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#7 ヨーロッパ研修記 〜デュポンへのラブレター〜

 2006年、もう20年近く昔のこと。
お茶の水にある大学の学生だった僕は、ブラッセルズというベルギービールのバーで働いていた。

 ブラッセルズは、日本におけるベルギービールの伝道師的な存在であり、かつその本店である1階のバーでは、ほぼすべてのお客様がデュポンの大瓶を飲む。それは100%と言っても過言ではなく、デュポン以外を飲んでいる人間をどこか馬鹿にしているような雰囲気すら漂っていた。

 セゾンデュポン、モアネットブロンド、ボンヴー(当時はデュポンスリーなんていう表現もしていた)。常連のお客様は、そのいずれかを専用のグラスでじっくり時間をかけて飲む。

 当時は、もちろんクラフトビールなんて言葉はなく、ギネスやバスペールエールを飲むのがやっとだった僕からすると、「デュポン」というその甘美な響きと華やかな味わいに、すっかり虜になり、特別な憧れのような存在になった。

 初めて出会ってから20年近い時間が経つが、僕にとっての原点は、「デュポン」。どれだけ時代が変わって、華やかなビールが現れても、このビールが自分にとっての一つの基準であり、唯一無二の存在であり、変わらぬ愛情なのだ。それは、まるで音楽のジャケットやアート作品のようなラベルのビールも増えるなか、少々、居心地悪そうに、冷蔵庫の端っこにセゾンデュポンがいたら、必ず手にとってしまう。

 僕にとってはそんな、特別なビールがデュポンなのです。

 だから、ブリュッセルから電車とバスを乗り継いで、Tourpesというこの小さな村に辿り着き、デュポンのロゴを見たときに、涙が止まらなかった。まるで子どもみたいに。まだ若く幼かったあの時から、僕にとってのビールが始まったし、デュポンに出会えたから、今、僕がここにいるのです。

 La Forgeという地元のバーに入ると、地元の人たちはみんな大瓶でデュポンを飲む。それは若かりしころブラッセルズ神田店で見たあの景色そのものだった。

 この場所はフランスとベルギーの国境沿いの小さな村で、英語は全く通じない。またカードも使えないような小さな小さな場所だ。そんな場所を訪れる日本人がもの珍しいのか、カウンターに座る常連の方が気さくに話しかけてくれ、次々とビールをご馳走してくれた。

 自分がどれほどデュポンが好きなのか、自分のiPhoneにあるありったけのデュポンのビールの写真を彼らに見せると、とっても嬉しそうに、誇らしそうな表情をしていた。そして、結局、大好きなセゾンデュポンも、モアネットブロンドも、ボンヴーも、どんどんご馳走していただいてしまい、すっかり酔ってしまった。それはまるで雲の上にいるような幸せな気持ちだった。

 ストーリーはまだ続く。

 その後にブルワリーを訪れる。受付で、入れることを確認すると醸造所の中を丁寧に案内してもらった。どれだけ丁寧か?それは基本的なブルワリーの作りや製造のプロセスはもちろんのこと、セゾンデュポンと、セゾンデュポンバイオロジークの特徴と製造のプロセスの違いまで。そういえば十分に伝わると思う。

 そして一通りブルワリーの見学を終えて、その後には静かで薄暗い場所でまたビールを飲ませてもらう。せっかくなら日本で飲めないビールをということでこんなビールたちを飲ませてもらった。

 この村にきて、デュポンについに出会えた喜びと、さらにTourpesの人たちの優しさもあって、すっかり気持ちよくなっていた。醸造所の案内も終わりに差し掛かり、どうやってブリュッセルまで帰ろうかと思っていると、そんな僕を見かねたのか、車で送ってくぜとブルワリーからしばらく離れた駅まで送って行ってくれた。

 正直なことを言えば、一人でヨーロッパに来て、慣れない生活が続き、弱気になりそうなことだって少なくない。それでも、一介の日本人に過ぎない自分に対して、こうして人の優しさと温かさに触れて、本当に本当に幸せな気持ちになった一日だった。

 僕は、初めてデュポンに出会った時のことも、鮮明に覚えているし、ヨーロッパに来てからずっと曇天が続いていたにも関わらず、まさか最後にこんな景色を見たら、死ぬまで覚えてるに決まってんだろ?

 デュポン、ありがとう。これからもずっと愛している。


salo Owner & Director
青山 弘幸
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