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「死なないで」に続く言葉として


ある友だちが死にたい気持ちを抱えていた。彼女がそれを打ち明けると、人は「死なないで」と言うらしい。でもそれが、彼女をさらに迷わせていた。

 辛いから死にたいのに、
「死なないで」って、
  それなら私の辛さはどうしたらいいの?

そんな内容の話だったと思う。私は衝撃を受けた。死にたい気持ちを否定する気はないけれど、やっぱり死なないでほしいと私も思っている。かける言葉は、頭の隅々まで探しても見つからなかった。

そして数年探した。その間に彼女は亡くなった。私は私自身の死にたい気持ちと闘った。たくさん考えて、思ったことはこうだった。

まず「死なないで」を言い換えると「生きよう」になる。だから(ちょうど今年出たジブリ映画のタイトルのように)、問題は「どう生きようか」だともいえる。死にたくならない生き方を探すという事になる。

すると、そういう生き方の先行事例はたくさん出てくる。人によって多種多様で、とにかくたくさんある。それなのに自分にできないのはなぜか?課題はたくさんあるかもしれないけれど、私は2つのことに着目しようと思った。

1つは着地点。つまり「死にたくない生き方」が人によって多様ゆえに自分に合うものが分からないということ。コンビニで何のおにぎりを買おうかなかなか決められないときに似ている。どれを選んだら自分の幸せが最大化するのか、味見もせずに判断するのは難しい。塩おにぎり一択だったら簡単なのだけど、コンビニも人生も贅沢なことにそうではない。

もう1つは移行方法。着地点が決まってもそこへの道筋が見えないと、行くのは難しい。最近の車はどれもカーナビがついているし、私たちは行きたいところがあればすぐスマホでマップを開く。今や地理的な道筋は簡単に分かるようになったけれど、人生の道筋はぜんぜん見えなくて、だから私たちは度々迷子になる。

それなら、いったんどれか試してみるしかないのかもしれない。おにぎりも、道筋も、試してみてだめだったら次は違うものを選ぶ。誰かがこうしていたとか、こっちの方が綺麗とか、夢で見たとか、なんだとか。適当な理由をつけて1つ選んでみるのが現状打破の1歩目になると思う。

生きるのが上手な人はその選ぶ感性が優れていたり、良いアドバイスをくれる人がいたり、何か選択の基準を持っているのかもしれないけれど、無いならいったん何か選ぶしかない。遠回りして、幸せに思えるのが遅くなるかもしれないし、自分が生きているうちに間に合うかも分からない。でも死ぬか、いったん選ぶかしかないのだと、私は私の経験から学んだ。

だから次に「死にたい」と言われたら、私は「いったん」の提案をしようと思っている。

「いったん美味しいもの食べよう」
「いったんお風呂に入っておいで」
「いったんお散歩してきなよ」

まずは小さな「いったん」から、ちょっとずつ大きな「いったん」に。無責任なようで、いたって現実的に。自分にも、他人にも、そういうスタンスで向き合っていこうと思う。これも、いったん。

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