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2022.5.4 日本の皇室と正当性

昭和天皇と7323通の手紙...

1988年12月…。
長崎市議会での本島市長の発言が、大きな波紋を呼んだことをご存知の方はもう少ないとは思いますが…。

問題となったのは、
「昭和天皇にも戦争責任はあると思う」
という発言でした。

当時、昭和天皇の容体が悪化していたため、天皇陛下へのこういった発言は自粛されている最中でした。

そんな中、この本島市長の発言をマスコミ各社が大きく注目し、報道をしたのです。

しかし、この事件には2つの裏話が存在していました…。

1つ目は、この報道が実際の発言の意図とは違ったということです。

本島市長は元々、
「天皇陛下にも戦争責任はあると思う。しかし、日本人の大多数と連合国軍の意志によって責任を免れ、新しい憲法の象徴になった。私どももそれに従わなければならないと解釈している」
という趣旨の発言をしていました。

ところが、この発言をマスコミが都合の良いように切り取り、
「昭和天皇にも戦争責任はあると思う」
という部分だけを切り取って報道をしたのです…。

そして2つ目は、この偏向報道の後、本島市長に7323通の手紙が届いたことです。

そのうち6942通が、この切り取られた発言を信じ込んだ上で、本島市長を激励するものだったのです。

つまり、手紙のほとんどが
「昭和天皇の戦争責任はあると思う」
という内容に賛同していたということです。

しかし、おかしくはないでしょうか?

本島市長は元々、
「日本人の大多数と連合国軍の意志によって責任を免れ、新しい憲法の象徴になった。」
と言っています。

つまり、大多数の日本人の支持のおかげで責任を免れた昭和天皇が戦後、時を経て今度は大多数の人に
「戦争責任がある」
と評価されるようになったということです。

一体この変化はなぜ起こったのでしょうか…?

そこで今回は、皆さんに戦後の昭和天皇がなぜ責任を免れたのか?

そして、なぜ国民の評価は変わってしまったのか…。

その秘密を解き明かす記事を書き綴っていこうと思います。


1945年8月30日…。

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