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性別ではなく「専門家が同席すれば騙そうとしない」のだ

 何でもかんでも「性別のせい」にするのは、最近のフェミニズムの風潮ゆえだろうか。なぜ男性を悪魔化して「自分が女性だから被害にあった。もし自分が男性ならそんな目に合わなかっただろう」というフェミニストお馴染みの解釈図式に当てはめて事態を解釈するのだろうか。問題となった事態を齎した要因が性別ではなく状況であることがなぜ理解できないのだろう。

 物事の認識において他の有り得る可能性を想像する前に「男性を悪魔化すること」は男性差別に他ならないのだが、なぜそんな簡単なことが分からないのだろう。フェミニストのみならず女性達は、何か悪い事が起きたときに"魔女のせい"と認識した中世の魔女狩り精神が性差別であった事について御高説を垂れるにも関わらず、何か悪い事が起きたときに"男性のせい"と認識する「男性の悪魔化」が性差別であるとなぜ気づけないのだろうか。

 そんなため息をつきたくなる風潮の一例である、以下の記事がyahoo!ニュースに転載された。

 さて、今回note記事で取り上げる事態は以下のような事態である。該当箇所を上の記事から引用しよう。

 つい先日、アパートの退去をしました。 立会いの時に壁紙のクリーニング代とエアコンの清掃費を請求されたのですが、納得がいかず不動産屋の男友だちに聞いたら、どちらも払わなくていい費用でした。彼が電話で退去の立会いをしてくれた会社にそのことを伝えたら、お金は支払わなくていいことになりました。
 また、次の入居時にはハウスクリーニング代を払ったものの、実際にはハウスクリーニングがされていなくて管理会社に連絡したら、「ハウスクリーニングはしたのでお金は返せません」と言われました。その際も同じ友だちに助けてもらって、結局お金が返ってきました。
 今回の件で私は男の人から舐められるのだと初めて気がつきました。よく初対面の人から静かそう、おとなしそう、無印良品好きそう! などと言われがちですが、若い女性で静かそうってなるとこんな扱いをうけるのですか? ショックで夜しか眠れません。もう都会になんて住みたくないし、男の人のことを嫌いになってしまいそうです。
(みどり 22歳未婚 大学生)

「男性って若い女性を騙すものですか…?」22歳女性の「心が折れた体験と学ぶべきこと」
藤島佑雪  2023.12.11 anan web (強調引用者)

 上記の相談はジョーク「ショックで夜しか眠れません(※昼は起きて夜は寝ている=普通の状態)」を交えたものであるので、ふざけ半分の何処まで真剣なのか判断しづらい相談である。したがって、この相談で展開されている主張もどこまで真摯なものかハッキリしない。つまり、相談をした22歳大学生みどり氏の主張に対して批判をしても「冗談で言っているのに何で本気にしているの?」という逃げ口上が成立してしまう。みどり氏の主張とは、そんな卑怯さを伴った構造を持つ相談において為された主張である。そして、大抵の人生相談における主張がバイアス塗れであるのように、みどり氏の主張もまたバイアス塗れの主張である。当note記事のみどり氏への批判を読むにあたってこのことは念頭に置いて欲しい。

 また、みどり氏の相談に対して回答者の藤島氏は相談者に寄り添った回答をしている。すなわち「相談者の今後」という観点から不必要な否定はせずに軌道修正を図るという回答をしている。それゆえ、相談におけるみどり氏の主張に、藤島氏が気付いているかどうかはさておき、おかしな点があっても「相談者の今後」に関係しないのであれば態々指摘していない。指摘や批判をしても相談者であるみどり氏を依怙地にさせるだけで有害無益あるため藤島氏は否定するどころか同調すらしているのだ。この藤島氏のみどり氏の主張の一部への同調は相談技法の一種であって、実際に藤島氏がみどり氏の主張の一部を正しいと考えているわけでは恐らくはないだろう。つまり、記事における藤島氏の回答は藤島氏自身の思考とは異なる可能性が高い。とはいえ、このような藤島氏の態度はお悩み相談の回答者としてはあるべき姿ではある。

 しかし、バイアス塗れのみどり氏の主張が、記事において相談者のみどり氏が許容できる範囲のレベルに限定して不十分にしか否定されていないことは、言論世界の問題として捉えたならば男性差別を助長する記事となる。

