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2022.3.25 日本政府史上、最大の闇を暴露

無題

上の写真は、戦後の占領期に撮られた1枚の写真です。
大勢の占領軍が何やら楽しそうに『安浦ハウス』と呼ばれる建物に入っている様子が写っていますが、実はここに、戦後政府が闇に葬った『負の遺産』が潜んでいることを皆さんはご存知でしょうか?
今回の記事では、風化しつつあるその『闇の歴史』の真相について、明かしていこうと思います…。

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「もうすぐ占領軍が上陸してくる…」

「米兵たちは野蛮だ…。我が国の純潔が汚されてしまうかもしれない」

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1945年8月18日、時の東久邇宮ひがしくにのみや内閣は、来たる占領軍への対応について秘密裏に議論していました。

玉音放送後の日本は絶望のどん底でした。

辺り一面は焼け野原。
食糧は配給制では不十分で、毎日大勢の人間が命を落としている惨状。

その中で、日本の首脳陣たる彼らが躍起になって話していたのは、
「性に飢えた米兵たちが、我が国の婦女子を捕まえ、強姦をするやもしれない…」
「大和撫子の血を護ることが、緊急の対策なのではないか?」

そう、
『占領軍から日本婦女子をいかにして守るべきか』
ということでした。

具体案が出ず、緊迫した雰囲気の中…、一人の男が沈黙を破った。
「私に、一つ良い案があります…」
この男の提案により、ある組織が成立しました。

それが…、
『RAA(Recreation and Amusement Association)特殊慰安施設協会』

そう、占領軍に奉仕する慰安婦組織です。

慰安婦と言えば、今では日韓間の『従軍慰安婦問題』が取り上げられがちですが、日本政府が自ら大金を出して、慰安婦部隊を作り上げたということはあまり知られていません。

野蛮な占領軍が町中で若き女性たちを強姦するのを防ぐため、公式に性処理部隊を用意しておくというのが、政府の判断だったのです。

少数の若き日本人女性を犠牲にした『性の防波堤』:RAAの設立。
“守るべき女性”のために、“人柱にしても良い女性”が創られた瞬間でした。

しかし…、この日本政府が設立したRAAには、2つの不可解な点があります。

1つは、敗戦直後の混乱の中、なぜここまでスムーズに慰安所設立が実現したのかということです。

そもそも、戦争と慰安婦の関係は切っても切り離せないとはいえ、“国営売春組織”を一国家が金を出して慰安婦の組織を設置するのは前代未聞の事です。

GHQが設置を強要していたわけでもないというのに、日本政府は終戦後3日後には慰安婦協会の設立を議論しています。

米兵による暴行・強姦が起きた後に、国が対策を取ったというのなら理解ができますが、なぜここまでスピーディーに『慰安所』の話が進んでいたのでしょうか?
強硬してでも、この政策を実現したい特別な理由があったのでしょうか…?

そして、もう1つ不思議なことがあります。
というのも、実はこのRAAは『占領軍の性犯罪防止に逆効果だった』といわれているのです。

554件。

この件数は、RAA設立から約2ヶ月後の11月に起きた米兵の婦女暴行、強姦、盗みなどの犯罪件数です。

そして、問題はその性犯罪の多くが、慰安所周辺で多発していたのです。

一体なぜなのか?
当時、売春婦の紹介業を務めていた菅原道雄は、
「慰安所にはGI(アメリカ陸軍兵士)が行列を成している。あぶれちゃうヤツが出るんですよ。そうなると、手当たり次第女を見ると襲い掛かるのです」
と、このように語っています。

つまり、『国体護持』を掲げた日本政府が、不可解なスピードで作り上げた『性の防波堤』は、多くの大和撫子を救うどころか、逆効果となっていたということ…。

しかし、なぜか日本側からRAA撤廃するということはありませんでした。
一体、なぜ不必要な犠牲を出す政策を取り止めなかったのでしょうか?

何か、廃止できない特別な理由があったのでしょうか?
RAAには、『性の防波堤』以外にも何かの目的があったのでしょうか?

