2022.3.17 ウクライナ侵攻と極秘史料の真実
皆さんはご存知でしょうか?
2022年2月24日にロシアはウクライナへ侵攻しましたが、これは突発的な侵攻ではありません。
実は、この侵攻には、およそ数十年前から続く歴史的必然があったのです。
ロシアにとってウクライナは、ロシアを中心とした国とロシアの抑止を目的とするNATOに加盟する欧州の国に挟まれた位置にあることから、対立する両国の衝突を和らげる役割をしていました。
つまり、ウクライナがどこにも属していなかったことで、ロシアと欧州やアメリカは、戦争にならず生活することができていたのです。
しかし、この重大な役割を持つウクライナがNATOへの加盟を主張したことで、ロシアは安全保障が脅かされることになるのではないかと焦り、ウクライナへの侵攻が実行されました。
このような、ロシアの武力によって自国の脅威を取り払おうとする自己都合な戦いは、日本にとっても“対岸の火事”ではありません。
実は、ロシアは過去に日本とも同じような戦いをしていたのです。
ロシアとの戦いといえば、日露戦争を思い浮かべる人が多いかもしれませんが、その戦いとは、人類最大の戦争である第二次世界大戦のきっかけとも言われている『ノモンハン事件』です。
この戦いは、ロシアの兵士が、ロシア側の外モンゴルと日本側の満洲国の国境を越えた侵攻行為が原因で起こりました。
しかし、このような大きな戦いは教科書では伝えられていません。
伝えられたとしても、ノモンハン事件はソ連が情報を隠し続けていたので、「日本が大敗北した」
という通説以外に、あまり知られることはありませんでした。
しかし近年、ソ連が隠していたノモンハン事件に関する、とある史料が発見されたのです。
この史料は、これまで一度たりとも公開されたことのない極秘史料です。
これを読み解くと、これまでの通説は、ソ連が意図的にフィクションだった可能性が出てきました。
一体、それはどういことか?
今回は、皆さんにこの極秘史料を通して明らかになったノモンハン事件を、地上戦、空中戦、白兵戦の3つの視点から書き綴っていこうと思います。
極秘史料が示すこの3つの戦いを知ることで、
「日本はソ連に大敗北した」
「日本の陸軍は弱かった」
と言われてきた通説が覆されることになるでしょう……。
①【地上戦】日本戦車29台VSソ連戦車800台
1935年5月、ソ連とモンゴルの軍隊が満洲国に侵入してきました。
日本は当時、満洲国とお互いを守る約束をしていたので、この侵入を撃退するために戦うことになります。
しかし、当時の日本は中国と戦争中……。
ソ連軍は20万人以上もの大軍を投入してきたにもかかわらず、日本は2万人ほどの軍しか派遣することができませんでした。
こうして日本軍は10倍もの敵の大軍を相手に、悪戦苦闘を強いられることとなります。
日本にとって不利で、誰もが負けると思っていたこの戦いですが、極秘史料を読み解くと、思いもよらない展開へ進んでいたことが明らかになったのです。
なんと、日本の死傷者290名に対し、ソ連軍の死傷者は600名以上だったのです。
日本軍が10倍以上のソ連軍と戦うことができた秘密とは何だったのでしょうか?
その秘密とは歩兵にありました。
日本歩兵がソ連の戦車を相手に大きく猛威を奮ったのです。
一体どういうことでしょうか?
それは、動作の緩慢な敵戦車の死角を衝いて走りながら接近し、火炎瓶を投げつけ、太陽で灼熱したソ連戦車は、表面にガソリンが触れただけで炎上し、内部に引火して誘爆…。
このように、戦車を相手に果敢に戦いを挑んだ結果、ソ連の敵戦車800台の破壊に成功し、日本の戦車はたった29台が破壊されただけだったのです。
さらに、当時の日本の戦車は高性能でした。
それに比べ、ソ連の戦車は、走行射撃もできない低レベルで質の悪いものだったのです。
このような日本の戦車と歩兵のお蔭で、日本2万5000人VSソ連23万人という明らかな戦力差の中でも優勢に戦うことができました。
一般的に、ソ連の近代的な戦車に日本軍は太刀打ちできなかったと言われていますが、ここまで書いたように、明らかに日本よりもソ連が受けたダメージの方が大きかったのです。
このような逆襲を知っても、日本はボロ負けだったと言えるのでしょうか?