 そこで、相談者のみどり氏の主張と回答者の藤島氏の主張に関して、あくまでも言論上の問題として両者の主張への批判を当note記事では行っていきたい。ただし、みどり氏への批判が中心であって藤島氏への批判は「みどり氏への批判がそのまま同調している藤島氏への批判となる」という形での批判となる。藤島氏への批判がそのような形である理由は前述の事情があるためである。


■みどり氏の事件の構造と各登場人物の性別の関係

 さて、構造をハッキリさせるために、みどり氏の事件を抽象化して考えよう。まず、登場人物について不動産屋の男性の友人をA、みどり氏をBとし、悪徳不動産業者をCとしよう。このとき、みどり氏の事件は以下のようなものだ。

フェイズ1:CがBを騙そうとした
フェイズ2:BがAに相談した
フェイズ3:AがCに対処することで問題が解決した

 事件の局面を抽象化してみてみると直ちに分かることだが、詐欺(未遂)事件において詐欺の被害者と加害者の間に第三者が入ると問題が解決するということは珍しい事でも何でもない。そして、その際において、A・B・Cのどの立場に関しても性別が男女どちらであっても大して変わらない。すなわち、

(A,B,C)=(男,男,男),(男,男,女),(男,女,男),・・・,(女,女,女)

という2×2×2=8通りのいずれであっても、当事者以外の第三者が介入すると詐欺に引っかかりにくくなる。このことはオレオレ詐欺で第三者の銀行員やコンビニ店員が詐欺を未然に防いだニュースでもお馴染みの構造である。また、第三者の重要性とどのような第三者が望ましいのかについては相談の回答者である藤島氏が以下のように示している通りである。

できれば世慣れた大人に一緒にいてもらいましょう。

同上 (強調引用者)

頼れる人がいるとわかったこと。イヤな予感がしても、人に頼るのはなんだか悪い気がして頼れないという人はたくさんいます。でもね、困ったときは頼った方が絶対にいい! なので、これからも自分の直感を見過ごさず、困ったときには人に頼るという生き方をしてください。

同上 (強調引用者)

決断する前に周囲の信頼できる人に相談してください。そうすれば、騙される確率はグッと減らせます。

同上 (強調引用者)

 さて、ここで各立場と性別の関係について簡単に考察してみよう。

 第三者のAの性別が男性ではなく女性であれば詐欺を防ぎ得なかっただろうか。また、詐欺に遭いそうになった被害者Bの性別が女性ではなく男性であれば詐欺被害に遭わないだろうか。そして、詐欺を働く人間Cの性別は女性は居らず男性限定であるだろうか。

 いやいや、まさか。警察庁のデータを引っ張り出して確認してもよいが、そんなことをせずともニュースで見聞きする事例を想起すれば十分だろう。

 例えば、オレオレ詐欺を未然に防止したことで警察から感謝状を贈られている人には女性が少なくない。また投資詐欺が発覚して被害者が詐欺会社に詰め寄るニュースが流れることもあるが、そのニュースに登場する被害者には老若男女問わず居る。また、最近話題になっている「頂き女子りりちゃん関連詐欺事件」を見れば分かるように詐欺師についても男性に限ってはいない。

 A・B・Cそれぞれの立場に性別が関係しないことは相談の回答者である藤島氏も指摘している。

しかし、ひどい話ですね! 知識のないシロウトを騙して余分なお金をとるなんて。

同上 (強調引用者)

世慣れていれば男女関係ありません。で、その人たちの振る舞いをしっかり頭に焼き付けて、自分も同じような話し方、交渉ができるようにするのです。こういうことは社会に出て、もまれていけば自然にできるようになります。

同上 (強調引用者)

ニュースを見れば、年齢を重ね、社会的地位も高い男性でも騙される人がそれなりにいることがわかります。

同上 (強調引用者)

