見出し画像

大人の本音

 ストレートにものを言う人は、せっかちなのだと思う。
 というのも、ここ最近の自分の言動を振り返って改めて思うことである。何より「本音=ストレートにものを言うこと」だと、私は思い違いをしていた。その件について。

 仕事先の打ち合わせ等で、よく「本音で語ってくださいね!」とスタッフさんやプロデューサーさんから言われることがある。非常にありがたいお話だ。表面的な意見ではなく、芯を食ったコメントの方が人々の記憶には残りやすいし、代弁者として口を使うのだから、本音で語るというのは議論に臨むにあたって大事な姿勢である。

 しかし、困った。
 というのもその言葉を鵜呑みにして、トークイベントの壇上やコメントをする仕事中に本音を語ろうものなら、あからさまではなくとも引かれたり、「思っていたのと違うな〜」と言わんばかりに相手の顔が渋くなることがある。(もちろん私が話の要領を得ていないことも多いだろうし、あまりにも発言のレベルが低いことに呆れられているケースも含まれるだろうから、「100%そうだ!」という話ではない。そして相手が何を思っているかを完全には把握できないことを前提として、あくまでも私の「体感として」の話をしていく。)

 話を戻すと、苦虫を噛み潰したような相手の表情を見て「さっき、本音を語ってって言われたから、言ったのに……」と私もダメージを喰らう。そうなると、本音の定義について今一度再考しないといけないことになる。

 人に見せる、または人に聞かせる本音というのは、そもそもストレートにものを言ってしまうだけでは成立しない。
 メディアで人気を博している本音語り系の方々は、実は緻密な計算の元で話している。本音にみせかけて本音ではなかったり、本音をしれっと別の言葉や質問に置き換えてみたりと工夫がされている。
 冒頭で触れた、「本音を言う=ストレートにものを言う」と言う軸に沿って話すとすれば、ここにはかなりのセンスが問われるわけで、言葉を出す順序やそこで選ぶ言葉によって、当然、印象がガラリと変わる。
 だから本当に本当の「本音」を、バッ!と話して他人に受け入れられる人は稀有で、非常に高いセンスを有しているわけだ。人の心にクリティカルヒットするワードを次々と放ち続ける話術を、私はご覧の通り取得できていない。その人たちを見て「あ、じゃあ私も本音を〜」なんて迂闊に話し出しては絶対にいけないのだ。

 要するに、「本音を語ってください」というのは、あくまでも「みんながハッとする言葉を発してください」ということである。
 場の空気を読まず、ストレートに自分の思った言葉を投げるという意味ではなく、言わば聞き手や場の空気を読んだ上で、本音に近い「建前の本音を下さい」という意味なのだと、私は最近きちんと理解した。

 私はこの建前の本音を、「本音の外側」と勝手に呼んでいる。

 ちなみに本音の外側とは、本音の輪郭をギリギリなぞるくらいに接近している外側なので、ほぼ本音ではあるものの真っ向勝負の本音ではない。
 大人が、人前で話すことになった途端に課せられる暗幕のルール。「本音を語ってください!」は、そのせいで、私にとって逆に窮屈に感じてしまう提案だったりもする。

 メディアで、時事的なトピックスに触れたり業界のことを語ったり、という機会をいただくことが多々ある。その機会に接するたびに私は、本音ほどではないが、あくまでも本音に近い思いを探していくようになった。

 実際、本音を語ることによる障害はある。本音というのはそもそも冒頭で述べた通り、私の中ではストレートにものを言うこと、という認識があった。ストレートにものを言うとなると、気持ちをかたどる言葉が汚くなりがちなのである。
 ズバリ、というよりも、ギョッとさせる生々しさがある。見てはいけないものを見てしまった気持ちと同じで、聞いてはいけなかったことを聞いてしまった感がその場に漂う。

 真意を伝えようとすればするほど、言葉には棘が生じる。だから私にとっては、「本音の外側を話す」という選択をとらざるを得ない。しかしそれはそれで、本音を膨張させたようなぼやけた感じになってしまうのだ。
 人々に害がないのは、オブラートに包んだ遠回しな言葉だ。でも、遠回しで抽象的なことを言ってしまった日には本来伝えたかった真意が伝わらず、その手応えのなさと相まって、自宅に持ち帰る私のモヤモヤも多くなってしまう。

 そしてここからが問題である。
 こちらが配慮すればするだけ、つまり、本音の外側を話そうとすればするほど、聞いてる側としては「こいつマジで何が言いたいの?」と思わせる状態になってしまうのだ。

 でもそのスタンスでいる限り敵は増えないじゃん?