その真相を語るのに、欠かせない人物が一人います。

それは、笹川良一。

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政界のドン、A級戦犯、CIAエージェント…。
様々な肩書きを持つ謎多き右翼の大物である笹川良一ですが、彼が関与した『最大の裏切り』について、語られることはあまりありません…。

しかし、その『裏切り』こそが、国営売春斡旋所RAAの不可解な謎の答えにもなっていたのです。

『鬼畜米英』『一億総玉砕』
大東亜戦争中、強気のスローガンで、日本国民に発破をかけていった右翼の人間たち。

彼らが敗戦後一転し、GHQのために若き女性を生贄にしたのは述べた通りですが、右翼の大物である笹川も、そのうちの一人でした。

終戦から僅か1ヶ月後の1945年9月18日。
笹川は、大阪に『連合軍慰安所アメリカン倶楽部』を開設しました。

米英打倒を唱えた右翼の中の“ドン”は、大和撫子をGHQに献上する政府の提案に反対の声すら上げることなく、驚くほどのスピードで資本金を出し、慰安所の設置を進めたのです…。

一体、笹川はなぜこれほど迅速な“変わり身”を遂げたのか?
それは、慰安所の仕組みを見れば一目瞭然でした…。

政府が用意した慰安所では、毎日開店前に米兵たちが100円札(現在の約2万円)を握りしめ、行列を作っていました。
米兵がお金を払うと部屋の番号札が渡され、個室に向かって行く。

石鹸や歯ブラシ、手ぬぐいが用意されたその部屋で、若き日本の慰安婦は『御国の為』に生贄となりました。

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当然、その扱いもひどく…、米兵に殴られ蹴られは日常茶飯事。
精神を病み、自ら命を絶った者もいたといいます…。
文字通り“命懸け”の毎日だったのです。

『人柱』になり、満身創痍になった彼女たちは、手当を受け取りました。
しかしその額は、自分たちがその身で稼いだものと比べ随分減っていました。

そう…、彼女たちが身を犠牲にした対価の半分は、慰安所運営の右翼たちの懐に入っていたのです。

つまり、笹川にとってRAAとは、“大和撫子が汚されれば汚されるほど、自らは儲かる最高のビジネス”だったということ。

戦後日本は焼け野原、経済状態は最悪。
そんな中で、政治資金を欲する右翼たちにとっては、RAAとは、
『自らが手を汚さずに、米兵から大量のお金が手に入る打出の小槌』
のようなものだったのです。

笹川ら右翼の人間たちは、政府からの『純潔を守る』という大義名分に苦しくも賛同していたわけではなく、良い儲け話に飛びつき、長年にわたり国のために戦った国民を見捨てる選択を取ったというのが真相です…。

その後、RAAは開設から半年足らずで突如封鎖されることになります。
その理由はもちろん
「あまりの惨状に、日本政府が取り止めた」
などというものではありません。

慰安所に群れを成した米兵の姿の写真をマスコミが世界的に報道し、アメリカの女性団体や宗教団体からの批判が殺到したからです。

これにより、笹川は“大事な金脈”を失うことになりました。
しかし、これで問題が解決したことになりませんでした。

RAAの封鎖により、そこで働いていた約5万5000人の慰安婦たちは、突如職を失うことになります。

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性病に苦しむ者、『敵国の売春婦』と蔑まれる者、過酷な労働で精神を病む者…。
身寄りもない彼女たちの多くが行き着く先は、夜の街で米兵をお客にした街娼でした。

俗に『パンパン』と呼ばれる彼女らの正体が、『御国の為』という決意で死力を尽くすも、国に捨てられた慰安婦たちだったということは、あまり知られていません。

そして、不幸は重なります。

『混血児』の誕生です。
売春や強姦によって望まぬ妊娠をした日本人女性たちは、外国兵との間の子を産みました。

しかし、ただでさえ過酷な生活を強いられている彼女たちが、一人で育てられるはずもなく、彼らは孤児院に預けられます。

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彼らは『パンパンの子』と蔑まれ、純潔を重んじる日本で不憫な目に遭いました。
このように、日本政府によって戦後最大の犠牲者が生まれました。