世の中には自分を騙す人間がいるとわかったことです。しかも損失を出す前にわかったことが素晴らしいです。お金を払わずに勉強できました。

同上

 結局のところ、詐欺被害者は詐欺師の目から見て「詐欺のカモ」になり得る性質を持っていればよいのであり、性別がなんだろうがどうでもいい。また、詐欺を防止する役割を果たす第三者は、詐欺に対する合理的な疑いを持てる性質、すなわち、冷静さや客観性、あるいは知識があるならば十分であって、性別には左右されない。そして、詐欺師に関しては「他人を騙してやろう」という悪徳さによるのであり、そこに性別は関係しない。したがって、A・B・Cの立場に性別を関連させて認識することは、ジェンダー差別的認識なのであって、そこにはアンコンシャス・バイアスが潜んでいる。


■男尊女卑・男性特権の概念で歪む女性が創るジェンダー差別

 さて、22歳の大学生のみどり氏が悪徳不動産屋に騙されそうになったことについて、「静かそうな若者だとこんな扱いをうける」ではなく、殊更に性別を意識して「若い女性で静かそうってなるとこんな扱いをうける」と解釈したことは、明らかにオカシイ。

 もちろん、友人の不動産屋の男性がみどり氏の件で悪徳不動産業者に問い合わせるとマトモな対応が返ってきたことから、友人と自分の差異に着目したことはおかしなことではない。しかし、その差異には男女という性別の違いだけでなくもっと大きな不動産屋と大学生という違いがある。なぜ、不動産屋と大学生の違いに注目できずに性別の違いに注目するのだろうか。

 ここにフェミニストが馬鹿の一つ覚えのように繰り返す「男性特権」および「男尊女卑」の概念が深く関わってきているように思われる。

 不動産屋の友人が悪徳不動産業者にみどり氏の件で問い合わせをした際、不動産業界の知識を用いて問い質したはずである。例えば「大家が負担すべき経年劣化の範囲であるにも関わらず、原状回復費用として請求したのではないか?」「ハウスクリーニングを実施したことを証明する書類はどうなっているのか?もしも存在しないならば架空請求詐欺ではないのか?」といった業界人ならではの問い合わせをしたと思われる。悪徳不動産業者が返金してきたのは友人が努力して獲得した不動産業界の知識によって「この相手から詐取するのは困難だ」と判断したためだろう。それにも拘わらず、みどり氏は悪徳不動産業者が返金してきた理由を、おそらく彼の業界知識ではなく彼の性別に求めたのだ。

 専門家が専門領域のトラブルに適切に対処した場合に専門知識によって解決できたのだと考えるのが正常な思考である一方で、専門家の専門知識に注目することなく専門家の性別に注目するのは異常な思考であるだろう。つまり、悪徳不動産業者に対して同業種の不動産屋が対処してトラブルが解決したとき、そのトラブルが解決したのは対処した人間の不動産契約についての知識によってであると考えるのが正常な思考である一方で、不動産の賃貸借の契約についての知識となんら関係の無い性別によって解決できたと考えるのは明らかに異常思考である。

 また「知っているから適切に行動できる」という判断は、相談者のみどり氏のような学生がおくる学校生活においても妥当と感じられるであろうし、普段の日常生活を送る上でもその正しさを実感しているはずである。すなわち、学校生活における定期試験や課題のようなものが典型的であるが、それらは学んだ知識によって適切に解答できるようになる。また、日常生活においても、列車や飛行機のチケットの手配の段取りがそうであるように、ルート・料金体系、あるいは手続きなどの知識があるからこそ適切に行動できる。

 もちろん、知らない場合でも適切に行動できることは多々ある。例えば、能力の高さや注意深さあるいは熟慮の結果によって知識が無くとも適切に行動できることはある。だが、みどり氏と悪徳不動産業者とのやり取りは、そういった要因もあるが、むしろ不動産賃貸についての知識によって適切に行動できるかが決まる場合である。

 更には「男性だから適切に行動できた」あるいは「女性だから適切に行動できた」となる状況というものは、そんなにしばしば起こり得ることではない。ジェンダーバイアスで歪んだ認識抜きで考えて、「男性だから適切に行動できた」あるいは「女性だから適切に行動できた」と言い得る場合は、そんなには存在してはいない。絶対に存在しないとはいえないが、それは生殖や性愛に関係する事柄以外においては極々例外的な状況だろう。ましてや不動産の賃貸借に関する状況においては「男性だから/女性だから」という理由で適切な行動の可否が決まることは殆ど無いと言えるだろう。