さらに、白兵戦でも、この展開は続きます。
②【白兵戦】日本兵4人VSソ連兵300人
「手から出るじわっとした汗が止まらなかった」
これは、ノモンハン事件の終息に近づいてきた8月末頃、日本軍兵士が戦闘記に残したリアルな戦闘体験です。
当時の状況は、ソ連軍の戦車が突然、侵入してきたという報告を受けて、少尉が慌てて駆けつけると、そこには警備に当たっていた多くの日本軍たちが、血を流して横たわっていました。
そして、悲しい気持ちに浸る間も無く、空から大量の手榴弾が飛んできたのです。
さらには、300人のソ連兵が、こちらを目掛けて攻撃してきました。
普通なら、このような不利な状況だと降参してもおかしくありません。
しかし、少尉は驚きの行動に出たのです。
なんと、諦める選択肢を取るどころか、ソ連兵の頭を拳銃で撃ちぬいたのです。
その少尉の行動を見て、周りにいた日本兵3人も一緒に戦うことを決心します。
そして、手榴弾の雨を掻い潜りながら、たちまち10人を刺殺し、刃物で切りまくり…、日本兵たち4人は必死に戦いました。
この異常とも言える戦いにソ連軍は圧倒され、手榴弾を投げながら逃走し出したのです。
敵は引いたにもかかわらず、日本兵たちは形相を変え、後を追いかけました。
ソ連兵たちは手榴弾を投げながら逃げていたので、引き返せば手榴弾が爆発している中に入り、戦線に戻ることができない状況でした。
そのため、日本兵4人は300人をどこまでも死に物狂いで追う形となり、国境である山の尾根まで追い、そこで引き返すことになりました。
そして、その近くの凹地にいたソ連兵12,3名が潜んでいるのを見つけ、彼らを始末したというのです。
このように、たった4人の日本兵が300人のソ連兵を白兵戦で退けたのです。
日本軍の銃剣と軍刀を駆使した白兵戦での戦法は高く評価され、後にソ連の軍隊で採用されるほどでした。
さらに、次の空中戦でも、日本軍の強さは明確でした。
③【空中戦】日本戦闘機179機VSソ連戦闘機1673機
地上戦での戦いの話をここまで書いてきましたが、空中戦はどうだったのでしょうか?
「1機でソ連3機を迎え撃つ態勢が、地上から見ていてはっきりとわかりました」
そう語るのは、元陸軍少佐の梶川大隊の長、梶川富治氏です。
さらに、
「日本の軽爆撃機3機とソ連の戦闘機3機が遭遇したことがありました。日本の軽爆撃機は1機だけ残り、他の2機を先行させました。(軽爆撃機:近距離に出動し、爆弾の積載量も少ない中型又は小型の爆撃機)
どうするつもりかと見ていると、ソ連機と遭遇する時に戦闘機が一回宙返りしてしまいました。
その途端、ソ連機2機が火を噴いていましたね。それを見て、残ったソ連機は逃走しました。
軽爆の宙返りを見たのも初めてなら、2機が一度に火を噴いたのを見たのも初めてでした。それほど日本空軍は強かったですよ」
と話しています。
つまり、日本戦闘機1機でソ連戦闘機3機を倒していたのです。
実際に、極秘史料が明らかにした日本戦闘機とソ連戦闘機の損失を比べてみると…、
・8月3日~20日、日本戦闘機12機、ソ連戦闘機158機
・8月21日、日本戦闘機8機、ソ連戦闘機69機
(中略)
・9月15日、日本戦闘機9機、ソ連戦闘機44機
この数字からも読み取れるように、日本戦闘機はソ連戦闘機よりも圧倒的に強かったのです。
一般的に、日本軍の被害はソ連軍の倍だったと言われていますが、日本軍は地上戦に加え、空中戦でも圧倒していたため、ソ連軍は手も足も出すことができませんでした。
皆さんはこの話を知ってどう思われたでしょうか?