しかし、彼らの存在は多く語られることはなく、RAA創立に関わった人間も断罪されぬまま、莫大な資金を稼ぎ、その後の政界に力を及ばしていったのでした…。

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大東亜戦争において、『鬼畜米英』『一億総玉砕』を唱えた日本の右翼たちは、敗戦後は一転し、国のために尽力した国民を生贄に使い、GHQに媚び諂うようになりました。

そして、その中で若き日本人女性に慰安婦として働かせ、その稼ぎの半分を自分の手を汚すことなく懐に入れていたのです。

しかし、これほどまでに素早く変わり身をし、自国民を見捨てた裏切り者は笹川だけではありませんでした。

大和撫子をGHQに差し出した日本政府の中には、
RAA発案者で元内閣総理大臣。
笹川よりも闇が深い、政界のフィクサー“X”
”怪物”と呼ばれた日本人スパイ
というような『裏切り者』が潜んでいたのです。

そして、彼らの“暗躍”によって、日本国憲法作成の過程で、性接待が活用されていたこと。

あの有名な老舗百貨店“M”が、慰安婦を使った“ある手法”で経営を立て直したこと。

明治日本を支えた伊藤博文の邸宅が、GHQとそのスパイによって屈辱的な使い方をしていたこと。

このような出来事が裏で起こっていました。

しかし、彼らにとってはもちろん、GHQも
「敗戦国の女性を性処理に利用していた」
なんて話を公にされてはたまったものではないですから、この『戦後政府最大の汚点』はその後語られることはなく、現代まで蓋をされ続けてきました。

しかし、臭いものに蓋をしたとしても、しばらくすれば腐った臭いが漏れ出していくように、現代でもその『負の遺産』が姿を現しています。

「補償はしないが、自粛せよ」
コロナ禍において、国民に経済的苦痛を強いつつ、裏でパーティーをする政治家。

「記憶にございません」
責任逃れ、文書の改竄、頼りない野党…、茶番だらけの国会問答。

「アメリカ政府の悪口は言うな」
“バイデン推し”の日本メディア…、報道を歪めさせる日本政府。

このような日本を顧みず保身に急ぐばかりの政治家が、いつからか日本のリーダーに居座るのが当たり前の状況になってしまいました。

過去に政府が覆い隠した罪を日本人一人ひとりが知らない限り、今の体質を根本的に変えることは困難なのではないでしょうか。

そして、蓋をされたままになっているのは、これだけではないはずです。

当時の政府によって、過酷で屈辱的な仕打ちを受けた若き日本人女性たち。

そして、彼女たちから生まれた混血児たちが受けた差別や偏見の歴史は、忘れ去られたままで良いのでしょうか?

確かに、占領の歴史には知るのに痛みを伴うような真実が山ほどあります。

しかし、家は焼け落ち、寒さを凌ぐのも困難…。
さらに、配給制だけでは不十分な戦後日本を生きた私たちの両親、お爺ちゃんやお婆ちゃん。

彼らがあまり口にしたがらなかった当時の時代のことを、現代の私たちは知らないままで良いのでしょうか?

私たちが大切にしなければならないのは、『神話』ではなく『真実』です。
日本の歴史は美しいことばかりではありません。
恥ずかしく、後悔するような路も通ってきました。
ですが、そんな良いことも悪いことも含めた真実の歴史が、国民の誇りの芯となり、遺伝子となるのです。
『史実』が我らの鎧であり、日本を守る楯です。

今回は、GHQが作り上げた自虐史観に染まるのでもなく、甘い神話で溜飲を下げるのでもなく、今の日本を作り上げた歴史の真実を知ることで、国民一人ひとりが、責任ある日本人としての気概と誇りを持って前に進んでほしい、正しい歴史観を持つことで、ブレない判断軸と自信を持ち、正しい行動が取れるようになって欲しい、そんな思いで書き綴らせてもらいました。

〔編集後記①〕戦後日本に現れた『パンパン』の真実

戦後日本に現れた『パンパン』と呼ばれる女性たち。

彼女たちは街中で、外国兵向けの売春婦として働いていましたが、彼女たちが日本政府に見捨てられた静かな犠牲者だったことをご存知だったでしょうか?