 トラブル予防や解消に(専門)知識が大いに関与しているであろう状況にも拘らず、「女性だけのときにはトラブルの解消ができなかったが、男性が介入するとトラブルが解消した」という表面的な状況だけから、そのトラブルには性別が関与していると判断することは明らかに異常な判断である。知識の有無で差異が生じる状況の可能性を想起することなく、性別の差異によって状況の差異が生じたと判断したのは、なにがしかの偏見によってそのような異常な判断に誘導されている結果ではないか。

 すなわち、フェミニストが「女性が社会において不都合な目に遭うのは、この社会が男尊女卑社会であるからで、また、男性が社会のトラブルをスムーズに解消できるのは男性特権を持っているからである」という言説を振りまき、社会もまたそれが正しいと見做す風潮があるために生じた判断ではないか。つまり、あまりにもフェミニストが男性特権やら男尊女卑やらを念仏のように繰り返し大衆に刷り込むように唱えたせいで、恰もあらゆる不都合な現実に通底する真実のように認識されるようになってしまい、みどり氏もその「男尊女卑社会」という認識枠組みのもと判断したのではないか。まさしく「嘘も100回繰り返せば真実となる」や「三人成虎」「曹参殺人」との言葉通りの事態が出来していると言えるだろう(註1)。

 この状況の異常さは次のような例で考えるとよく分かる。

 顔面蒼白になって唸り声をあげながら倒れた友人が居たときに、女性である自分はオロオロして何もできなかったが、偶然居合わせた男性医師がテキパキと対処をして友人が事なきを得た場合に、「あの人は男性だからテキパキと対処できたのだ」と認識するだろうかという話である。居合わせたのが男性医師だろうが女性医師だろうが何ら変わることなく「医療知識のある医師だから適切に対処できたのだ」と考えるのが普通ではないか。もしも、このとき「対処してくれた医師の専門知識によってではなく『医師の性別が男性であった』がゆえに倒れた友人は事なきを得た」と考えたとしたら、それは明らかに異常思考であるだろう。

 上の例については資格職が持つ医療知識は高い権威があるために、現在のところフェミニストが唱える男性特権やら男尊女卑などの認知を歪める概念に貶められることはない。しかし、みどり氏の件で関係する、不動産屋が持つ業界知識は、たとえそれが宅地建物取引士等の国家資格を背景にしたものであったとしても、その知識は軽く扱われていると言えるだろう。つまり、フェミニストが喧伝するWOKE系の風潮に対抗できるだけの社会的威信がない知識は、正当な評価を得られることなく「状況を上手く解決できたのは知識があるからではなく、今の男尊女卑社会においてソイツの性別が男だったからでしょ」という、フェミニストが森羅万象の前提とおく男尊女卑社会という認識枠組みのもとでは顧みられないのだ。

 なんとジェンダー差別的な状況であることか。

 フェミニストは「女性が努力によって業績を上げたにも拘わらず、その努力に着目されることなく、女性という性別ゆえに業績を上げることができたと認識されるジェンダー差別」をしばしば問題視する。所謂、女性活躍の名目で昇進したと見做されてしまう女性管理職や女性の大学教授、あるいはリケジョや○○女子といった女性の特別扱い、女子アナが典型的なキラキラ職の女性、あるいは専業主婦の経験によって得た家事技能により適切な行動が出来た女性等を巡る言説で、それらの立場を得たことや適切な行動が可能であった事に関して、努力・知識・能力等に帰着させることなく女性という性別に帰着させる認識に対しては、社会に存在するジェンダー差別が顕在化したものとしてフェミニストは非難する。すなわち、女性に関して、個々人の努力によって獲得した専門性等を評価することなくジェンダーに付随する特権によって成果を得たのだと解釈することのジェンダー差別的認識をフェミニストは糾弾してきた。

 しかし、「個々人の努力によって獲得した専門性を評価することなくジェンダーに付随する特権によって成果を得たのだと解釈することのジェンダー差別的認識」というものは、男性だろうが女性だろうが晒されることが有り得るジェンダー差別的認識である。つまり、女性に対するジェンダー差別としてフェミニストが糾弾してきたジェンダー差別はなにも女性限定ではない。男性に対するジェンダー差別にもなるものだのだ。

