2023.1.5 意外と知らない『七福神』のルーツ
「これなあに?」
と、子どもがイラストを指差して、貴方に尋ねてきたとします。
貴方はきっと、こう答えるでしょう。
「七福神だよ」
と。
そうすると、子どもは更に質問してきました。
「七福神ってなあに?」
……七福神って何でしょうか?
そう、凄く身近で誰もが知る存在ですが、一体どういう神様なのか分かりますか?
日本神話に出てくるのでしょうか。
今回はそんな、意外と知らない『七福神』のルーツを少し書いていこうと思います。
七福神で注目すべきことは、恵比寿を除く六福神が外国の神様だということです。
大黒天、弁財天、布袋、福禄寿、寿老人の五神は、何れも中国(支那)の神、毘沙門天はインドの神です。
仏教に取り入れられたり、中国の道教や禅僧の神々で宝船に乗り込んだ姿は、まさに『呉越同舟』です。
いずれも福の神なので、七福神と呼ばれますが、『笑う神』というのも珍しい存在です。
室町時代までは、日本人にとっての世界は天竺(月氏、支那(漢土)と日本(芙蓉)で成り立っていました。
そして、それらの神々が日本にやってくると、日本の神々と融合しました。
例えば、大黒天は大国主と弁財天は天宇受賣と融合しました。
一体こうしたバラバラの神々が、なぜ皆『笑いの神』なのでしょうか。
また『福の神』なのでしょうか。
その答えは簡単です。
日本人は、人間の性格は元々から善であり陽気なものと考えました。
『万葉集』では、既に大伴旅人がこのように詠っています。
この世にし らしくしてあらば 来む生には
虫にも鳥にも われはなりけむ
仏教が入り、死後、六道の畜生道に回されても、この世の楽しさを享受しようというのです。
仏教の教えを深刻に考えなかった証拠です。
人間は元々自然の一部であって、自然は心変わりがあっても、基本は幸福に生きることにあるということです。
この日本人の楽天性が室町時代以後、仏教的戒律から解き放たれた日本人、特に商人を中心にして、自分たちの神々を作り出したのです。
既にその元の姿を忘れて、それぞれ日本人の善意の溢れる福の神々を作り出し、それが七福神の姿になったと言っても良いでしょう。
もし仮に、日本人が昔のように寛容であるならば、西洋の文化を取り入れて、もう一神だけ福の神を加えるとするなら、キリスト教の日本伝来がマリア観音の形をとって融合し、更に近代では子どもにプレゼントを持ってくるサンタクロースをキリスト教の聖人から祝いの一神に変えて、八福神として取り入れる、なんてこともあるかもしれませんね。
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