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エッセイ『今日みたく青い空の日に珈琲を飲むことができる、幸せ』

24年前の6月の「よく晴れた日」。
今日のように空は本当に青かった。
まるで南の島の台風の後のように
文句つけようの無い、青空だった。

19歳だった僕ら。
安全な大学の中ではしゃいでいた。
誰もがまるで舞台の主人公のよう。

でもその日、仲間がひとり死んでしまった。
とても輝いている人だった。
それはあまりにも突然過ぎて、時を止めた。
誰にもどうにもならない事故だったけれど
ガラスの割れる音で、その日時が止まった。

あれから事あるごとに自分に問うてきた。
僕は、思いっきり生きているのか?
僕は、精一杯生きられているのか?
青空に散った美しかった彼の分も。
二十歳(ハタチ)になるのを待たずに
消えていった多くの若者たちの分も。

テレビに出ている、一見華やかそうな人達が
自ら命を絶ってしまう事を責めたりはしない。
でも、共感は出来ないし、褒めたりも出来ない。

生きたくても生きられなかった、悲しみを知る。
心がどんなに折れても、その体は生きてるんだ。
まだ、何か出来たのでは?と思ってしまうんだ。

僕だって、まいにち、みっともないさ。
何者にもなれていないさ。
しかも諦めてもいないさ。
カッコ悪く、お行儀悪く。
でも、生きていく。
生かされてるから。

僕が宇宙の本や動物たちの本が好きなのは
自分の日常の悩みのちっぽけさ
人間のちっぽけさが分かるから。

青い空の日こそ、命は消えてしまう。
だからこそ、僕は全力で生きるんだ。
もう終わりだとハッキリ言われるまでは。
言われたって、一度はきっとあらがおう。

こんな青い空の日に、珈琲を飲める幸せ。
ただ、


お気に入りのカフェラテ

それに、ありがとうございます。





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