見出し画像

女性優遇じゃないと女性抑圧なんだとよ

 フェミニストは女性優遇でないと女性抑圧と解釈するらしい。「いやいや、そんなバカな!」と思った人は、以下のXのポストを見て欲しい。

 「9-17時の仕事で気が狂いそう。一生続けるなんて無理」とSNS上で泣き叫んで炎上しレイオフされた、ブリエルというアメリカ人女性が居たが、方向性は違うがレベルとしては同じようなバカさ加減である。

 もちろん、現代社会の労働時間が長すぎるのではないかという問題提起自体が悪いわけではない。労働時間が短い方が望ましいのは間違いないので、一般的労働者の年間労働時間を減らす方向で社会が進んでいくべきであるとは言える。したがって、「労働者の余裕のある生活の実現のために、工夫して総労働時間を減らしていこう!」と声を挙げるのであれば、道理に合わない話ではない。

 しかし、あんなのカフェ氏(以後、あんな氏と略す)の主張が奇怪なのは、労働免除の女性特権が無いことが不当と考えているところにある。男性を含めた周囲のフルタイム労働者と同等に働いているとき、それら周囲の労働者の労働時間も含めて職場の労働時間が長いと訴えるのではなく、「周囲と同等であっても、女性がそれを免除されていないからダメなのだ!」と、男性労働者と同じ長さの労働時間に拘束されることが社会による女性抑圧と認識するのだ。

 明らかに異常な認識である。

 フルタイム労働者はそれぞれの興味関心、思想信条、趣味嗜好に従って労働外時間に様々な活動をするだろう。社会問題に対するアクティビティだろうが、ボランティア活動だろうが、はたまた趣味の寺社仏閣巡りや市民楽団への参加だろうが、友人知人との交流だろうが、あるいは家庭での家事参画であろうが何だって構わない。各フルタイム労働者は別個の個人なのだから当然それらはバラバラだ。

 このような構造のもと、フルタイム労働者全体が長時間の労働に拘束されたとしよう。当たり前の話だが、社会問題に対するアクティビティだけでなく、ボランティア活動も趣味の活動も友人との交流も家庭の活動も全て制限を受ける。特定のどれかの活動だけの制限になるわけではない。

 このとき「長時間労働は全ての私的活動に対する抑圧になる」と主張するのであれば妥当な主張と言えるだろう。

 しかし、あんな氏は全ての私的活動に対する抑圧ではなく、フェミニズム運動を念頭に入れたアクティビティへの抑圧と捉えるのだ。そのことを、太字で強調した箇所に注意しながら再度確認しよう。

自分がガチガチに働いている今、改めて思うことは、フルタイムで働きながら社会問題に関するアクティビティを続けるの、相当難易度が高いな、ということ。

今年は仕事で国際女性デーのイベントすら行けなかった。情報をアップデートする時間と精神的余裕もない。

こうやって黙らされていくのかも。

あんなのカフェ 2024/3/21 Xのポスト (強調引用者)

 まったく、このフェミニストの被害者仕草は本当に何なんだろうか。長時間労働で疲弊するのは男性労働者もまた同様である。それにもかかわらず、あたかも女性だけが一方的に被害に遭っているかのような

      「こうやって黙らされていくのかも。」

という表現をしてしまうところが、米山隆一氏が命名したフェミニストイズムの考え方である。

 非常に当たり前の話なのだが、男女それぞれの雇用者に占めるフルタイム労働者の割合は男性の方が高く、また常用雇用者の労働時間は男性の方が長い。厚生労働省が作成した以下のグラフでそのことを確認しよう。

出典:厚生労働省 雇用環境・均等局雇用機会均等課
「男性労働者及び女性労働者のそれぞれの職業生活の動向」

 上記のグラフから読み取れる、長時間労働によって疲弊することなく社会問題に対するアクティビティに参加できる度合いは女性の方が高い。この統計的事実から

      「こうやって男性は黙らされていく」

という理屈で、女性側よりも男性側が発言力を喪失していることを主張した場合、あんな氏を典型とするフェミニストは「Exactly(そのとおりでございます)」と同意するのかといえば、決してしないだろう。

 繰り返すが、労働外時間がそれなりに確保されなければ私的活動に十分な時間が確保できないとの事態は否定しない。長時間労働がフルタイム労働者を疲弊させて社会問題に対するアクティビティへの参加といった活動を行う気力を喪失させてしまうことは、当然有り得ることだ。

 また、使用者側(=雇う側)が、意図的に「小人閑居して不善を為す」という意識から労働者に長時間労働を課す可能性がゼロなのか、と言えばそんなこともないだろう。だが、使用者側が長時間労働を課しているフルタイム労働者は男性のほうが女性よりも多いのだから、「忙しくさせて余計なことを考えさせない」という手段によって意見の封殺がされているのは、女性よりもむしろ男性であるだろう。

 つまり、「国際女性デーのイベントすら行けなかった」との報告と共に、「こうやって黙らされていくのかも」との主張を行うあんな氏の認識において、フェミニストイズムの考え方が前提になっている。「女性労働者は社会問題に声を挙げるために、男性労働者と違ってフルタイム労働者でも疲弊しないように長時間労働が課せられない権利」という女性特権を当然の前提して、その女性特権が男社会によって侵害されたとの「加害者-男性、被害者-女性」の認識枠組みに基づく性差別主義のフェミニストイズム思考があるのだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?