 と思われそうだけど、敵をそんなに作らないと見せかけて、無難な感じが漂っている私のコメントに苛立つ人もいるんだろうと思う。もちろん、そんな事態になることはこちらも望んでいないので、本音の外側といいつつも、「ちょっと出ちゃった本音」を混ぜながら話してはいる。本音にだいぶ接近して戦ってはいるのだ。本音の外側ばかり話しても何も伝わらないということに、散々懲りているからである。
 とはいえこのあたりのバランスは、年を重ねて年々うまくなるものかと思っていたのだが、思っていたよりも自分というものは変わらない。

 殻を脱ぎ捨てて話せと言われても、こんなに服を脱ぎ捨てていても、それは喜ぶ人の顔が浮ぶからこそ叶う話だ。私が「本音」という生々しさを口から吐き出そうもんなら、人々は眉を顰めて「なにあいつーヤバ〜」となるだろう。想像に容易い。
 私は人を嫌な気持ちにさせてまで話す、というのが苦手だ。しかし本音を語れば嫌な思いをさせてしまうことが多いのだから、人との付き合いにおいても同じように距離を保つ。

 なにより、私は私の本音をできればあんまり聞きたくない。深く心に潜り込んで、煮詰まった感情のマグマに触れた先から「あ〜こんなことになってしまっていたのか…」とショックを受けることも多く、向き合うのにも体力気力を一気に消耗するし一苦労する。

 ちなみに、本音とは別のところで、私は空気が読めない。故に対人関係でギョッとされることも常で、例えばこんなことがあった。

 とある大きなイベントが無事に終わり、みんなで余韻に浸っていた。スタッフさんたちと徹夜して準備したイベントで、内容も実に濃く盛り上がり大成功。「完璧!最高!!やったね!!!」しか感想が出てこないほどの達成感があって、頭を下げつつ私は帰った。

 その日、グループラインで感謝の意をマネージャー達に伝えた。「こんな素敵なイベントができて本当に嬉しかったです。ありがとうございます!」と、心からの気持ちだ。
 私のことを知ってくれている人はよくわかっていると思うけど、私はとにかくLINEも長い。何が良かったか、どこでときめいたとか、気持ちの細部まで伝えるのが感謝だと信じ込んでいる私は、少々一方的ではあるものの怒涛の文章を打ち込んだ。その日はマネージャーも、「ほんと、イベントよかったよ〜!」とすぐに返してくれた。

 その文字を見た途端、私の中で、とあることを思い出す。

【イベント→イベントの帰りに乗ったタクシー→お金を払った→いくらだっけ?→立て替えた→精算→早めに言わないと忘れてしまう】

 「ほんと、いいイベントだったよね〜!」のあとの私からの返事は、「ありがとうございます!因みに領収書の精算っていつできますか?」である。既読がつき、少し時間が経ったあと「次にまなちゃんが事務所に来たらでいい?」と返ってきた。

 後にマネージャーから「あのときはみんなが余韻に浸っているタイミングだったのに、どうして精算の話を持ち出したの?」と言われ、ポカンとした。「別に急ぎでもないんだし、もうすこし経ってからでもよかったのに」と言われてようやくハッとして、「すみませんでした!」と謝った。「感謝の気持ちを伝えるターンが終わったと勝手に思ってしまっていました」と言い足した。

「ハハ、まなちゃんってそういうところあるよね」と言うマネージャーの顔は、やはりどこか困っている。
「ありますね。大変申し訳ございません」
 私は引き攣り笑いをしながら震えていた。

 そうだ。元々、私はすぐに思ったことが口から出てしまうタチなので、だからすごく言葉の扱いや出力に気を付けていたのだった。人の感情やその機微を読み取ってしかるべきタイミングで伝える話だったのに、最短距離すぎた。そしてこれは「ストレートにものを言う」の中でも反射のように口が開いてしまったパターンで、もう少し考えれば絶対に起きない問題だった。要はうっかりミス。本音の外側を語るときには留意している点だったのにやってしまった。

 というのも、語る相手の距離が近い、要するに身内だと認定した途端に私の脳の機能がオフになる。そんで、ついつい余計なことやその場にそぐわないことを言ってしまうという「イタさ」を出してしまう。完全に水を差した。これが世間で言う「空気が読めない」ってやつなのか、とちゃんと反省はした。

 例えば自分にとって都合のいい、そして丸め込みやすい人を「性格が良くていい子なんですよ〜」と評する人はこの業界でもちらほら見るけれど(これを言うと角が立つことはわかっている、でも現にそういう側面があることは否めない)、それは相手が感情を押し殺していることを誉めているのであり、まるで不満がないように振る舞うことが大人として利口なのだと、そう錯覚させる褒め言葉でもある。

 私はこの点に、いつも不満を感じつつも、その場に応じて態度を柔軟に変えたり感情を押し殺す人たちを強くリスペクトする。人が求めているものを与えるのがこの仕事の定めだとすれば、姿勢としてはめちゃくちゃに正しい。対人関係だって良好に保たれるだろう。
 私が私らしさを発揮してしまえば、たちまち存在意義なんてものもなくなる。だなんて、消極的な思いに駆られたりもする。

