発達障害

発達障害やADHDに関しての情報が増えてきたし、当人の思っている事も簡単に知ることが出来るようになりました。
私の長男も発達障害に近い診断を受けた事があります。
私はうちの長男は言わば「何も成し遂げていない天才」だと思っています。
よく「普通なんて無いんだよ、みんなそれぞれ違うんだ」みたいな文を見ますけど、それはあくまで定型発達の人においての話で、発達障害ははっきり言って「普通」という枠に収まりません。これは紛れもない事実です。

長男は明らかに普通の子ではありませんでした。何をさせてもどこに行っても普通の子とは違っていて、どんな本を読んでも「この子に合った子育て方法」を説明してくれません。

幼少期

長男が幼い頃、嫁が家の近くを散歩していた時に
「ちょっと離れて見てみるか」
と、道端の何かに夢中になっている隙に隠れてみたところ、何かに夢中になったままずーーーーーっと歩き続けていたらしい。小山みたいなところだったけれど、一度も振り返らずに山を下りてしまった。

たぶん、「誰かが自分の事を世話してくれている」という感覚が無いのだと思う。というか「自他の区別があいまい」なのかもしれない。
これが結構困ったところで、デパートに買い物に行くと嫁の手を振り払ってどこかに行ってしまうのですが、自発的迷子なので見つけられないのです。普通の迷子は親とはぐれて泣いているから迷子だとわかるけれど、どこかの家族と一緒に遊んでいるので迷子として認識されづらい。

嫁はあきらめて、買い物が終わってから長男を探していたらしい。これを育児放棄のように言われてしまうと非常につらいのですが、ハナから逃げるつもりの子供をずっと繋ぎとめておくことは難しいです、というか無理です。

「子供から目を離すなんて、、、、」というのは普通の子供しか見たことのない人の言い分で、もしうちの長男を育てていたら絶対に同じようになっているか、ノイローゼで自殺してる。

生まれた時から思ってたのですが

「この子は魂の入れ物からして、まったくの別物なんだ」

という事。

HSP

ADHDだけではなく、HSP(感覚過敏)でもあるような気がします。特に、幼児の頃はとにかく寝ない。そして起きた瞬間に大泣き。辛かった、、、

次男は授乳中に寝てたり、目が覚めたのに寝転がったまま遊んでるような子だったので、こんなに違うものか?と驚いたくらい、長男は癇の強い子だった。まだまだ自分らが若いし、周りの友達も結婚していないような時だったから乗り越えられたけど、何もこんなにも育てづらい子を授けてくれなくてもよかったのにと神様を恨みました(笑)

何をもって障害とするか

しかし、こんな長男もようやく成人する年齢まで生きている事が出来て、なんとか仕事も頑張っています。ミスは多いみたいですが。

結局のところ何を障害とみなすかについては

「本人が困っているかどうか」

これに尽きるのだと思う。実はこういった傾向がある事でミスも多いので、自分で精神科に行って薬を処方してもらおうとのですが、医者からは、、、、

「でも、働けてるんでしょ?」

と言われたらしい。
どれだけミスしようが、しょせんは「働ける程度の障害」としてしか判断されないのです。本人は試してみたいと言っていたコンサータ等の安定剤は処方されるまでのハードルが結構あるみたいです。

腕に職

長男はとても変わった子で、独特な考え方を持っています。私はそれはある意味で「ギフト」のようなものかと思うのです。諸刃の剣みたいな、良い面も悪い面もあるけれど、それ自体が本人の核となるものではないかな、と。

中学校に上がると、日本ではとても均一で画一的な成績評価で値踏みされるようになります。長男はその中で「まあまあ悪い」と「かなり悪い」の中間くらいの成績でした。

簡単にいうと「バカな子」という分類です。

案外テストは出来るのですが、現在の神奈川県の学校教育では「関心、興味、態度」という意味のわからない、教師の匙加減でどうにでもなるようなところを評価されます。集中力の無いADHDではここを取る事は難しい。しかし、底辺高校に行ったらどうしても人生の選択肢が減ってしまう。かといって、普通高校に行ってもその中で評価されるのも難しい。

そんな時に教えたのは

「技術に人格は無いし、技術ツールは無力な人間でも同じように助けてくれるから、何かのツールを使う技術職を目指したらどうか」

という事でした。

「~~が出来る技術」という事実には本人の人格は関係無いです。客前に出せるだけの人間になれるかどうかはわからないけれど、仕事なんて数えきれないくらい種類があるし、これでいて世の中は寛容なところもあるので「~~が出来る人間」になれれば、働く事は出来る。その技術を使う場所であればどこでも働く事が出来るという事は、生きていく上での選択肢になるだろう。選択肢さえ自分の手の中にあれば、自分の人生をそれなりにコントロールできるようになれるはず。

結果的には工業高校を卒業して設計部に入りCADを使って仕事をするようになりました。この選択はとりあえず良かったような気がします。

人間力で評価されると辛い

ADHDの子は「総合的な人間力を〇×で評価」されるとマイナスポイントが多くなってしまって、普通の子よりも不利な立場で戦わなければなりません。

Fランク程度の大学は行けたのですが、そこに行ったとしても就職活動では普通の人と競う必要があります。だからこそ、もっと早い段階で一度就職して「どこにでも差し出せる能力」を得られる環境を勧めました。

長男が行ける程度の大学で「~~大学を出た」という肩書よりも、「~~が出来ます、実務経験があります」の方が、将来的には「この子を自由にさせてくれるだろう」という事です。

何も成し遂げていない天才

我が家の天才くんは、いまだに何も成し遂げてはいないけれど、本当に自立できる頃には、もっと自由になれる何かを見つけて進むのかもしれません。

私がADHDの子を20年育てた結果がこれです。誰の役にもたちそうもないけれど、参考くらいにはなるかもしれません。



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