ノモンハン事件というソ連との戦いを極秘史料を基に紐解いていくと、
・地上戦では、ソ連の戦車よりも日本の戦車の方が圧倒的に機能が良く、日本の戦車29台がソ連の戦車800台を破壊させたり、
・白兵戦では、日本陸軍4人でソ連軍300人を退けたり、
・空中戦では、日本の戦闘機179機がソ連の戦闘機1673機を破壊させたり…
と、このように、一般的に言われている
「日本はソ連に大敗北した」
「日本の陸軍は弱かった」
と言われてきたことが覆される様々な真実が浮き彫りになってきます。
さらに、当時ソ連軍の指揮したジューコフは、スターリン首相から日本軍をどう評価するか尋ねられ、日本軍に対してこのような事を言っています。
「彼らは戦闘に規律を持ち、“真剣に頑強”。特に防御戦に強いと思います。若い指揮官たちは極めてよく訓練され、狂信的な頑強さで戦います」
つまり、日本陸軍は、祖国ソ連で軍神扱いされている救国の英雄であるジューコフから称賛されていたのです。
そして、ジューコフがドイツ降伏後、ミシガン大学のハケット教授や新聞記者と会談した時に、
「貴方の軍人として長い生涯の中で、どの戦いが最も苦しかったか?」
という質問に対して、ジューコフは即座に、
「ノモンハン事件だ」
と答えたのです。
つまり、ジューコフは精神力を含めて日本軍の強さを認めていたのです。
しかし、ノモンハン事件における日本の功績は世に知られていません。
一体なぜか?
それは、冒頭にもあった極秘史料をソ連が意図的に隠していたからです。
日本軍の功績を葬る代わりに、日本軍が大敗北したという嘘を流布していたのです。
そして、このようなソ連の嘘に騙されてしまうほど、誰が見てもソ連に有利な圧倒的戦力差だったのです。
しかし、日本はこのような功績を残しているにもかかわらず、なぜ大敗したと伝え続けられるのでしょうか?
このデマを鵜呑みにして、ベストセラー作家の半藤一利は、ノモンハン事件で戦った日本軍に対して戦略の無い戦いだったと描いていたり、教科書やメディアでも、日本はノモンハン事件でソ連に大敗北したと教えられています。
そのため、多くの人は、ノモンハン事件のことを知っていたとしても、間違った内容を信じ込んでいるのです。
このまま、ソ連のデマに騙され続けても良いのでしょうか?
このままでは、私たちのお爺ちゃん、お婆ちゃん、今の日本を守ってくれた陸軍を悪者にしてしまいますし、父祖たちを冤罪に貶めたままでは本当の意味で日本を誇ることができません。
虚像と実像を見誤ると、歴史は後世に必ず復讐するものです。
つまり、『ノモンハン事件』は、日本の近代史批判の最も強力な武器になり得るのです。
真実を知らぬまま、
「軍は仲間の命を使い捨てにしていた」
「やはり過去の日本人は悪かった」
「戦争は愚かだった」
と間違った結論に達してしまう人が増えれば増えるほど、憲法9条の改憲からも遠のき、いつまで経っても日本は本当の意味で独立できず、アメリカの言いなりです…。
今回は、世界が震撼した本当の日本陸軍の姿を知ってほしい、そんな思いで書き綴りました。
今回も最後までお読み頂きまして、有り難うございました。
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