2022.8.30 『天皇』と呼ばない韓国の大きな勘違い
かつて、ソウルの西部には迎恩門と呼ばれる、中国の勅使を迎えるための門がありました。
朝鮮王は中国の勅使がやって来る時、自らこの門にまで出向き、三跪九叩頭の礼で迎えました。
三跪九叩頭の礼とは、臣下が皇帝に対して行う最敬礼です。
皇帝の内官である宦官が甲高い声で、
「跪!」
号令をかけると、朝鮮王は土下座し、
「一叩頭」
「再叩頭」
「三叩頭」
という号令の度に頭を地に打ち付け、
「起」
で立ち上がります。
そして、また
「跪!」
で土下座して同じ行動をします。
この土下座行為が計3回繰り返されます。
中国の朝鮮支配は長く続きましたが、1894年の日清戦争で、日本が清王朝と戦い勝利します。
翌年、下関条約により、清が朝鮮の独立を承認します。
1897年、独立した朝鮮は『大韓帝国』と国号を名乗りました。
ちなみに、“韓”は王を意味する雅語で、古代において弁韓、辰韓、馬韓の三韓時代にも使われていました。
晴れて朝鮮王は皇帝となり、『殿下』ではなく、『陛下』と呼ばれるようになりました。
当時、朝鮮の人々はこれを非常に喜び、中国への隷属の象徴であった迎恩門を取り壊し、屈辱を忘れない為に2本の迎恩門柱礎だけを残し、新しい門を同じ場所に建てました。
これが、ソウル西部の西大門広場に今も残る“独立門”です。
話が前後しますが、明治維新を遂げた日本の新政府は1868年、国交と通商を求める国書を朝鮮に送りました。
しかし朝鮮は、この国書の受け取りを拒否します。
国書の中に、“皇”や“勅”の文字が入っていたからです。
“皇”や“勅”を使うことができるのは中国皇帝のみであり、こうした国書は日本の中国皇帝に対する挑戦と見做され、容認できるものではないと朝鮮は考えたのです。
これは、華夷秩序という儒教に基づく考え方で、中華に周辺国が臣従することにより、中華の国際秩序である冊封体制を維持すべきとするものです。
朝鮮はこうした考え方を歴史的に有しており、天皇を“皇”の字のある『天皇』とは決して呼ばず、『倭王』と呼んでいました。
近代以降は『日王』と呼ぶようになります。
中国皇帝に服属する朝鮮王が、中国皇帝と対等な『天皇』を認めてしまうと、朝鮮は日本よりも下位に置かれてしまうことになるため、『天皇』を頑なに拒み続け、今日に至ります。
2019年2月7日、当時の文喜相韓国国会議長はブルームバーグのインタビューで、従軍慰安婦問題は、天皇が謝罪すべきと発言しました。
日本のメディアでは、文議長の発言を『天皇』と訳し変えて伝えていましたが、文議長は実際には『天皇』とは言っておらず、“王”と韓国語で言い表しています。
また、李明博元大統領は2012年、天皇陛下を指して『日王』と呼び、
「日王が韓国に来たければ、独立運動家に謝罪せよ」
と、発言したこともありました。
朝鮮は自らの王を『陛下』ではなく『殿下』と呼び、華夷秩序の従属に縛られてきました。
しかし、下関条約後、朝鮮は大韓帝国として独立し、朝鮮王は皇帝となります。
朝鮮は、華夷秩序から脱却するという歴史的悲願を達成したのです。
にもかかわらず、今の韓国が未だ華夷秩序の亡霊に縛られ、天皇陛下を『日王』と呼ぶことは、日本と中国と対等に肩を並べる地位を自ら否定しただけでなく、かつて民衆を苦しめた華夷秩序の闇へと後戻りし、自ら自国を貶めてしまっていることを、多くの韓国人に気付いてもらいたいものです。
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