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シャルロット・ペリアン1988年最後の来日イベントから 20年後


1963年のシャルロット・ペリアンと娘ペルネット・ペリアン。すてきです。


わたしは大手不動産会社のOLから転職して、インテリアの仕事を1987年から始め、2007年まで20年間は、Cassina Japan カッシーナ ジャパン という会社に在籍しました。まだ小さな会社で、経営はイタリアのCassina カッシーナファミリーがいて、伊日ともに創業者の時代、外資で合弁会社だった時代です。

37歳の頃から後半10年は、いろいろな事情から株式上場することとなり、わたしは、経営陣となりました。目指したポジションではなかったけれど、大きな使命感を持って引き受けました。

そして急に会社が大きくなる過渡期だったので、役員でリテール事業部統括でありながら、それまで兼務していた企画も引き続き遂行していました。わたしの企画は、数字=業績を上げるための現実的な施策。

このことはまた別に書くつもりですが、とにかく多忙な中でさらに、クリエイティビティも要求される企画(VMD,MD という職)は苦しかったですが、その分喜びも大きく、たくさんの出来事、出会いがありました。

企画の大きな仕事の一つがイベント。

その最初に担当したイベントが、前回書いた、1988年シャルロット・ペリアン最後の来日の展示会でした。

そして、その20年後 Cassina Japanで最後のイベントの仕事も、シャルロット・ペリアン展。娘のペルネット・ペリアン Pernette Perriand さんと S.ペリアンに関する書籍を出した映画製作監督のご主人が来日。

娘ペルネットさんも朗らかでとてもオープンな方で、わたしが1988年の母シャルロット・ペリアンの来日イベントの写真を見せるととても喜んでくださり、そのアルバムにメッセージを書いてくださった。

シャルロット・ペリアンに生前最後の来日イベントを担当し、その20年後に、娘に伝えることができるなんて、感動的でした。

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ペルネットさんの右にいるのが私。

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わたしの家にはペリアンの家具が一番多い。写真はLC2。そして写真にあるのは、ペルネットさんご主人がペリアンに関しまとめ書いた書籍。すばらしい内容です。

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ペルネットさんが本に書いてくださった。


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引用写真。わたしがCassina Japanで仕事を始めた頃はまだ、発泡ウレタンだったがまだ座面クッションは、羽毛フェザーで、ふわふわでした。この写真ほどではないが、オリジナルに近く、座るとしゅーっと沈み、ペシャンコになる。

80年代の日本人の感覚では、小さな自然な革のシボも傷としてクレームになった時代だし、イタリア本国で改良を重ね、成形ウレタンの構造と実用的に変化しました。

商品としては仕方のないことですが、オリジナルや古い写真を見るたび、美しいなと思ってしまいます。






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