのお話しをするだけです。(笑) 今日は結構、リアルにそのまま伝えるので、重い話が苦手な人はサーっと呼んでくださいね。 大学2年生後期から、母が亡くなるまでの私実は、2か月前の3月7日に母の一周忌を迎えました。 母が亡くなった時に、もち

          自分の人生を生きる

          母を緩和ケア病棟へ見送った日

          皆様、こんにちは。 2022年初投稿になります。 今日はというか、2月3月は私にとって母と最期のいろんな出来事や思い出が詰まった期間でもあります。 もう少しで母が天国へ旅立ち1年が経とうとしています。 ちょうど去年の今頃の朝、私は母を緩和ケア病棟へ見送りました。 母は、大腸がんの肝転移で、 この日の3か月前くらいに事前に、最後は緩和ケアで過ごすことを母と病院の人との話し合いを繰り返して、決めていました。 コロナのこともあり、あらかじめいろいろと早めに段取りをして

          母を緩和ケア病棟へ見送った日

          子供としての責任

          皆様、お久しぶりです。 もうすぐ2021年も終わろうとしているというこで、私にとってこの1年は、父や母のことをなんとかやってきた原動力というか理由みたいなことについて、またある意味自分を苦しめていたものについて書いてみます。 父の生活の管理や母の終末期の手続きやサポートなど、もちろんやらざるを得なかったというのもあります。 でも、時には、「もうこの環境から逃げたい」、「いっそ母や父が亡くなってしまった方が解放される、楽になれる」どうしようもなく追い詰められた時もあるわけ

          母が天国に旅立って8か月~今の気持ち~

          皆さんこんにちわ。 今日は私の母について書こうと思います。 まだ、母が病気を宣告された時の様子など細かい記事は投稿していませんが、最近母がとても近くにいる、傍にいてくれていると実感した出来事があったので、今日は母について書いてみます。 この間のお休みに、いろいろと頭がいっぱいいっぱいになっていたので、何も考えずふらっと電車に乗っていつもと違う場所へ出かけました。 そこでいろんなお店を見たりして、おなかがすいたので一人でおいしそうなご飯やさんに入り、おいしそうなハンバー

          母が天国に旅立って8か月~今の気持ち~

          ヤングケアラーとして思うこと

          皆さんこんばんわ。 今日は、右半身麻痺と失語症・高次機能障害の父を持ち、母を癌で亡くして8か月経った私の今の率直な気持ちを吐き出そうと思います。 まず母に関して。 とりあえ未だに母が亡くなったことが信じられないし、実家にいるような気がする。この8か月間、私自身もプライベートでもいろんななことがあったし転職活動もしたり、とりあえず人生の大きな転換期でした。 だから、よしって力入れて頑張ったり、耐えたりしないといけないことがたくさんあって、その度にお母さんに相談したい、お

          ヤングケアラーとして思うこと

          息抜きに欠かせないジャルジャル

          みなさま、こんにちわ。 noteを開設して、何件か両親のことを書かせていただいて、共感していただいたり、同じような境遇の方に出会えたり、とても感謝しています。 まずは、父の病気のことを連続で投稿いたしましたが、なんかただただ、暗い記事の連続だったので、今回は休憩(笑) 私のこの辛い経験を支えてくれたり、現実を忘れて息抜きの場を与えてくれた趣味についてお話しします。 暗いことばっか書いていますが、私はお笑いが大好きです。 24年間ずっと大阪に住んでるので、土曜に観るテ

          息抜きに欠かせないジャルジャル

          父が脳出血で倒れた日③~今までとは違う父を受け入れられなかった私~

          翌朝、一番の飛行機に乗って長崎から大阪に向かった。 初めて立ち入る、救命救急センター、そしてICUの待合室。 他にも私たちと同じように、不安や緊張感、悲しみなどいろんな感情や空気が漂う家族がたくさんいて、とても不安になり、早くこの場から去りたいと思った。 ICUにいる父の姿を見るのが怖かった。 泣きそうになりながら、消毒をしマスクを付けさせれられ、母と私、父方のおじいちゃん、おばさんとICUに入った、 お父さんの他にも、さまざまな状態の患者さんが苦しそうに呼吸器をつ

          父が脳出血で倒れた日③~今までとは違う父を受け入れられなかった私~

          父が脳出血で倒れた日②~母と叔母さん~

          救急救命センターから、父が職場で倒れてICUにいるといいう、留守電を聞いた母は泣きそうになり震えていた。 今まで母が泣いたり震えたりしている姿を見たことがなかった。だから、そんな母を見て私はしっかりしなきゃと思ってなぜか落ち着いていた。 長崎では母のお姉さんの家に来ていたため、お姉さん夫婦がすぐに次に日1番の飛行機を取ってくれた。 母は不安で食事も通らず、すぐに次に日に備えて休んでいた。 私は、そんな時でもしっかりご飯を食べながら、叔母さんの話を聞いた。 私の母は、

          父が脳出血で倒れた日②~母と叔母さん~

          父が脳出血で倒れた日①〜両親の病気と死に向き合う4年間の始まり〜

          ちょうど4年前の今頃、 私が20際の時、父は職場で倒れ緊急搬送された。 左脳の脳出血。 高血圧で薬を飲み始めている矢先のことだった。 父が倒れた日は、母の実家である長崎に行くため大阪から新幹線に乗っているところだった。 たまたま私が携帯の充電を切らしていて、病院からの連絡をすぐ受け取れなかった。 長崎について、充電をした途端に表示される知らない番号からのたくさん留守番電話の通知。 何か嫌な予感がして留守番電話をおそるおそる聞く。 救急救命センターからの、父が倒れICU

          父が脳出血で倒れた日①〜両親の病気と死に向き合う4年間の始まり〜