 冒頭に戻るけど、こういうこともあるから、やっぱりせっかちなのはよくない。

 思ったことをすぐに伝えないと忘れてしまうだろう、という考えが脳を埋め尽くして離れない、これも良くない。
 メモをとって後日に伝えればいいことも、早く伝えないと忘れてしまうので困る、の一本柱で話を進めてしまう。「これはこうでこうでこうなんだ!」を細かく丁寧に、全部先出しすることで言い忘れを防ぎたい、だなんてあまりにも自分本位だ。そしてすぐに結果に辿り着きたくなる。これも良くない。

 だから、言うタイミングを待てる人は寛容で素晴らしいと感じ、感情を押し殺して我慢を強いられている人を見ているとうっとりする。かたや、隅っこで私はひたすら見えないサンドバッグに向かって言葉を叩き続けているわけだ。誰も私とは戦おうとはせず、「あいつやべーな」で終えられてしまうのだ。独りよがりってやつ。

 どうしよう、学校の反省文みたいになってきた。

 ここまで書いて内省したからには解決策を示さないといけない。未来の自分に託すメッセージを。とりあえず、今の状況を踏まえての頭の中をお見せします。

①泥みたいな本音を語ることは求められていないけど話せてしまえばとても楽だ。なので泥言葉をものすごく綺麗な言葉に落とし込めば、意外と相手を怒らせたり困らせることはなく、しれっと真意を伝えられるのではないか?

②例えば「クソ」という言葉がよぎった時には、「愚か」とでもいえばいいのではないか?

③クソと愚かは同義語なのか?そして「愚か」は、果たして「クソ」の丁寧語になっているのか?

④クソで思い出したけど、それにしても我が家にいるイッヌ様の排泄物には全然抵抗が湧かない。イッヌ様が一日をかけて何を食べているのかがよくわかっているからだろう。つまり、胃の中と見た目が判明してるから「安全」と見做しているわけだ。

⑤道端に落ちている排泄物が嫌なのは、その排泄物を出した正体も不明、そして何を食べたかも不明という圧倒的に未知なるものに対しての恐れによるもので、だから本能的に避けているんだろう。あんな大袈裟に「ワ〜!」とか小さく叫びながら電信柱の横でジャンプするように逃げるのだってそうで、「〜色々な過程を経て、ここに辿り着いた〜」というテロップは、その排泄物を見ても頭の中には出てこない。

⑥それと一緒で言葉もジロジロと他者から見られている。誰が、どんなふうに腹の中で膨らませて出した言葉なのか、しっかり見られている。顔も見た目も見せている。だから出し方によっては「ふうん、色々な過程を経て、ここに辿り着いたのね!」と思ってくれる人もいるだろう。そのアウトプットがどう評価されるかはやはり私の、議題と感情の消化次第による。(私の見た目や職業をはなから嫌う人もいるがそれはそれで仕方がない、生理的嫌悪感に逆らえないのが人間です)

⑦ということはしっかり感情は出さねばならない。そして真っ直ぐに出した方がいい。感情は、排泄物だ。

⑧いや、感情は排泄物ではない。排泄物は人に見せるべきでもない。排泄するならラメでも振るってキラキラさせておきな。

⑨でも、感情を排泄物だと思っていた方が人目を気にしながら出せるわけで、ストレートにものを言うことからは避けられるのでは?それって大事な考え方の一つなのではないの?

⑩いやだから、ストレートにものを言うことから避けつつも他人が聞いてギョッとしない、ちゃんとした本音を語りたいっていう話。

⑪それって無理だと思う。それにちゃんとした本音ってなに?その時点で本音の答えが既に決まっているじゃん。結局みんな、本当の本音なんて一切話してないんだよ。本当の本音は脳内で大きく叫んでドバッと大量放出しておいたほうがいいんじゃない?溜めとくのも辛いでしょ?

⑫うん… 。ツライ……。

⑬やっぱ本音をそのまま別の言葉に変換するのが正解なのではないか?本音の外側ばかり気にするのではなく、ちゃんと本音を見つめた方がいいよ。本音の外側にいこうとするんじゃなくて自分の本音にもっと接近するんだ!台風の目の中に入るように心を凪の状態にさせるんだ!決して乱れるな!乱れた途端、言葉がヤバくなるんだから!!要するに、受け取る人たちのギョッと感を減らすためにはひたすら本音言葉の置き換えを頑張るしかないんだよ〜。その努力によって限りなく本音に近い本音になるしモヤモヤした気持ちで家に帰るのも減るんではないかしら?反省会からのヤケ食いもしなくなって万々歳!

⑭あれ、結局①に戻った。あんなに考えたのに。

⑮てか、それができるなら最初からやってたんだけどね〜。

⑯ね〜まじでコミュ力ないの辛いな〜。

⑰それな〜。がんばろ〜。

【完】

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?