政府が絶対に口にしない『パンパン』の真実…。

「とうちゃんとかあちゃんが生きていたら、ねえちゃんはパンパンなんかにならんですんだんだ…」

これは、漫画『はだしのゲン』にて戦争で両親を失った女の子が、姉に気持ちを吐露するシーンです。

「化粧するな!赤い服着るな!パンパンになってしまうぞ」

こちらは、戦後日本を生きたある女性が、父親に実際に言われていた忠告だったと言います…。

本編でも触れましたが、『パンパン』とは、戦後日本で在日米軍将兵を相手にした街娼のことを指した蔑称です。

語源は、米兵が娼婦を呼ぶときに手をパンパンと叩いたことからなど、諸説あります。

当時の日本は、

・配給制だけでは生きられない状況
配給される食糧は1日に必要なカロリーの半分程度と言われていました。
闇市の食糧を拒絶し配給のみで生活していた裁判官が、栄養失調で亡くなったという記録もあります。

・闇市では食糧が法外な価格で取引されていた

・働き手の父や夫が戦死してしまったり、重傷を負ってしまい、女性も働く必要性があった

このような状況にありました。

ですから、家族を守るために、女性が売春婦として街に出ざるを得ないという過酷な時代だったのです…。

しかし…、『パンパン』が生まれた理由はこれだけではありませんでした。

驚かれたかもしれませんが、パンパンは日本政府の計画によって生み出された犠牲者でした。

なぜ女性たちは犠牲にならざるを得なかったのか?

絶対に政府が語ることのない戦後最大の罪…。

真実の歴史を風化させないために、今回はこの内容に触れました…。

〔編集後記②〕電通と自民党はアヘンマネーで作られた?

「え、どういうこと?」
「何を言ってるの?」
と思われたかもしれません。

日本の広告業界と政界を長らく支配しているこの2つの組織が、麻薬取引で儲けた金によって設立されていた?

一体、どういうことなのか?

話は約90年前に遡ります…。

舞台は関東軍が支配する“満洲”。

当時の満洲では『王』と呼ばれる人物がいました。

一体、誰のことなのか?

天皇陛下でもありません。
関東軍のトップでもありません。

『王』の正体とは里見 はじめという新聞記者でした。

ただの記者が、なぜ『王』に?

