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幸せは誰かに決められるものではない

色々あって、しばらくnoteからは離れてしまっていましたが、また思うことを綴っていきたいなと思い、戻ってきました。
更新頻度は決めていないですが、定期的に書きたいと思っています!

自分にとっての幸せを決める

最近の私のテーマは「自分を好きになる」ことです。自分に自信が持てない、全部何か上手くいかない気がするのも、結局、自分自身が好きになれていないからだなと感じています。

どんなに、周りが羨む環境にいても、賞賛や評価が得られたとして、自分自身が自分を認めていなければ、それらも「たまたまだし…」「自分は〇〇さんと比べて大したことないし…」と卑下してしまいます。

客観的に見たら、私もおそらく恵まれている方の環境ではあるはずなのに、私も自分自身を認めることができず、成果や良い評価をもらっていたとしても、達成感や嬉しいなと感じられたことがあまりないです。

まずは自分を認めるために、自分は何が好きなのか、何をしているときは幸せを感じるのか、を最近見つめ直しています。自分が好き!と思うことはなるべく実行するようにしているのですが、まだ自分を好きになりきれるところまでは行っていません。

最近読んだ本に「幸せは存在しない」といったような内容が書かれていました。ご飯が食べられるだけでも幸せ、という人もいれば、年収1000万円稼いでいて、かつ家族がいても幸せではない、という人もいます。

人生の目的は人によって色々あると思いますが、ざっくり括ってしまうと「幸せになること」だと思います。でも、その幸せは自分にとって何なのかは誰も教えてはくれません。

稼ぐこと、出世すること、結婚すること、子供がいること…、いわゆる「幸せ」と一般的に言われていることが、本当に自分にとっての幸せになるのかは他人が決めることはできません。

一般的な価値観を当てはめず生きることは、社会で生きる上ではかなり難しい、と思うのですが、それで苦しい思いをするくらいなら、その価値観を手放すことも必要です。

仕事での評価や成果ではあまり達成感を感じられないのも、評価や成果は私にとっての幸せではなく、もっと別のものが私にとっての幸せになりうるのだと思います。今の時点ではそれは何なのか見えていませんが、一般的な価値観に捉われすぎず、自分なりの幸せを模索していきたいと思います。

こうあるべき、を手放す

元々私自身が、空気を読みすぎ、周りに合わせる、一般的な価値観でガチガチな人間なので、何事においても「普通はこうでなければいけない」という気持ちがとても強いです。

それが原因で、心が苦しかったり、気持ちが沈んでしまうことが多く、どうにか変えられないかと、心理学系の本を読んだり、セミナーなどに参加したりと試行錯誤をしていく中で、少しずつ固定観念を手放せるようにはなってきました。

ただ、まだまだ固定観念が染み付いている部分があるので、人に言われたことでいちいち落ち込んだり、上手く自分を発揮できないと思うことも多いです。

自分がこうしなきゃ!と思ったことに対して、一つ一つ、「これはこうあるべきなのか?」を考えて、「いや、別にこうしてない人もいるよね。じゃあいっかー」と気楽に捉えるような意識づけをしています。

こんなに適当でいいのか?と思う時もあるのですが、意外とそれでちょうど良いこともあり(むしろ今までが考えすぎていた)、こうあるべきが思い込みだったなと気付かされました。

正解も、幸せも存在しなくて、「これが正解」「これが自分にとっての幸せ」と思えるものを大事にすることが、唯一、明確に言えることだと思います。

最後に

ここ最近感じていることを雑多に書いてしまいましたが、やっぱり書くことで頭が整理された感覚がありました。

しばらくnoteを離れている間も、昔の記事にスキやフォローの通知が時々来ていて、それを見る度に、読んでくれて、少しでも良いと思ってくれる人がいるんだ、また何か書こうかな…と思わせていただきました。

離れている間に、悩んだこと、辛かったこと、嫌だったこと…。そして、それにどう対処したか、解決したかなど、もしかしたら、いま、同じように悩んだりしている人に、何かヒントになるのではないか、と思って、また今後も書いていきたいと思っています。

正直まだ解決できてない悩みが大半であったりするのですが、今の思いをログとして残すことが、将来の自分や、同じように悩む人に何か役立つのではないか、思っています。

また思ったことや感じたことなど、綴っていきたいと思います。ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

salar

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