募金の行く末

※中身のない内容を好き勝手気ままに書いた作文です。エビデンスなど一切考慮していないので、ご了承ください。※

 一昔前に比べて、各地で大規模災害が多発するようになりました。
 以前は、公共施設等にある募金箱に、小銭を入れていましたが、最近はいつも利用している宅配生協の募金を利用しています。その方が、必要とされている場所に適切に的確に支援されるのではないか、と。

 で、直近の災害に対して募金を行ったのですが、募金報告を見ましたら、生協全体でウン千万円とかになってました。
 数か月の間に数千万円。
 ちなみに一口200円~とかです。災害支援募金の額ひとつとってみても、支援への関心の高さがうかがえます。

 一方で、ふと思い出すのは東日本大震災が起こった時に、テレビでしきりに流れた「長期の支援が必要です」「時が経って関心がなくなることが懸念」といったような言葉です。その時に知り合いがこぼしていたのが、「募金を元手に運用とかしだしたりするからねー」でした。
 「災害に遭われた方を支援したい」という思いはあれど、巨額の支援金が直線的に「実際に困っている人」に行き届いているのか、一個人からはよく分かりません。
 被災直後だと、必要なのは「水」「食糧」「仮住宅(衛生的な住環境)」でしょうが、では今回生協募金で集まった数千万円が短期間に一気に投入され、支援が必要な方に行き届き、元通りの生活水準まで復興できるものか?
 素人考えでも、「それは無いな」と思います。

 数年前、わたしの身近な地域でも、大雨の災害があり、身近な知り合いが被災され、ご自宅が一面土砂に埋まってしまいました。
 彼女は知り合いやボランティアさんの手を借りながら、炎天下の中、1カ月近くかけて、片づけをされていました。
 別の知り合いは、「人手なんか、いくらあっても意味がない(作業量がたかが知れている)。重機で一気にやらないと。でも、その重機がなかなか回ってこない」とこぼしていました。住宅が密集した山腹の団地で、災害から数カ月たった後も、土砂が撤去されない場所があったそうです。何人かで泥土をかきだしてもかきだしても、キリがない。かといって、密集した住宅街に超大型の重機が入れるスペースもない。自治体に言ってもなかなか手配してもらえない。個人で対応するにも限界がある、と。

 仮に数千万円の現金があったとしても、現場で必要なのは「土砂を除くことのできる重機」であり、その数には限りがあって順番待ちをせざるを得ない実態がある、ということなのかな、と感じています。
 一昔に比べて増えた災害は、そうはいっても季節ごとに全国で散発的に起こっており、災害のたびに従前の水準まで復旧され、わたしたちのラインライン(電気・ガス・水道・物流)に支えられた日常は守られています。
 その災害が、ライフラインの復旧が間に合わない頻度で、全国的に多発したら? そんな妄想も、絵空事の杞憂で笑える時代ではないのかもしれません。
 2020年9月現在、現首相が辞意表明を出し、次期首相を決める総裁選の行方が世間様の関心を集めています。
 新型コロナウイルスで大打撃を受けた「経済」に対する政策に関心が集まるのは当然ですが、いま私たちが「当たりまえ」と思っている足元のライフライン、これを「維持すること」、災害に公として「備えること」。これらも同じくらい重要ではないかと、ひっそり思ったりする今日この頃です。

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