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ガンジス川に人生を変えられた話

インド渡航回数15回、トータル滞在期間4年以上の私。初対面の人にそう言うと、よっぽどのカレー好きかインドに魂奪われた人間のどちらかにしか思われない。

インドに惹かれた要因は色々あるけど、全てのきっかけはガンジス川かもしれない。インドといえばガンジス川、といっても過言じゃないくらい、私の中でガンジス川の存在はでかい。

今日は、私が「インド」を語るうえでに欠かせないガンジス川についてお話ししたい。

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私が初めてガンジス川に出会ったのは10年前。
フリーターだった19歳の冬、1人でインドを旅したときだ。

当初はメジャーな都市だけ廻って帰るつもりだったので、ついでに寄ったバラナシという街。街の中心に流れる、チャイのような薄茶色に濁った川が、ガンジス川だ。

第一印象は「こんな川見たことない」だった。

波紋も、流れも、無数に浮かぶボートも、川向こうに登る朝陽も、川沿いに並ぶ緻密なデザインの寺院も、濁った川で洗濯をする人々も、すべてが唯一無二のものだった。

ガンジス川の流れに沿う街並みが、この世のありとあらゆる景色の中で、いちばん美しいと思った。10年経った今もその気持ちは変わらない。

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日本に帰ってからもバラナシという街が、ガンジス川のことが忘れられなかった。寝ても覚めても、夜中に起きたトイレの中でさえ、インドのことを考えていた。

「あの街に長く住んでみたい」そう思い、バラナシの国立大学のヒンディー語コースに留学した。

10ヶ月間の留学中、毎朝毎夕ガンジス川沿いを散歩した。
朝5時に起きてまだ薄暗い小道を、道を占領して寝ている牛とデカい糞をよけながら歩くと、夜明けの中に照らされる静かなガンジス川が迎えてくれる。

観光客を待ち構えるボートマンも、私には声をかけてこない。古株すぎてビジネスの対象にならないことを知ってるから。パッと私の顔を見るなり、「あ、あいつか、」という顔でうつむく。

朝陽が昇る前のガンジス川はとても静かで心地いい。
楽しそうに泳ぐおじさん達、祈りを捧げる人、沐浴するおばさん、チャイをすする若者、老若男女が思い思いの時間を過ごしている。

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いつもチャイを一杯飲んで、太陽にきらきら光るガンジス川を見ながら少し瞑想をするのが日課だった。


一年中観光客が絶えないこの街で、無数の日本人旅行者と出会った。

こちらが日本人とわかるとすぐ話しかけられるし、在住者とわかると美味しいご飯やを紹介してくれとか、バラナシでの過ごし方を教えてくれといつも言われた。

「この街は、特に計画を立てず路地を散歩したり、行き当たりばったりでぼーっと過ごすのがいいですよ」というと、旅行者たちはきまって納得いかない不思議そうな顔をした。

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ウェイ系男子大学生にはいつも「やっぱ沐浴とかするんです??www」とか「インド人男性からモテますか??www」と聞かれて、心底うんざりしていた。カフェなどで日本人男子大学生を発見すると、気配を消して中国人のふりをしていた。

「仕事をやめて、とりあえずインドに来てみた」という20代後半から30代前半の日本人もけっこういた。

まだハタチだった私は彼らと一緒にガンジス川を見つめながら、「まあ人生長いので、あせらずいきましょう。このタイミングでインド来て正解ですよ。」なんて言っていた。思い返すと、これが今やっている人生相談聴きやさんの走りだったかもしれない。

私も留学中、人間関係や恋愛、進路などいろんなことで悩んで、ときには人生に絶望し自分に絶望しながら、気がつくとガンジス川沿いに座ってゆく川の流れを見つめていた。いつまでもいつまでも。

絶えず下流へと流れる川を見ていると心が落ち着いた。今自分が抱えている苦しさ、どうしようもない孤独感、もどかしさ、自分を好きになれない気持ちも、永遠に続くものではないのだと思えた。

日本人はみんな人生に悩んだら、インドに来ればいいのにと思った。

全く違う価値観やにおい、風景の中に身をおいて、自分自身ともう一度出会えばいいと思う。

死にたくなったら、死ぬ前に一度インドに足を運んでほしい。
悩んでいたことがどうでもよくなるような場所だから。

来ては去って行く旅行者を見つめて、私は彼らがうらやましかった。彼らには「帰る日常」があって、この街のことを、ガンジス川のことを忘れることができる。

私には忘れられない。一度出会ってしまったら、もう一生忘れられない。

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留学を終えて日本の大学に入った後も、バイトで10万貯まる度に年2回インドに飛んだ。

その度にガンジス川は変わらない姿で迎えてくれた。
川沿いのチャイ屋の親父も、ボートマンも、土産物屋の店主も、私のことを覚えていて、少し痩せた私を見ると心配そうに「日本での暮らしは大変なのか?ほら、これ食べろ」とビスケットやヨーグルトをくれた。

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バラナシに着いてガンジス川沿いの風景を見るたび、「ああもうどこにも行かなくていいんだ」「もうどこにも行きたくない」という気持ちになった。

私にとってバラナシはいつだって最終目的地だった。インドの他の街に行っても、すぐバラナシに帰りたくなった。

タイやベトナムに行っても、インドらしい混沌さやインド人の屈託無いフレンドリーさを探していた。それらはインド以外の場所にはどこにもなかった。

今はだいぶ大人になり心と体のバランスも取れたので、バラナシにしょっちゅう行かなくても生きていけるようになった。

目をつぶればすぐに思い出せるくらい、一本一本の路地や、チャイの風味や、偉大で荘厳な母なる川の景色が心の中に染み付いている。

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あの場所がこの地球上にあるということが私の支えになっている。
いつか子どもができて年を取ったとき、私の遺灰はガンジス川に流してねと言うつもりだ。


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