実はこの里見という男は、新聞記者とは別の顔を持っていました。

それは、アヘンの密売人。

関東軍と組んだ里見は満洲でアヘンを大量に売り捌き、『アヘン王』として裏社会で名を馳せていました。

「世界に出回っている90%の麻薬はMade in Japan」

このように言われるほど、莫大な量のアヘンが満洲で取引されていました。

中国の遼東半島の大連で作られるアヘンは、年間2000億円ものお金を生み出したと言われています。

もちろん、日本の政治家がそんな金脈を見逃す訳もなく…。

里見と手を組んだのが、“昭和の妖怪”と言われた岸信介。

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そして、本編でも紹介した右翼のドンこと笹川良一です。

そんな彼らが設立したのが、満州国通信社、のちの電通です。

もちろん、その背後にはアヘンで得た莫大な資金があったことでしょう。

その後も、里見は岸信介に選挙資金として500万円(現代の換算で数十億円)を支援するなど、彼らはアヘンマネーで非常に固く結びついていました。

そして、戦後の自由民主党の設立資金にも、アヘン売買で得た膨大な財が使われていたと言われています…。

このように、アヘン王と大物政治家の黒い繋がりが、現代の日本を牛耳る2つの組織の形成に深く関与していたということは、残念ながらあまり知られていません…。

しかし、政治家の黒い資金源はアヘンだけではありませんでした。

里見とも関係の深かった右翼のドン・笹川良一ですが、本編で紹介したように、この男が戦後日本において、『日本の若き女性』を使い、お金を稼いでいました。

右翼の大物の知られざる錬金術、その内容はあまりにも残酷なものでした…。

〔編集後記③〕日本政府が見殺しにした子供

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これは、とある孤児院で暮らしていた子供たちの写真です。

ですが、彼らはただの孤児ではありません。

日本政府の作戦によって差別や偏見に苦しんだ犠牲者でもあります。

皆さんは、この写真の女性を知っていますか?

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この女性は沢田美喜という方です。
三菱財閥の創業者・岩崎弥太郎の孫娘として生まれた彼女は、戦後日本において、非常に偉大な功績を残しました。

それは、『孤児院の建設』です。

ただ、孤児院と言っても彼女が設立したのは少し変わっていて、『混血孤児のための児童養護施設』でした。

戦後の日本は、食糧不足や失業問題など数多くの問題がありましたが、その中には『混血児』に関する問題は、かなり深刻なものだったと言います。

<有楽町や新橋のガード下ばかりでなく、銀座の裏通りや日比谷にちかい皇居前広場で、黒い縮れた髪の子や碧眼の混血児が毎日のように捨てられていたことなど、七十年ちかくたった現在では知る人もいないであろう。>

と、彼女は言葉を残しています。

このように、道端に生まれたばかりの赤子が捨てられていたという、なんとも痛ましい時代があったのです…。

当時『パンパン』と呼ばれた米兵を相手にした売春婦や米兵による強姦を受けた日本人女性が望まぬ妊娠をし、そこから生まれた混血児たちはGIベビーとも呼ばれており、米兵はもちろん、自分の子など知る由もなく…。

自分達の生活を支えることが精一杯の日本人女性も混血児を育てる余裕もなかったため、上述のように捨てられてしまっていたのです。

何とか生き延びることができた子供たちも中にはいましたが、純血を重んじる当時の日本では、周りから激しい差別を受けていたと言います。

親にも、周囲にも見捨てられ、あまりにも残酷な混血児の境遇…。

それを知った沢田氏は、このように決意しました。

<両方の国から要らないといわれる子供、親からも邪魔もの扱いにされ、闇から闇に葬られる子供の現実を直視したとき、私の運命はきまったのである。それは残された半生を、これらの混血児と運命を共にすることである>

しかし、道のりは平坦なものではありませんでした。

戦後の最悪な経済状況において、孤児院を設立するための資金集めが困難だったことはもちろん…、
「GIベビーの孤児院?なんて物好きな…。日本を滅ぼした敵の子ですよ」
こんな反対の声も周囲から上がっていたのです。

そんな中、なんとか資金の援助を受け沢田氏が創設したのが、
『エリザベス・サンダースホーム』
と呼ばれる孤児院でした。

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彼女により、行く宛のない混血児たちが、他の子供と同様に健康に育つことができる環境が整えられました。

現在、この孤児院出身者は1400人にも上ります。

沢田氏の功績によって、数多くの子供たちの命が救われたのでした。

そんな教科書に載らない戦後の救世主の歴史ですが…。
この話は、これだけで終わらせることはできません。

そもそも、なぜ一人の民間人が孤児院の創設に奔走する必要があったのか?

道端に毎日のように捨てられている子供たち…。

あまりにも深刻な問題です。
政府はなぜ対応しなかったのか?

政府が混血児への対応を放ったらかしにしていた理由…。

それは、食糧問題など他に優先すべき課題があったからではありません。

混血児を助けるための資金がなかったからでもありません。

その真相は、もっと残酷なものでした…。

この沢田氏の歴史だけでは見えてこない戦後史の黒い一面、それが今回の本編の内容です。

いつもより長くなりましたが、最後までお読み頂きまして有り難うございました。


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