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私だけにエモい街

幼馴染のKちゃんのお母さんが亡くなった、と年末の喪中葉書で知った。

Kちゃんの家族には、子供のころ、よく遊びに連れて行ってもらった。
横浜博。湘南の海。東急線のスタンプラリー。
子どもの頃の思い出には、Kちゃんとそのご両親が関わってくれている。

Kちゃんの住む街、つまり私が育った街には、実はもう25年も行っていない。
親戚がいるわけでもないし、
仲のいい友達に会う時にはみんなが集まりやすい新宿で会うことが多かったから。
引っ越した5年後に一度Kちゃんの家に遊びに行って、
それからもう25年経ったことになる。

高校時代の友達と午後から会うことになったので、
その前にKちゃんの家に行って、お母さんにお線香を上げさせてもらうことにした。
始発の特急に乗って、何度か電車を乗り換えて、
懐かしい最寄駅に到着。
きっといろんなところが変わっているんだろうなと思ったから、
駅からKちゃんの家までの20分間の道のりは歩くことにした。


駅の前のケンタッキーフライドチキンの店舗は、まだあった。
坂道の途中にある「とうきゅう」は、オシャレな名前のショッピングセンターに変わっていたけど、
1階から入って2階に抜ける通路はそのままで、テナントが変わっても迷わずに歩けた。

友達の家族が経営していた本屋さんは、コンビニになっていた。
31日にだけ寄り道していたサーティワンの店舗は、もうなかった。31日はシングルの値段でダブルが買えたような気がする。

歩いていたら、曲がろうと思っていた道を通り過ぎていたことに気づいた。
その道がある風景と今の風景が変わりすぎて、道を見落としたのかもしれない。
まあいいや、次の道で曲がろう。
マンションが建って昔の面影はない交差点で曲がってみた。
よかった、合ってた。見覚えのある住宅地に入った。

思えば坂道の多い街で、駅からの道はずっと下り坂だったけれど、ここからは上ったり下ったりの道になる。
先の見えない上り坂が、なんだか懐かしい。
全然フォトジェニックじゃないし、雨が降っていて荷物が多いし、写真を撮るメリットはあまりないんだけど、
私にとっては懐かしい、心を揺さぶられる「エモい」道だったから、写真を撮った。

先の見えない上り坂。
ただただ、上る。
坂道は続く。

このあたりは通学路だった。グリーンベルト、昔はなかったな。

学校から学童クラブに向かう道。
植木屋さんが樹木を育てている場所。

右手に見える団地の隣に、学童クラブがあった。
団地には学校の友達がたくさん住んでいて、
学童の子も団地の子も一緒に遊んだ。
13階建ての団地で、何年かに一度、飛び降りてしまう人がいた。
子どもにとってはセンセーショナルな事件で、ちょっとイベントみたいに思っているところがあったけれど、
同級生が飛び降りて亡くなって以来、そうは思えなくなった。
団地がよく見える一戸建てに住んでいた彼にとって、あの団地は天国に続く塔に見えてしまったのかな。


下り坂の向こうに長い階段。

しばらく行くと、下り坂の向こうにある階段が見えた。
その上にある病院がかかりつけで、子どもの頃は具合が悪くなればここに行っていた。
待合室に紙パック飲料の自販機があって、
熱があるときに買ってもらったその飲料の美味しさは忘れられない。
自分で歩けなくて、母におぶわれて病院に向かったこともあるけれど、
子どもをおぶってこの階段を上るのは辛かっただろうなあ。ごめんね、お母さん。

角を曲がって更に坂を下ると、私が住んでいたあたりに出る。

昔住んでいたアパート。
もう住んでいる人はいないらしいので、
近くで撮影。お邪魔しました。

空き地には、以前はアパートの大家さんが経営する食料品店があった。
おやつとかジュースとか、切手を良く買いに行った。
大家さんが去年亡くなって、莫大な相続税を払わなくてはいけなくなったので、お店も土地も売ることになったらしい。

アパートの方も今年中に取り壊されるそうで、住人も少しずつ引っ越して行ったそう。
私にとっては、物心ついたときからこの街を離れるまで10年以上住んでいたところなので、さすがに切ない。
階段横の、自転車が停めてある場所では、
以前はウチの父がサツキや菊を育てていた。
今私が盆栽をやっているのは、もしかしたらそんな父の影響なのかもしれない。

お家があったのだけど。

子どもの頃「ミーのおばちゃんち」と呼んでいた方のお家もなくなっていた。
ミーというのはネコの名前。そのネコの飼い主さんをミーのおばちゃんと呼んでいたのだ。
この方も何年か前に亡くなったそう。

なんてしみじみしながら歩いて、Kちゃんの家に到着。
お線香を上げて、おじさんやKちゃんとたくさん話してきた。
おじさんに会うのは、高校のときに私が引っ越して以来だから30年ぶり。
でも変わらない優しい笑顔で迎えてくれた。
元気そうでよかった。
私の父は47で亡くなったけど、生きていたらどんな感じだったんだろう、と、
おじさんの白髪を見ながら思った。

帰りは、Kちゃんが車で駅まで送ってくれた。
だから写真は撮らなかった。
もし歩きだったら、昔付き合っていた人のマンションを眺めながら歩こうかと思っていたけど、まあいいか。
万が一、ばったり会っちゃったりしたら困るし!


久々の懐かしい街。
撮った写真も、私にしかピンとこない、私だけにエモい街の風景だろう。
でも。なんとなく、置き忘れていたものを確認できた気がして、ちょっとスッキリした。

後日、母にも写真を送った。
てっきり、「取り壊されるアパート」か「熱を出した娘をおぶって上った階段」に反応するかと思ったら、
母からの返信は
「ミーのおばちゃん!懐かしい❗️懐かしい❗️」だった。そこかいw


…本日は、いつもと違う雰囲気でお送りしました。
タイトルは「僕だけがいない街」風にしてみましたが、
助詞とか名詞をちょこちょこ直しているうちに全く別物になってしまいました。

思い出話もシリーズ化していく予定ですが、
日々書きたいことが多すぎて、
なかなか先に進みません。
まだ北海道に上陸したあたりですね。
そろそろ高校に通い始めたいと思います。

では本日はこのへんで。

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