 もちろん、男性特権や女性特権の言葉が指し示すように、ジェンダーに付随する特権によって成果を得ることもまた存在している。しかし、それは実際に特権として機能している実態があればこそ、その場合に限って男性特権やら女性特権の概念は実態を適切に指し示すこととなる。逆に言えば、実際に特権として機能している実態がないにも関わらず、男性特権や女性特権によって成果を得たと見做されることは、ジェンダー差別に他ならない。

 フェミニストは「この社会は男尊女卑社会だ!」とのシュプレヒコールによって、「男性の努力・能力・知識」を無視して「男性という性別」にすべてを帰着させる歪んだ認識を、人々に、とりわけ女性に焼き付けている。つまり、フェミニストは壊れたレコーダーのように「この社会は男尊女卑社会で、男性だけが男性特権を持っている(女性は女性特権を持っていない)」と繰り返し吹聴し続けることによって、フェミニスト自身がジェンダー差別構造を創り出しているのである。

 フェミニストは「ジェンダー差別反対!」と口先だけで主張するものの、実際の彼女らの言論活動をよくよく見てみると、彼女らの言論活動はジェンダー差別的活動なのである。それは、フェミニストのアンコンシャス・バイアス、いや、フェミニストのアンコンシャス・セクシズム(無意識の性差別主義)と言っても過言ではないものだ。


■知識のないシロウトだから騙す

 前節で色々と解説したものの、みどり氏の相談に関して「友人と自分の比較考察した結果から友人がトラブルを解決したのは友人が男性だからであると認識した」とは明示されていない。したがって、前節で示したのような経路、すなわち"男尊"側の経路によってジェンダー差別的認識に至っているのではなく、"女卑"側の経路によってジェンダー差別的認識になっているのかもしれない。そこで、この節では後者の観点からみどり氏のセクシズムを考察していくことにしよう。

 さて、悪徳不動産業者がみどり氏を騙そうとしたのは、みどり氏が「詐欺のカモ」としての性質を持つと考えたからだ。では、その悪質不動産業者が考える「詐欺のカモ」としての性質とはなんだろうか。それは先に引用した藤島氏が指摘した性質が「詐欺のカモ」なのだ。

しかし、ひどい話ですね! 知識のないシロウトを騙して余分なお金をとるなんて。

同上 (強調引用者;再掲)

世慣れていれば男女関係ありません。で、その人たちの振る舞いをしっかり頭に焼き付けて、自分も同じような話し方、交渉ができるようにするのです。こういうことは社会に出て、もまれていけば自然にできるようになります。

同上 (強調引用者;再掲)

 上記の引用においても指摘されている通り、22歳の大学生という人間は大抵の場合において知識のないシロウト・世慣れていない人間である。つまり、22歳の大学生の転居は大抵の場合に自分ひとりで行う初めての転居、あるいはそれに近い体験であって、これまでの人生経験から「転居ってこんな感じだよなぁ」という大まかな見通しが立てられるようなものではないのだ。より具体的に言えば、「入居者の原状回復義務はどれくらいの範囲であるのか」「ハウスクリーニングをした状態はどの程度になるのか」といった不動産賃貸に関する知識が不十分である状態で臨む体験なのだ。

 これを悪徳不動産業者の視点からみれば、22歳の大学生という人間は不動産賃貸に関する知識もなければ経験もないために「違和感を抱けない=騙されていることに気づけないという状況にある人間、つまりは「詐欺のカモ」であるのだ。譬えてみれば、現地のことは右も左も分からないためにボッタクリに遭う外国人観光客と同様なのである。詐欺師にとって「コイツ(=ターゲットとなる被害者)、なんにも分かっていないな」ということが重要なのであり、ターゲットの性別などクソどうでもいいことだ。

 逆説的な話ではあるのだが、モラルや綺麗事など詐欺師にとってどうでもいいからこそ、彼らにとって一銭の儲けにもならない社会のジェンダー的価値観、すなわち男尊女卑的価値観など無意味なシロモノなのだ。したがって男性の方が騙し易いならばターゲットは男性になり、女性の方が騙し易いならばターゲットは女性になる。そして、騙し易さに性別が関係しないならば詐欺師は男女関係なく詐欺のターゲットにするのだ。"尊"やら"卑"やらの価値と性別とを結びつける判断など詐欺師はしない。そんな価値判断を行う理由が詐欺師には存在しない。

