「情報収集」という遊び相手

※内容のないことをだらだら好き勝手に書いた作文です。

 ふとした空き時間ができると、スマホに手を伸ばす。
 SNSをするわけでなし、ネットサーフィンするわけでなし。
 「腰を落ち着けて情報収集したい」という、ヨクワカラナイ欲求があります。
 たとえば、「史上例を見ない威力の台風の進路」を追っかけてみたり、「感染症の感染者推移」を追っかけてみたり。
  「台風の進路、○○沖を北上」、よし。
 「台風、週明けに九州最接近か」、よし。
 ただただその時点での最新情報を得るだけ。「史上最恐の台風、だと!?」などと痛々しくおののいてみたり、かといって現実的に窓ガラスに養生テープを貼ったりもなく……。(これは、自分の居住地方が、そこまで影響を受けないであろうと分かっていたので、相応に構えていられただけですが……)
 ただその時点での最新情報を入手して、悦に入る。というヨクワカラナイ性癖について考えてみて、ふと思い出したことがあります。

 一昔前、スマホではなく据え置き型のゲーム機が主流だった頃の、RPG。当時は、容量も制限されており、強さの尺度であるレベルは「99」が上限、体力の尺度であるHPは「9999」が上限、冒険の仲間たちを、最高レベル、最高ステータス(またはそれに準ずる強さ)までにレベルアップして、悦に入る……。要は、「カンペキな強さのパーティ」を完成「させたい」、その欲です。

 「させたい」をカッコにくくったのは、実際にそこまでのセーブデータを作ったことはないからです。やっている途中で「何やってんだろう…」と虚しくなります。「こんなクダラナイことをしていていいのか!?」「もっと他にヤルベキことがあるんじゃないのか!?」……まあまあ時間と労力を投入しておきながら、のんきに葛藤し、結局8割がた完成された「ソコソコ強いパーティ」のセーブデータで妥協する……。

 猫が毛糸にじゃれるように、何かに無心になって、その対象を愛でて、育て上げたい…みたいな感覚もあります。それが、例えば「子供」や「後輩」ならば、返ってくるものもあるのでしょうが、わたしの場合はその対象が「ゲーム」であったり「情報」であったりする。

 情報も、「オモテの情報」を見て(「コロナ感染症が世界中で猛威を振るっています」)、「それと対する情報」を見て(「コロナなどない。○○の陰謀だー!」)、どちらともつかない自己満足の結論に落ち着いて(「手洗い、マスク、自己免疫を高めることが一番だよね」)、悦に入る。
 ある意味で、情報という「遊び相手」にあそぼ、ねえ遊んで、とちょっかいをかけているような猫みたいなものなのかも知れません。
 まあでも、人間様に遊んでもらったり、情報も建設的な形に再構成して発信できるのがよりベターなのでしょうがね。
 同じ一人遊びにしても、もう少し視野を広げて、発信できたらいいなーと感じた次第でございます。

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