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じぃちゃんに差別された、許すけど

私は子どもの頃から勉強ができた。親族の中では一目置かれた存在で、「将来は何になるの?」と聞かれることも多かったと思う。

でも、そんな私を心から喜べないのが、
じぃちゃんだった。

じぃちゃんは大工で、棟梁と呼ばれるリーダー的な存在だ。大胆で、大雑把で、よく物をなくす。家のこと一切をばぁちゃんに任せて、外で稼いでくるのが役割という典型的な「大黒柱」だ。そんなじぃちゃんは、あるときこう言った。

「さりちゃんは男だったら良かったのになぁ」

私はこの言葉の意味をうまく理解できなかった。父に解説を頼むとどうやら「男なら大成しただろうに」「女でもったいない」というような意味らしい。

おお…

私は今のところ、女の体に生まれて女として生きることに違和感を持たないタイプだ。私自身は女で問題ないのに、じぃちゃんが勝手に残念だと言う。じぃちゃんは私が女でありながら社会で活躍するような将来を、想像できないのだろうか。

あぁ、こうやって女は天井を作られてきたんだな、と思った。

私はそんな天井を信じていない。幸いにもこんなことを言うのはじいちゃんくらいだからだ。でも、もしこれが自分の両親だったら?学校の先生だったら?私も洗脳されていたかもしれない。

そしてもしかしたら、私自身も気付いていないだけで天井を信じている部分があるかもしれない。なにかすごく当たり前になってしまった差別が。

とはいえ私はじぃちゃんが好きだ。じぃちゃんには悪気がないと信じている。

なんせじぃちゃんが生まれた戦前の日本には、女性に財産所有権すらなかったのだ。女は養わねばならぬ存在。守らねばならぬ存在。今以上にそういう時代だっただろう。

だから、その偏見をじぃちゃんに植え付けた社会を憎む。それと偏見、それ自体を憎む。私はそれらに対して、しっかり戦っていく。

そして最後に、こうした差別と戦って社会を変えてくれた方々へ、心から感謝と敬意を捧げます。

国際女性デーに寄せて。

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