若い友人の投稿詩2

無題 

あんたをつかまえてやるの

呪物(まほうのグッズ)使って


ひいひい呻くあんたのこと

この両腕の中にね


念じて投げたお札は

落とし穴に変わるわ


髪から引き抜いたばかりのヘアピンは

針のお山に変わります


ワタシが今履いているガラスの靴は

実は10km(キロ)を5分で走るシロモノ…


涙を流すあんたは

今ワタシの腕の中

せいぜい可愛がってあげるわ

ハッピーエンドをご期待🖤


若い友人から詩が届いた。無題ということですが題のつけようがない作品だと思う。いささか、いや、おおいに怪奇趣味の濃い作品。実は作品と言えるか、と一読して思ったことです。作品中の主人公が捕まえようとしているのは、憎い相手であるようだ。呪術を使って捕まえて、腕の中に収め、かわいがってやる、というのだから。ハピーエンドは主人公にとって、で、捕まえられた相手の結末ではないでしょう。最後のハートマークは夢の結末を迎えた主人公の心の形でしょう。怖い。作者の日ごろの怪奇趣味をよく知っている私でさえ怖い。作者の心が怖いのではない。作者にこういう妄想を抱かせる現実がきっとあるのだろうと思うゆえに、怖いのです。

人は与えられた人生を生きるしかないのだろうか。
天与の素質、資質から逃れられないのだろうか。
大谷の偉業に「前世で余程徳を積んで生まれられたんだろう、うらやましい」とコメントした人があった。大谷はあのような偉業を達成するべく生まれたのだろうか。勿論優れた素質に恵まれて生まれたには違いないが、その素質をフルに生かす努力を重ねてきたのではないか。その努力する資質も天与だと言われればもう議論にならないが、人間は遺伝子の奴隷なのだろうか。サイコパスという種類の人もいるから、そう思わないでもない。それでも、しかし、と私は思う。自分をよく知って振り返ることができれば,負の資質も抑えようとするだろう。遺伝子だって環境や経験によって出現したりしなかったりするのだ。

若い友人が、現実、おそらくは仕事で辛い思いをして、その感情を想像の世界で発散できるなら、詩を書くことは大いに癒しになるでしょう。自分の心を客観的に見ることができるでしょう。そして、明日も仕事に行くでしょう。そう思うといじらしくてならない。
私も自分と闘うのが辛い時はしょっちゅうある。自己嫌悪というやいばである。自傷から立ち直るのに時間が掛かるときもある。けれどもそういう時期をへて、少しづつでも生きやすくなっていって、老境の今はほとんど穏やかな気持ちで過ごしていられる。自分と和解できてきているのだ。
特異な感性も持ち主である若い友人が、詩と絵に支えられて、心の平安を得られるようにと心から願う。