 ここで、「旧来のジェンダー規範によって女性が騙されやすくなっている構造があるのではないか」との反論があるかもしれない。

 確かに女性の社会進出が珍しかった時代の中年期以降の人間に関しては、「当時のジェンダー規範によって、中年女性は社会経験が少なく中年男性は社会経験が豊富であり、社会経験の豊富さに由来する詐欺への注意力や危機感に関してジェンダー格差が存在した」と主張されたならば、さもありなんといったところではある。

 しかし、2020年代にもなって、しかも社会人経験など原則的に存在しない大学生という立場で、そのような観点からのジェンダー格差が生じるとは考えられない。それどころか、相談回答者の藤島氏がいうように、詐欺被害の未然防止に当たって絶対的に重要な「他人に相談する」という行動で考えれば、ジェンダー規範に関して女性の方が遥かに男性よりも優位に立つ。再度、藤島氏が詐欺被害防止にあたっての他者への相談の重要性を強調した箇所を引用しよう。

イヤな予感がしても、人に頼るのはなんだか悪い気がして頼れないという人はたくさんいます。でもね、困ったときは頼った方が絶対にいい! なので、これからも自分の直感を見過ごさず、困ったときには人に頼るという生き方をしてください

同上 (再掲)

 ハッキリ言ってしまえば、詐欺師にとって「詐欺師-ターゲット」の間に第三者が割り込んでくることほど、詐欺がやりにくいことはない。このことは安倍元首相暗殺から頻繁に取り上げられるようになった、反社会的新興宗教の洗脳の手口に「第三者から完全に切り離す」というものがあることからも明らかだ。また、「他人よりも自分の方が頭の出来がよいと考えている(ただし、異次元に賢いというわけでもない)自信家こそが、第三者である他人の意見を求めようとしない、あるいは聞き入れようとしないために、詐欺に引っかかり易い」という傾向からも、詐欺被害防止には第三者への相談が重要であることは明白だ。

 したがって、男性ジェンダー規範の他者に頼るのを恥とし独立独歩を良しとする規範は寧ろ詐欺師にとっては「詐欺のカモ」として好都合な規範である一方、女性ジェンダー規範の他者に頼ることは恥でも何でもないという規範は詐欺師にとっては不都合な規範なのだ。つまり、ジェンダー規範で考えるならば「困ったときには人に頼るという生き方」に関して男性よりも寧ろ女性の方が容易であるため、「対詐欺被害」という観点からは女性有利なのだ。

 以上で明らかにした詐欺被害・詐欺被害防止の構造をまとめると次のようになる。

  1. 大学性は不動産賃貸において「世慣れていない知識のないシロウト」である

  2. 詐欺師が重視しているのはターゲットが「世慣れていない知識のないシロウト」であることである

  3. 詐欺被害は「困ったときには人に頼るという生き方」によって遭いづらくなる

  4. 対詐欺被害の観点で重要な「困ったときには人に頼るという生き方」に関して、男性ジェンダー規範からの制約がある男性と異なり、女性ジェンダー規範からはあまり制約が無い女性の方が有利である

 上記の事柄における男女の性別の関係について、もう一度簡単に確認しておこう。

 大学生が不動産賃貸に関して「世慣れていない知識のないシロウト」であることは、男女の性別と一切関係が無い。また、詐欺師にとって重要なのはターゲットが「世慣れていない知識のないシロウト」であることなのであって、ターゲットの男女の性別はどうでもよいことである。そして、詐欺被害防止にあたっては「困ったときには人に頼るという生き方」が出来るかどうかが決定的に重要なのであって、性別が男性であるか女性であるかは重要ではない。その上で、「困ったときには人に頼るという生き方」が出来るかどうかに関して、ジェンダー規範からは男性にとって難易度は高い一方で女性にとって難易度は高くはない。

 以上の考察から理解できるように、みどり氏が不動産賃貸において詐欺被害に遭いかけたのは「世慣れていない知識のないシロウト」と悪徳不動産業者から見做されたからに過ぎず、性別が女性であったからではない。更には、詐欺被害に遭いかけたときにみどり氏が不動産屋の友人に頼ることができたことについて、困ったときに他人に頼ることに忌避感を覚えにくく、友人もまた手助けに抵抗を感じない、みどり氏の女性ジェンダーが寧ろ有利に働いている。

