声にならない声を描くこと

大学院で学び始めて1年が経った頃、指導教諭に教えられた大切なことがある。
多分これから生きていく中で忘れられない言葉。
「声にならないこえを描くこと」
その頃の私は自分の研究テーマに関していわゆる、誰もが知っているような人に
インタビューを続けていた。特に意識したわけでもないが
あるテーマで調べるとすでに誰かが声にしたものしか出てこないのである。

先生は「すでにこういう人はどこかで話しているよね。そんな人の話をきかなくてもよくて、アカデミアは声にならないことを紡ぐところだよ。」そのようなニュアンスでわたしに指導をしてくれた。

アカデミズムもジャーナリズムも歴史の理解の中で誰かをなぞることから始めるかもしれない。その理解が進んだ先には、声にならない声を拾うために
自分で外にでることなのではないか。

それがこの2つの信じつであり、社会との繋がりなのではないのだろうか。

#社会学


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