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2023.6.5 なぜ世界的名著に!?失業おっさんの就職履歴書の秘密

西暦1512年、おっさんは無職になりました。

外交官だったおっさんは、その仕事に未練があり、再就職するための履歴書を書き上げました。

ですが、おっさんは知る由もありませんでした。

僅か5ヶ月で書いた履歴書が、その後、数百年に亘って読み継がれることとなる『禁断の第一級書物』になることを。

おっさんが書いた履歴書は、当時のヨーロッパ社会を激変させるような危険な魔力を宿していました。

そのため、中世ヨーロッパ最強の権力者は、この履歴書を禁書に指定し、表舞台から葬り去ったのです。
そして、なんとその後300年以上もの間、封印されることとなるのです。

正に曰く付きの『禁断の書物』でした。

ですが、この『禁断の書物』は封印されて数百年後、ルソーやヘーゲル、ナポレオンなど、歴史に名を遺す偉人たちに高く評価され、現代では、第一級の古典として認定されることとなったのです。

そして、おっさんは近代政治学の始祖として、歴史に名を刻むこととなるのです。

ですが、この『おっさんの履歴書』には大きな謎が隠されていました。
それは、なぜ時の権力は、わざわざ禁書指定にするほど『失業おっさんの履歴書』を怖れたのか?
そして、なぜ『失業おっさんの履歴書』が世界的名著と呼ばれるようになったのか?

おっさんは生まれが良い貴族ではないし、軍の指揮官でもありません。

権力も無ければ、莫大な資産もありません。

しかも、肝心の履歴書は、おっさんが希望した再就職先の担当者に読んですらもらえなかったと言われています。

なのに何故、履歴書は時の権力者を激怒させた一方で、偉人たちに評価され、現代でも歴史的名著として君臨することとなったのか?

この大きな謎を暴くために、なずは『おっさんとは何者か』について解き明かす必要があります。

この『禁断の書物』は、500年前に書かれた単なる古い書物ではありません。
この書物は人間の本質に基づく普遍的な洞察、そして、現代の日本の政治問題の解決策さえ示している第一級書物なのです。


近代政治学の始祖と呼ばれた失業おっさんの謎

1498年、おっさんは29歳の時にフィレンツェの外交官に就任。
おっさんは大学を出ていないノンキャリアの若者でしたが、異例の出世を遂げることとなります。

おっさんは、外交官として15年間で40回以上も外国へ足を運び、現地での交渉や情報収集を行い、それを本国に報告するなど第一線で活躍。

さらに、おっさんは難しい交渉仕事に熱心に取り組んでおり、その姿勢が政府の最高指導者であるソデリーニから高く評価されました。

才能を見込まれたおっさんは、フランス国王をはじめ、各国の君主と直接交渉する役割を担うなど、途轍もない経験を積んでいたのです。
順風満帆かに思えるおっさんの人生…。

ですが、その後、おっさんは窮地に立たされることとなるのです。

おっさんは、政府の最高指導者であるソデリーニの寵愛を受けていましたが、国内の混乱により、ソデリーニが国外追放されることとなりました。
そのため、親ソデリーニ派と見做されたおっさんは、外交官の職をクビになってしまったのです。

しかも、おっさんは、
「国内のクーデターを企てたメンバーではないか」
というあらぬ疑いを掛けられ、牢屋に打ち込まれ、拷問まで受けることとなってしまうのです。

最終的に疑いは晴れ、釈放されることとなりましたが、おっさんは43歳という当時の平均寿命を超える年齢で無職になってしまいました。

おっさんは突然の失業により意気消沈し、山に籠ってしまいますが、ある時おっさんは起死回生のアイデアを思いつきます。

それは、
“各国の君主と直接交渉するなど、自分には豊富な経験があるということをアピールするための本を書き、それを新しいフィレンツェのリーダーに見てもらえば、自分は有能な人物だと認められ、また外交官として働けるのではないか”
というアイデアでした。

おっさんはこのように考え、急いで再就職のための履歴書を書き始めたのです。

しかし、おっさんが書いた履歴書は、最終的に新しいフィレンツェのリーダーに見てはもらえず、失意の中でおっさんは息を引き取りました。

ですが、ここから話は急展開することとなります。

ヨーロッパ最高権力者が恐れた禁断の書物

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