言葉と意味について2歳児からの考察

2022年12月息子が2歳になった。
日常では日本語を使いながらも、映像で好きな番組が英語であったりすからなのか
言葉の覚えが少し遅い。嫌なことは、「いや」とも「NO」とも言う。
日々心配しているけどどうにかなるかなという気持ちでいる。
私は2歳の子の母親なのだけれど、大学院2年生でもある。
最近言語学にハマり、ソシュールやロラン・バルトに夢中。

ソシュールが指摘するように、記号、つまり言葉はシニフィアンとシニフィエ
その記号の音と意味されることに私たちは理解している。そこには恣意性はない。
例えば赤という「赤い」色をさして、「あか」といい、赤い色があかという音である必然性はないのである。

その原理だけを当てはめて考えたときに、
息子はいつもどんな色のことも「赤」という。「青」と社会的に取り決められた記号を「赤」という。でも息子にとっては「青」であっても「赤」なのかもしれない。そこで私は、「違う青じゃなくて、赤だよ」と伝えることに疑問を持つ。

私の答えは社会性的観点からするとあっているかもしれない。だけれど
それでいいのかと考えている。終わりのない世界。

言葉の覚え方はを間近で観察しながら、言語学を学んでいると非常に奇妙なのである。それは私が言語学を十分に理解していないからだとも思うけれど、
言葉は記号でしかないと、ただの社会の取り決めだとしか思えなくなっている。

そんなことを考えるのが楽しい。
子育てしてこそ、勉強に深みがますのではないかと考えている。
わたしも、息子も同じ2年生だから。

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