見出し画像

【エッセイ】ランランRun♬.*゚継続は光なり‥。


ランニングが趣味で‥
走るのが楽しくて五キロ走ります!
と‥ほんの少しだけ自慢気に?(笑)
語っていたわたしは今はもう‥居ない。

どこか旅に出てしまったのか‥。



短すぎた梅雨のせいなのか
その後気まぐれに降り続いた
大粒の雨のせいなのか‥。



それとも‥いつまでも消えない
真夏の名残りのせいなのか‥


どちらにしても
ここ1、2ヶ月まともに
走っていないことにかわりはなく。



その間、7月に一回8月に一回‥と
勢いで走り出してみたものの
五キロ完走など、とてもじゃないけど走りきれそうもなく‥。


両日とも、すっかり日も暮れた夜にも関わらず
熱気が残る空気に包まれたまま
重い足でトボトボと帰路へ向かったのだった。


そして結局、あれこれと自分に言い訳しながら
今日までズルズルときてしまった。
このままでは、ほんの少し前の自分にさえ簡単には会えそうもなかった。


こうなるともう
『走る自分』に気持ちを戻すのが大変で。

 

元々運動が得意なわけでも
走るのが好きなわけでもなく‥。増えてしまった体重を落とすべく始めたダイエット目的のランニングだった。



あれは、四年前の冬だっただろうか。
とりあえず歩き出すことから始めてみたのだ。
それがきっかけとなり、走ることになるとは
考えてもいなかったのだが。

毎日歩くようになると身体が軽くなり
気付くと走り出していた。



最初は三キロ‥。
もう少し走れそう。


次は四キロ‥。


そんな風に徐々に走行距離を
伸ばしていき、それと比例するように
体重も落としていったのだ。


そして、昨年の夏もその前も
夏の暑さを越えてきたはずなのに。

今年は‥何故だろう。
夏が始まるその前からもう既に
気持ちで負けていた気がする。



夏は気温が高いことで、心拍数もすぐに高くな
り、いつも通り走っていても
心肺機能にかなりの負荷がかかってしまう。

この時期、息が苦しくなるのに加え思うようにスピードが出ないこと、『いつもの距離』を完走できないことに、理由が分かっていても
やはりモヤモヤを抱えてしまうのだ。



その記憶がわたしの脳裏に強く
残っていたせいかもしれない。

走ってストレスとサヨナラするどころか
新たに抱えてしまっては意味がない。
だからしょうがない‥。


そう思っていた。

 

確かにそう思っていたのだけれど
今こうして夏前より少し身体が重くなった自分と向き合うと自分のルーティンを崩したことを
悔やんでしまう。


ランニングという形でなくとも
継続できたのかも。と。


『いつもの距離』が五キロじゃなくても
四キロでも‥三キロ
いや二キロになったとしても‥。
そして残りの距離を歩く‥
そんなランニングになったとしても‥。

一度下がってしまったモチベーションを
再び上げるのには、かなりの力を要する。


失くしたルーティンをまた入れ込み
それを日常化し、そのペースが落ち着くこと‥。
それはわたしにとって決して容易なことではないのだ。


数日前からこの日から再スタートしよう!
と心に決めていても
疲れているから今日は走れない。
暑かったからやめよう。
書き上げたい記事があるから、今日は無理。


走れない理由はいくらでも出てきた。



それなのにどうしてまた
走り出せたのだろう。



夜19時、ランニングウェアに着替え
シューズの紐をきゅっと結び、外へ出る。
日が沈み静かな夜が訪れる前の
藍色の空が辺りを包んでいた。


どこか気まぐれなわたしは
突発的でないと動き出せないことがある。
気持ちが動いたタイミングが今なら、それに従おう。


すっかり日が短くなった。


頬に当たる風は真夏のそれとは違い
少しの冷たさを含んでいた。


虫の鳴き声があちらこちらで響き
秋が来ることを知らせてくれる。

一歩踏み出すと息は荒いが思っていたより
スムーズに進めた。
走れるかもしれない。


真っ直ぐな道を、ただ前へ前へ。
遮断機を越え、右に曲がり
体育館を通りすぎ陸橋を渡る。

ポツ‥。ポツ‥。

二キロ地点を過ぎた頃、
わたしの頬に雨滴が当たった。


それは霧雨のように細い細い雨。


でも不思議なくらいそれは熱い頬に心地よく
恵みの雨だと感じた。
陸橋の緩やかな坂道を下っていく。


走り出せたことが嬉しかった。
恵みの雨だと感じられる自分が
嬉しかった。



継続は力なり‥強い意志を持ち
毎日続けていけたならそして自分の心にプラスの成果をもたらしていたなら‥
きっとそれはベストだと思う。

 

継続は毎日の積み重ね‥日常だからと
それができない自分を
なぜ続けられないのかと‥責めたりした時も
ある。
 

でも、気まぐれでもいいのだ。
また走り出せるなら。


休んだっていいのだ。
自分にとってそれが本当に必要なことならば
時が来ればまたこうして動き出せる。


一本踏み出したその先に
見える何かがあるのか‥
それが分かるのは
ずっとずっと先だとしても。


今この瞬間に嬉しいと感じられたのなら
それは遥か遠くに輝く継続への光だ。












この記事が参加している募集

スキしてみて

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?