見出し画像

2022.8.27 中国へ知らしめた日本唯一の称号『天皇』

日本が『天皇』の称号使用をすることにより、中国と対等であることを国際的に宣布することは戦略的に重要でした。

当時、日本は朝鮮半島南部を服属させていました。

現在の韓国の大半部は日本の一部でした。

『広開土王碑』によると、日本は391年、百済を服属させ、新羅と百済は王子を日本に人質に差し出していました。

『日本書紀』の雄略紀や欽明紀では、日本がみ任那みまなをはじめ伽耶かやを統治していたことが記されています。

ここで言う伽耶は、朝鮮南部の広域地域を指す呼び名です。

『日本書紀』は、日本が朝鮮半島を支配した証拠や根拠となる史実を論証することを編纂の目的の一つとしていました。

中国の史書『宋書』の中の“夷蛮伝”では、倭の五王の朝鮮半島への進出について記述されています。

このように、領土拡張を続けていた日本は中国に対し、へり下る必要はなく、朝鮮半島をはじめとする東アジア諸地域に対し、日本の優位性を示すためにも、日本の君主は中国への臣従を意味する“王”の称号を捨て、自ら『天皇』を名乗ったのです。

中国皇帝も日本の国力を考えれば、日本の意向を無視できないはずだと、聖徳太子をはじめとする日本の首脳部は見抜いていました。

当時の日本が国際情勢を見据えた戦略の中で、『天皇』の称号を打ち出したことは時宜に応じたものであり、優れた大局観であったと言えます。

今日まで続く『天皇』の称号には、古代日本人の溢れる気概が息づいています。

7世紀後半の第40代天武天皇の時代には、『天皇』の称号が一般的に使われるようになり、孫の文武天皇の時代の702年に公布された大宝律令で、『天皇』の称号の使用が法的に定められます。

では、『天皇』という言葉そのものは、どのようなことに由来するのでしょうか。

中国の神話では、『天皇てんこう』・『地皇ちこう』・『人皇じんこう』の3人の伝説の皇が、世界を創造したとされます。

その中でも『天皇てんこう』は最高神です。

道教でも、『天皇てんこう』が崇められています。

元々、日本には『大王オオキミ』という俗権的称号の他に、『スメラミコト』という聖権的称号がありました。

最高祭司としての『スメラミコト』に匹敵する漢語表現、つまり当時の国際言語を探し求め、宗教的かつ神話的な意味を持つ『天皇』が相応しいと選定され、この称号によって、『大王オオキミ』が天の神の子孫であることを知らしめようとしました。

そして同時に、その子孫の血統を守ることも強く意識されて、天皇の地位は天皇家の家系にのみ、独占的に世襲されることの正統性も導き出したのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?