 したがって、この事件を巡るみどり氏の状況は「女卑」というよりも「女尊」ともいうべき状況であったと言える。それというのも、もしみどり氏が男性であれば不動産屋の友人に頼ることを男性ジェンダー規範から良しとしなかったかもしれず、更には友人もまたみどり氏に男性ジェンダー規範を適用して「トラブルは自分で解決しろよ」と突き放した可能性も無くはないからだ。

 それにもかかわらず、みどり氏が事件から以下のように考えたことは異常である。

今回の件で私は男の人から舐められるのだと初めて気がつきました。(中略)若い女性で静かそうってなるとこんな扱いをうけるのですか?

同上 (強調引用者;再掲)

 男女問わず右も左も分かっていなさそうな人間がボッタクリに遭いやすいことなど自分が経験せずとも海外旅行の話でよく聞くであろう。そんなことは大学生であれば常識の範囲のはずだ。また、詐欺師に男女の別が無いことなど新聞の三面記事でお馴染みであろう。つまり、不動産賃貸においてボッタクリに遭いかけたことに関して、男女の性別は大して関係が無いことなど簡単に気付けるハズであるのに、どうしてみどり氏は気づくことが出来なかったのか。そして「男尊女卑社会における劣等的な女性の地位によって自分は不動産賃貸においてボッタクリに遭った」という異常な認識に何故なったのか。

 そこには、前節でみたものと同様の「女性にとって不都合が生じた出来事は一から十まで男性の責任とする『この社会は男尊女卑社会である!それゆえ女性は不幸になるのだ』というフェミニズムの認識枠組み」というバイアス塗れのセクシズムという他ない、社会に蔓延した歪んだ思想が介在している。フェミニスト達が声高に叫ぶ「男尊女卑社会だ!男性は女性を常に抑圧する!女性はいつもいつも被害者だ!」という掛け声によって、正常な思考ができないように歪められて、男性を悪魔化してしまったのだ。

 実際に起きた事件がどのような構造を持っているか周りを見渡して考察することなく、フェミニストが弄ぶ男性悪玉論の物語に耽溺して「なんて可哀想な私!」と悲劇のヒロインとなって酔いしれている。

 フェミニスト達は今回のみどり氏に限らず、現を抜かして悲劇のヒロインを気取る女性を量産している。そして、諸悪の根源としての男性という非現実的な幻影を流布して男性を貶め続けている。

 まったくもってフェミニスト達は「ジェンダー平等を目指しているんです!偏見の無い世の中を創り上げていきたいんです!」と美辞麗句をまくしたてるものの、実際にはセクシズムという害悪を振りまいているのだ。




註1 「嘘も100回言えば真実となる」という格言はナチスのゲッペルスの言葉とされるが、実は彼はそのような事を言っていない。もちろん、「中らずと雖も遠からず」といった言葉は言っている。しかし、この格言通りの言葉は言っていない。「『嘘も100回言えば真実となる』はゲッペルスの言葉である」と認識されていること自体が、嘘であっても繰り返されるうちに真実と認識されるという格言通りの事態である。
 ところで、真実でないものが別々の人から繰り返されると真実と認識されてしまうことを言い表した四字熟語として「三人成虎」(出典『韓非子』内儲説上)「曹参殺人」(出典『戦国策』秦策)等がある。どちらの言葉も「どんなに信じがたいことでも別々の三人の口から伝えられると真実と認識してしまう」という説話から生まれた四字熟語である。因みに「三人成虎」は「市場に虎が出たぞと三人から聞くと信じてしまう」というもので、「曹参殺人」は「三人から『人格者の曹参(実は同姓同名の別人)が人を殺した』との知らせを聞いて最初は信じないが最後には曹参の母親も信じてしまう」というものである。
 「嘘も100回言えば真実となる」と「三人成虎・曹参殺人」とでは、100回繰り返して耳にする事・別々の3人の口から耳にすることと微妙に異なる部分もあるのだが、これらの格言はそれらしく言説が繰り返されると真実と認識してしまう人間の認識の弱点を言い表している。


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