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平井堅「Kiss Of Life」が唱える無形の愛について。

祝・リリース20周年。ドラマ主題歌のイメージが強く歌詞の本質に迫るような本格的な議論には至らなかった感があります。ダンス音楽界隈にはm-floの「Come Again」やChemistry「Point Of No Return」、FPM「Beautiful Day」などと並ぶ2ステップ不朽の名作として刻まれている。曲名は「起死回生の一手」という意味合いで用いられる英国スラングでもあります。

歌詞に注目してみても、具体的な男性性あるいは女性性のモチーフは一切、出て来ない。例えば「髪の匂い」とか「香水の香り」なんて書いてみれば、露骨に女性的モチーフを演出できますがしかし、本作にはそれが一切ない。むしろ意図的に排除したまである。本稿のカギを握る要素の一つです。より深いところに楽曲のメッセージ性が眠っている、そんな気がして筆を執る。

些かセンシティブな話題ではありますが語弊を恐れず自身の経験から話せば、男性が男性を、女性が女性を好きになって何がいけないのかわかりません。主宰は男子校出身、身近に同性カップルを見つつ育ったこともその一因か。長い子だと幼稚園児時代からの幼馴染みもいましたね。最初こそ驚きましたが、多感な思春期を同性に囲まれながら過ごすということはそういうこと。

落ち着く存在/空間たり得ることに、何ら不思議がなかった。

こくごく自然な流れの中で起こった出来事だった。ですから、一切の違和感も嫌悪感もない。むしろそれ以前に人として「好意的に人と接する」というコミュニケーションの基本を学んだ。そこに性別の壁なんていうものは存在しなかった。単純に人に優しくなれること、愛を持って接することの大切さが何より先にあって。その延長線上で恋愛感情が芽生えただけ。

同性愛者とて異性愛者とて、みだりに公にカムアウトさせられるような謂れもなければハナから人が人を好きになることに理屈なんてありません。ただ2001年当時はそういった価値観、考え方がなかなか受け入れられなかった。平井堅が歌う無形の愛。「言葉の刃に負けないように/心に麻酔をかける」から始まる印象的な歌い出しの真意は、そこにあったのかもしれません。

モチーフを意図的に排除することで楽曲により強いメッセージ性を込める。

ヒット曲に恵まれ始めた時期に敢えて、世間に対するカウンターを打った。単なる反発心だけなら「周りなんてどうだっていい」だとか「私の生き方を貫く」ぐらい具体的にハッキリと力強く歌詞を書くはずです。それなのに、あえて具体的言及を避け、特定の誰かに刺さるワードを選び取るでもなく。21世紀の幕開けと共にこの楽曲をリリースしてみせた。 

という解釈も、果たして現代では成り立つのでしょうか。この20年で時代がやっと追いついてきた感がある。デジタルネイティブなんて叫ばれる時代。直接顔を合わせなくてもそれらしいコミュニケーションが成り立ってしまう時代。奇怪なウイルスとの共存を余儀なくされた時代。本当の意味で人が人を愛せる時代に変わりつつあるのかなというささやかな実感と希望的観測。

氏は2年後同じガラージスタイルを採用した「style」という楽曲をリリースします。歌詞の一部には「break your style/break your rule」なんて一節が出てきたり。より具体的でより直接的なメッセージ性が加わっていることがわかります。こうした世界観の集大成的作品といえばやはり「瞳をとじて」だと思いますよ。瞳をとじて君を描くよ「それだけでいい」ですから。

この楽曲でもやはり、ジェンダーという概念が意図的に取っ払われている。それでいて存在をありのまま受け止めてくれるような無形の愛の形がある。Let it be(あるがままに)を地で行くミュージシャンと言い換えて差し支えないかもしれません。平井堅のブレない基本理念が、色濃く表れている。生半可なポリコレも、LGBTQIAも、フェミニズムもない。

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