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2021.4.1 日本人の弱点「ストローマン論法」

今日から新年度が始まりました。
何かを始めるきっかけにしやすい日ですが、世界はまだコロナ禍の闇に覆われたまま。
移動するにしても食事をするにしても、いろいろと制限がつきまといますが、だからと言って何も行動に移さないことほど時間を無駄にするものはありません。

ということで、今年度も引き続きこの場を借りて書き綴っていこうと思います。

さて、突然ですが、皆さんは冒頭の写真の男をご存知でしょうか?
あまり見覚えがある顔ではないかもしれません。

しかし、この男…

後に欧米を震撼させ、“20世紀最大のスキャンダル”と呼ばれる事件を引き起こす伝説のスパイ…

そして、彼は日本の原爆投下についての機密情報にも深く関わっていました…

近年、ヴェノナ文書、ミトロヒン文書などといった極秘文書から、アメリカ政府中枢だけでなく、日本政府にもソ連スパイが入り込んでいたことが明らかになっいます。

そして、日米両国を煽って戦争に持ち込んだのは、ソ連であったことが判明していますが、第二次大戦中にソ連が諜報活動を行っていたのは、これだけではなく、諜報の力で世界をコントロールしようともしていました。

そこで今回は、日本ではあまり知られていない、第二次大戦の裏で繰り広げられていた、もう一つの戦いを書いていこうと思います。

“ケンブリッジ・ファイブ”の秘密工作

ロンドンの裕福な家庭で上流階級の教育を受け、名門ケンブリッジ大学を卒業した1人の青年。

彼の名前は「キム・フィルビー」

卒業後、イギリスの大手メディアであるタイムズ紙のジャーナリストとなって各地の戦場を経験。

ジャーナリストとして順風満帆に見える人生を送っていたフィルビーですが、彼は全く満足していませんでした。

というのも、彼には大きな夢がありました。

それは、MI6に入ること。

MI6とは、世界でもトップクラスの呼び声の高いイギリスの諜報機関。
しかし、それは狭き門でした。

なぜなら、MI6は諜報機関であるがゆえに、正式に求人を出しているわけではありません。

それでも、彼はその夢を諦めませんでした。

ジャーナリストという立場を活用し、MI6に脈のある人たちと接触し、それとなく志願をほのめかす。
そんな活動を数年間行い、声が掛かるのをじっと待ち続けました。

そのチャンスは、ある時突然やってきました。


彼の地道な活動が、当時のMI6副長官の耳に入り、
「この青年なら信頼できる」
と判断され、採用が決まったのです。

「念願のMI6に入れた…」

歓喜に満ちた彼の思いは、祖国イギリスに尽くすため…

のものではありませんでした…

実は、彼には裏の顔があったのです。
彼がMI6に入りたかった本当の理由は、ソ連に機密情報を流すため…

彼はイギリス人でありながら、既にソ連のスパイだったのです。
一体、どういうことなのか?

そのきっかけは、彼がケンブリッジ大学に通っていた頃のこと。

この時代は、ヨーロッパでヒトラー率いるナチスが台頭。

権力で労働者階級を押さえ込む独裁制の風潮がイギリスにもやってきていました。

そんな激しく揺れ動く世界情勢は、ケンブリッジ大学で学ぶ若きエリートたちを社会改革の運動に駆り立て、フィルビーもそのうちの1人でした。
フィルビーは仲間たちと連日連夜、議論に明け暮れ、1つの結論に至ります。

混迷に満ちた世界を救うことができるのは、平等を目指す共産主義の他にない!
彼らは共産主義に魅せられ、どんどん左傾化していきます…

この動きを察知していたのが、ソ連の諜報機関。

「共産主義の大義のために秘密工作をして働く気はないか?」
という決まり文句でエージェントがやってきて、ケンブリッジ大学の生徒たちをリクルート。

イギリス人エリートたちが見る見るうちに、ソ連スパイになっていきました。
実際、フィルビーをジャーナリストとして就職させること、そして、将来的にイギリスの諜報機関:MI6に入らせるように計画したのもソ連のエージェントでした。

その任務は、やがて権力や影響力を振るう地位に上るであろう若者たちが集まる最高学府で、過激な学生をスカウトすること。

そして、長期にわたって正体を隠し続け、怪しまれることなくイギリスの支配階層に紛れ込むことのできるスパイに育て上げること。
こうした計画が、やがて驚嘆すべき成果を収めることになります。

