見出し画像

ADHDだと診断されたけど、その後撤回された話。

こんにちは、春野です。
私がADHDだと診断されたのは、今から15年前の8歳頃です。そして間違っていたと言われるのが9年前の14歳頃です。
母に連れられ、児童相談所内にある精神科でADHD(当時は多動性だと)診断されました。

病院に行った経緯・理由。

母からの虐待が日常的にあり、そんな状態を母自身がどうにかしたかったのだと思います。
結局のところ、理由付けです。
子育てが思うようにいかないのは、こどもが障害を持っているから、と。

初めて診断されたとき。

病院ではプレイルーム(塗り絵とかつみきとか、沢山のおもちゃがある場所)に通され、そこで診察が始まりました。
母と先生から「いつも通り遊んでいいんだよ」と言われたので私は本を読み始めます。
しばらく本を読み続けていましたが、先生と話している母の顔色や声色が悲しそうだったので原因を考えました。
色々考えた末、母が悲しそうにしているのは私が本を読んでいるせいだと思い至ります。

せっかくおもちゃがあるのに遊ばないから駄目なのかなと、本を読むのをやめておもちゃに手を伸ばし始めました。すると母は嬉しそうだったので、この行動が正解なんだと、片っ端から色んなおもちゃで遊び始めます。
言語化してこうすればいいと思ったわけじゃなく、ただ母の顔色を見て行動を変えました
この後家に帰って叩かれないようにする事が重要だったからです。

ADHDだと診断される。

そんな感じでよく分からないまま振舞っていると、多動性(ADHD)と診断されました。
よく分からなかったですが、母は怒ってなかったのでこれでよかったんだなと安心して帰ります。

しかしその後、母は私を特別支援学級に編入させると言い出し、学校に電話しました。
編入できるまで学校に行かせないと、1週間ほど学校に行かせてもらえなかったです。
私はクラスに友達もいたので、編入したくないと言いましたが反抗的だと怒られ、障害を持ってるからと罵られます。
連日担任の先生が家を訪れ「授業中も席に座っているし、宿題もやってくる。注意した事はきちんとやってるから多動性ではない」と母を説得してくれたため、前と変わらず同じクラスで過ごせるようになりました。

2回目の診断。

それから暫く時間がたち、全く別の理由で同じ病院に行く事になりました。(朝がどうしても起きられなかったので診察に。)
そこで当時の先生と出会います。
私は全く覚えていなかったですが、2回目くらいの診察で向こうから「あの時来てたよね」、と言われて知りました。

それからもしばらく通院する事になり、3か月くらいたつと先生から「あの時はADHDって言ったけど、今の様子とか昔の事を聞くと間違ってたね」と言われます。
正直、自分がADHDだとか、そう診断されたとかあまり意識してこなかったですが、間違ってたと言われるともやっとしました。
私が意識的に振舞った行動なので、先生が悪くないのも分かっているのですが。

こどもって意外と周りを見てるし、知ってる。

こどもだって、言葉を完全に理解できなくても、親の顔色や声色で感情の起伏を察する事ができます。
むしろ言葉がよく分からないからこそ、親の感情に振り回されます。
私みたいに親に合わせて態度を変えるとか、逆に人見知りが激しくて親が側にいないと診察が難しいとか、色々なパターンがあると思いますが、私の場合は親と違う部屋で診察されていれば、また違う結果になったのかなと思います。

正直なところ、私がADHDかどうかはちょっとよく分からないのですが、何かしらはあると思います。
個性や性質なのかうつ病等の病気なのか、過去の経験からくるものなのか障害なのかは分からないですが、とても生きづらいとは感じています。
何が苦手で、何が得意なのか、自分の理解が大切だと思うので、自分の苦手な事は誰かに頼れるような、そんな感じで生きていければいいなと思います。

サポート頂ければもの凄く嬉しいです! 記事を書いている最中の紅茶やお菓子代にします。