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見えていない強運~回避できている幸運

私たちの多くは

運の良さや幸せは

今よりも

何かを受け取り増やす事に

意識を注いでしまうけれど




何が起きても

不思議ではない世の中で

様々な不運を回避できている

それ自体が

大きな幸運なのではないかなって

感じる事もあるの



そして

この世界は

小さな親切に支えられてきていて


もしかしたら

誰かが自分を後回しにして

ゆずってくれていたり


見返りもないのに

誰かが誰かのためにしてくれた上で

私が過ごす事が出来ていたりも

するのかなって

考えたりもするの


そう思ってみると

誰かのおかげで

とても運がよく

幸運な人生を

送る事ができているんじゃ

ないかなって

感じているの


言葉では上手に表現できないのだけれど


心が健やかに保てない人間関係って

「普通」「当たり前」という

決めつけの価値観から

始まる事が多いように思うの


こういう時には

相手は譲ってくれるもの


このような場面では

手伝ってくれるものなど


自分が描く流れじゃなければ

相手を否定してしまったり

イライラしてしまうのは


「普通」「当たり前」という

決めつけの価値観が原因かなって

思うの




新たな時代では

互いに選択の自由があって


自分を後回しにする思考を

頑張って

手放している人もいたりして


自分を犠牲にし

無理しながら

過ごす事から

自分を大事に生きようとされている方も

広がってきていると思うの

いつも

どちらかが我慢し

ゆずる解決方法が

当たり前だった過去の価値観で

過ごしていると


怒りや否定感が

溢れて

なかなか

幸せを感じにくい時代なのかなって

感じているの



以前世界幸福度ランキングで

ブ-タンという国が

一位だったのだけれど


ブータンも英語教育が始まり

インターネットにふれられる環境が

整ったとたん


国民の多くは

幸せを感じなくなってしまったようなの


それは

人と比べる観測範囲が広がった事で

自分たちが

持っていない

あらゆるものを

豊富に持つ人がいる事を知り


自分たちの国が世界では

どのくらいの位置にいるかなど

様々な事を

比べるようになったからだと思うの


その瞬間から


生まれた時から

ずっと幸せだった思いは

消えてしまったように思うの


ある心理学者が
表現していたのだけれど


経済や物質の所有で

心が満たされるのは

瞬間的なもので


いつも

上には上がいて

いつまでも

満たされることはなく


それはまるで

海水を飲むようなもので

飲めば飲むほど

喉が渇くと表現されているの


幸せというものは

形として見えないもので


周りからどんなに羨ましがられても


本人が

心で幸せを感じていなければ

それは幸せではないと思うの


自分を幸せにする方法の一つに

「感謝」というものがあるけれど


感謝が習慣になると

何もない日常でも

幸せを感じやすくなるので

何にでも

感謝してみるのもよいのかなって

思っているの


起きないから気づけない

様々な不運を

回避している

幸運と恵に意識を注ぐ事ができたならば


毎日感謝で溢れてくるように思うの




感謝の基本は

今の自分を受け入れる事から

始まるから


無いものに
意識を注ぐのではなく


与えられたその場所で

自分らしい喜びを

紡いで行けたら

人生はそれで十分

大成功なんじゃないかなって

感じているの


幸せでいる事が

「普通」「当たり前」という

思い込みも


時に

心に

負担をかけてしまう事もあるから


幸せイコール

今よりも何かを増やすという思考から



何が起きても不思議ではない

この世界で


予測できる

様々な不運から

回避できているという

幸運に意識を向けてみると


穏やかで幸せで

多くの事に感謝できる

人生が創造できるんじゃないかなって

感じているの


今まで会う事もなく

話す機会もなかった

あらゆる場所で

誰かのために行動してくださった方たちに


心から感謝と

これからはご自分のために生きる事に

罪悪感を感じることなく


人生を楽しんでください




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