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【CS修行の道:69日目】相手を「疑う」ことは、むしろ積極的に行われるべき

相手を「疑う」ことは、否定ではなく「理解」し「解釈」するためのプロセスだそう。

「疑う」という言葉から何を思い浮かべるでしょうか?
”容疑者”のようにネガティブなイメージを持つ人が多いかもしれません。

また、自分の意見に対して「疑いの目で見られている」と感じると、あまり良い印象は受けないですよね。
「疑われている」=「嘘をついている」という脳内変換が、無意識のうちに行われているかもですね。

ただ、チームや社内で意見を交わす場では「相手を疑う」ことは決してマイナスではありません。むしろ健全なやり取りとして称賛されるべきだと考えます。

「何かをすること」を決めるためには、「何かをしないこと」を決めることになります。一方を採用し、もう一方を不採用にする。
この判断をするためには、お互いの意見を理解する必要があります。

自分と異なる意見が出てきた場合、どうしてその意見に到達したのか、その思考や背景を理解する必要があります。
ここで相手の考えを「疑う」必要があるわけです。

「なぜその意見になったのか」「その理由で、本当にその結論に行き着くのか」「逆の意見はないのか」と考えることで、相手の意見を理解し解釈して、議論を重ねていくわけです。

その上で相手への反対意見を述べたとしてもそれは否定ではなく、「議論」を深めているだけです。
その一瞬だけを切り取れば「AさんがBさんに反対意見を出した」という構図になりますが、その議論のゴールは「チームや会社の進むべき道筋を決めること」です。

AさんもBさんも目指すべき理想の姿を実現するための方法を考え、どちらがより良いかを議論しているだけなので、AさんVS Bさんという図式自体が意味を為しません。

何をすべきか(チーム、会社のために必要なことを決めること)を理解すれば、相手の意見に対して「疑う」ことも躊躇することはなくなるでしょう。
自分に対して反対意見が出てきたとしても、より良い議論ができていると、むしろポジティブに捉えることができると思います。

議論する上では、相手を「疑う」ことは敬意を表す行動だと考えるべきですね。
自分もそういう考え方ができるようになりたいです。

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