見出し画像

中3国語、俳句の授業ダイジェスト(後編)

前回に引き続き、俳句の授業をダイジェストで。
前編はこちらです。

④古池や蛙飛込む水のおと 松尾芭蕉

「これは聞いたことある!」という生徒多数。
ですが意味解釈は知らないとのことでした。そんなもんよね。
『じゃあ、今までと同じように解釈していきましょう。季語はなんだろう?』
「蛙かな?」
『正解!じゃあ季節はいつでしょう?』
「梅雨時に鳴いてるイメージだから、夏かなあ」
『実は、俳句の季語の世界では、蛙は春の季語とされています。冬眠から覚めた蛙が土から出てくるのを見ると春だなぁって思う…ということなんだろうね。
でも、こういう季節がパッと分からない季語に出会ったら困るよね?そんなときは、コレを使ったらいいんだよ。テッテレ〜、歳時記〜!』
図書館から借りてきた歳時記を紹介。ネットでも見られるけど、辞書系の本のページを繰る楽しみは捨てられません。
ついでにいくつかオシャレな季語を歳時記からピックアップして、自分で作るときへの期待を高めておきます。

さてお次は表現技法の確認です。
『この俳句で、芭蕉さんは何がいいって言っているのかな?』
「うーん、最後にある【水のおと】かな?」
『確かに!最後に体言止めを使うことによって、読者の目の前にそっとその言葉を置いたような、しみじみとした余韻があるよね。でもそれだけじゃないんだよ。前回勉強した、アレがありませんか?』
「…あ!【や】って切れ字じゃない?」
『その通り!そして、切れ字が付いている言葉が、感動の中心なんだったよね。ということは…?』
少しの時間、近くの人と話し合わせて、結論が出たころまとめます。
『つまりこの句は、【蛙の飛び込む水の音が響き渡るような、風情のある古池!コレええわ〜】ってことなんだね。【音がするのええわ〜】じゃないんだね』
「なるほど!切れ字、そういうことか!」

コテコテの古典作品ですが、楽しんでいただけたようです。
この句の生まれた時のエピソードとか、芭蕉についての色々とか、話したいことはたくさんありますが、今回は俳句の授業。
次の単元が「おくの細道」なので、そのときに取っておくことにします。

⑤ライン引き残してつるべ落としかな 梅沢富美男

プリントを配って10秒くらいで「梅沢富美男いるんだけど!」とちょっとした騒ぎになっていました。
別に教室に現れたわけでもないのに、なんて単純な…いや純粋な人たちなんでしょう。
そう、この句は、「プレバト!」の企画で夏井先生に認められて梅沢富美男句集に掲載された、れっきとした作品なのです。

『さて!解釈してみようか。季語はどれかな?』
「…?なくない?」
『いやいやこの句、季節だけじゃなく、時間帯も場所もちゃんと想像できる、いい俳句だよ!レモン被ったり田中みなみにデレデレしてるおじさんの句と思っちゃダメよ!』

そうなんです。今どきの子って、びっくりするくらいことわざや古事成語を知らないのです。
つまり、【秋の日はつるべ落とし】を知らない彼らにとっては、ラインを引いて笑福亭鶴瓶さんを落とすとは何?という、謎の俳句にしか見えないのです。オウノー。

まずは【秋の日はつるべ落とし】について、というか【つるべ】から説明します。
井戸の水を汲むための小さな桶。私だって実物見たことないわ!昭和生まれバカにしないで!と自虐を入れながら、【つるべ落とし】というワードだけで、秋は日が暮れるのが早いということをイメージさせることができることを伝えます。
『さて、ライン【ライン引き】はわかるよね。コレを使う場所は?そう校庭とかグラウンドだよね。それがポツンと残されているということは、生徒たちはもういない、帰ってしまったということがわかるね。ちょっと寂しい雰囲気だね。
で、【つるべ落としかな】です。切れ字もあるから、ここが感動の中心。普段は生徒たちがたくさんいて賑やかな校庭は、もう日暮れてしまいライン引き以外は誰もいない。秋の夕暮れは早いなあ、という少し物悲しい様子を詠んでいるんだね。コレよくない?』
「うわー、梅沢富美男すごい!」
梅澤さん、権威復活しましたよ!(落としたのは誰だ)