リクルートした優秀な学生たちは、目論見通りイギリスの支配階級に就職。

フィルビーのようにMI6に入る者もいれば、外務省や陸軍省、国営メディアBBCに入る者もおり、彼らは、イギリスの政治や外交界で着実に出世の階段を上がっていきました。

彼らが幹部への道を歩んで行けばいくほど、重要な機密情報へのアクセスあ容易になります。

そして、ついに戦後、ソ連を超大国へと導く重要な情報にまでたどり着きます…

それは超極秘計画…

「マンハッタン計画」について。

この計画は、ドイツや日本などの枢軸国の脅威が増す中、原子爆弾開発や製造のために、イギリスやアメリカ、カナダが科学者や技術者を総動員した国家プロジェクトです。

その開発状況、研究成果を彼らは盗み出すことに成功しソ連に流していたのです。

盗み出した研究成果によりソ連は、核開発のスピードを急激に上げていきます。

そして、1949年8月。
核実験を成功させ、アメリカに次ぐ核保有国となります。
この核開発は、ソ連の技術力の勝利というよりは、ソ連の諜報能力の勝利でした。

フィルビーを含め、これらの諜報活動を行ったケンブリッジ大学の卒業生スパイたちは、後々、「ケンブリッジ・ファイブ」と呼ばれ、今もなおロシアでは英雄、イギリスでは反逆者と位置付けられる有名スパイとなったのです…


第二次大戦時、西からはドイツ、南からは日本という脅威があり、朝身内で攻撃されれば国家存亡の危機にあったソ連…

この状況を打開すべく日米両国にスパイを忍び込ませ、日本からの攻撃を防いだだけでなく、イギリスにもスパイを送り、マンハッタン計画の研究成果を盗むことに成功。

それを基に戦後、迅速に核開発を行い、アメリカの核兵器独占状態を打破。
世界の軍事勢力図を一変させ、ソ連はアメリカに対抗する唯一の超大国にのし上がったのです。

これは、まさに諜報の賜物でした。

この教訓を活かして第二次大戦後、各国はCIA(アメリカ)、MI6(イギリス)、MSS(中国)などの対外諜報機関による活動を重視して行っているにもかかわらず、日本は大東亜戦争の敗戦により、GHQの占領を受けた際、軍事力を強化することを禁止されただけでなく、他国を刺激する一切の行動を許されず、諜報活動も禁止。

そのため、メディアにもこのような話は全く出てこず、国を動かす立場の官僚や政治家も全く無頓着なまま…

現代でもその状態が続いており、日本ではいまだ諜報機関は存在していません…

そして、挙げ句の果てには空港や港など、玄関口から次々とスパイが入国。
自由に活動ができてしまうため、「スパイ天国」と呼ばれる始末…

大東亜戦争に負けてからというもの、日本人は
「アメリカから民主主義を教わったので、これからは外国を刺激するようなことはしません」
という姿勢を貫いてきました。
戦前までの日本は、諜報の重要性を理解していたにもかかわらず、今ではその現実を全くと言っていいほど忘れてしましました。
その結果、日本が生きるためには平和思考しかないという枠に嵌められ、未だに信じ込まされ生きているのが現状です。

しかし、日本の歴史を振り返ると、

明治時代、ロシア軍113万に対し日本は20万という絶望的な戦力差があった日露戦争において、大国ロシアの横暴をアメリカに世論にアピール。
日露戦争で圧倒的劣勢の日本を勝利に導くため、アメリカを引き入れる交渉を成功させた金子堅太郎。

ロシア国内を情報で撹乱し弱体化、1人で20万人分の軍人の働きをしたと言われる明石元二郎。

日露戦争では華々しい海軍の活躍ばかりがクローズアップされますが、実は水面下で諜報を駆使し、知略を使って大国ロシアを打ち負かした…、そんな背景がありました。

戦前の日本は確かに諜報の視点を持っていたのです。

むしろ、ロシアはこの日露戦争での敗戦から学び、諜報活動を重視した結果、戦後に大国として、のし上がることができました。

なので、日本も明治時代に備えていた、この視点さえ取り戻すことができれば、世界に対抗できる強い国になっていくはずです。

私たちの知らないところで、世界では諜報による活動が繰り広げられています。

そんな工作に日本が振り回されないために、本来、日本人が持っていた視点を取り戻し、
今、世界でどのようなことが起きているのか?
日本人が強くなるために何が必要なのか?
そして今の課題は具体的にどこにあるのか?

一人ひとりが自立して考え、判断し、戦える強い日本人になってほしいと思いますし、子供や孫世代に強い自立した日本を残してあげたいものです。

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