⑥夜桜やひとつ筵(むしろ)に恋敵  黛まどか

もう生徒たちも、鑑賞の手順は身につけました。
何も聞かなくても、「夜桜だから、春でしょ?で、恋敵が体言止めで、切れ字があるから夜桜が感動の中心で…。てかムシロってなに?」
『うんうん君たち、テスト対策としては大体OK。でもね、俳句のシチュエーションを妄想して楽しむという観点がまだまだ足りんのよ!』
なんだか勝手に盛り上がり始めた私を、一番後ろの席の大人しい女子生徒がニヤニヤして見ています。気にせず進みます。

『筵は敷物。夜桜見ながら敷物敷くって、これどんな状況?そう、お花見だよね。そこに恋敵、つまり恋のライバルが一緒にいる…修羅場の匂いしますね!盛り上がってきましたね!』
「せ、先生…?」
『みんなは、この句の主人公と、好きな人と、恋敵と、どういう関係だと思う?』
恋愛話はみんな大好き。口々に設定を語り出します。
『たとえば、一人の人を自分も恋敵も好きなんだけど、自分はまだ気持ちを伝えられていない。ところが!お花見の席で恋敵が好きな人の隣に座ってる!ムキー!、とかね。こんな気持ちで見る夜桜、どうよ?』
「なんか…、桜まで腹立つかもw」
『じゃあ逆に、みんなには内緒にしてるけど、実はもう好きな人と付き合ってる。それを知らない恋敵は、同じ筵の上にはいるけど、好きな人はその子を見向きもしない。こんな気持ちで見る夜桜、どうよ?』
「勝利〜!って感じ?」
『そう。どういうシチュエーションなのかを自由に想像できるところは、短歌や俳句のいいところだよね。そして多くの人は、自分の置かれている状況に寄せて想像しがち。だからこそ、共感できていい俳句だな、と思えることが多々あるんだよね』
「あー、だからAくん…。ね!」
どうやら片思いをしていることが周囲にも本人にもバレバレなAくん。俳句の解釈が当てはまってしまったようで、ひとしきりいじられていました。
『とはいえ、自由に解釈するためには、みんなが最初にしたように、使われている表現技法がどんな効果を期待して使われているのかをきちんと理解しないとダメだよ。この句の場合は、恋敵という言葉の余韻を楽しみながら、夜桜だなあ、と最初に戻ることで、味わいが生まれてくるわけだからね!』

最初にニヤニヤしていたあの子が、うんうんと頷いていました。正しい妄想のススメ、伝わったようです。

⑦あたたかい白い飯がある 種田山頭火

プリントの俳句はこれがラスト。
575でもなく季語もない。生徒たちは「あれ…?川柳…でもないよね?」と戸惑っています。
『これは、今まで勉強してきた俳句とは違うけど、作者が俳句だと言っているので俳句です』
ということで、季語のない【無季俳句】と、自由な音律の【自由律俳句】というジャンルがあることを説明。
「なんでもアリなの?」と不満げな生徒たちと、この句の味わいを考えます。

『この種田山頭火という人は自由律俳句で有名な人なんだけど、旅をしながら俳句を詠んだ放浪の人としても知られています。
旅といっても飛行機や電車で移動するわけじゃない、昔ながらの旅だよ。
たとえば悪天候の中、山の中を歩いて歩いて、やっとのことでたどり着いた宿に、あたたかい白いご飯がある。もうそれだけで幸せじゃない?
実際どうだったのかはわからないけど、【ああ、ありがたい】っていう感謝やほかほかご飯の神々しさまでも味わえるよね。
そう考えると、575であることや季語がないことは、あまり関係ない気がしてこない?その一瞬の感動や心の動きを表現するのは、俳句も自由律俳句も同じ。自由律俳句は、なんでもアリなわけじゃなくて、感動の表現に重点を置いた究極の俳句と言えるのかもしれないね』

ここまでいろんな俳句を鑑賞してきた生徒たち。
なんとなく、俳句の面白さや表現できる世界が無限であることがわかったようです。

そこで最後に一言。
『みんなには、自由律俳句じゃなくて有季定型の俳句を作ってもらうからね!制限のある中で頑張ってよ〜!』
「えー、自由律俳句ならイケると思ったのに!」
『初心者はまず形を守るんじゃ!【守破離】という言葉を知らないの?』
知らないんですよね、今どきの中学生はw

ということで、長々とお送りしました俳句の授業ダイジェスト。お楽しみいただけたでしょうか?
「教える」というよりは、「言葉を楽しむための方法を一緒に考えている」という感覚です。

ブラックさばかりが取り沙汰される教員のお仕事ですが、カラフルな生徒と一緒に学べる楽しいお仕事なんです、実は。

この記事が参加している募集

自由律俳句

仕事について話そう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?