「いちからはじめる」を読んで、私はそもそも問題があると分かった。

2度目の読了だけど、ちゃんと時間を作ってもう一回なるべく早く読みたいくらい。

最近のわたしの日々のテーマになりつつあって、もしや永遠に答えなんて出ないんじゃないかと思いはじめている、
「どうやったらなりたい自分になれるか」
「何が自分の幸せなのか」
「どうやったらやり甲斐のある仕事ができるか」
というようなこと。

そんなことばかり毎日考えているから、そうこうしているうちに人生なんてあっという間に終わっちゃうんじゃないかと思えてきて、さらに囚われてしまって辛くなる日々。
いつまでも地に足がつかない生き方をしているなあと、いつもいつも情けなくなる。

そんなのを考えること自体をやめたい!
やめてしまおう!

最近そう思ったばかりなのに、この本は考えすぎているわたしを肯定してくれたような気がする。

「人間はなぜ生きているのか、なぜ仕事をしているのか」と訊いたとき、答えられる人が少なすぎます。それはわからないのではなく、日々考えていないからではないでしょうか。

いちからはじめる / 松浦弥太郎

やっぱり考えよう。
答えが出なくたっていつまでも考えてやろう。

SNSやインターネットが当たり前になって、ずいぶんと便利な世の中だから、わたしたちはなんでもまずは答えを知ろうとしてしまうし、簡単に知ることができる。
でも、わたしはほんとうに、もうそれはやめたい。
先に答えを知ってその道を歩んでいけば、深く考えなくてもきっと失敗しない。
でもきっとそれは、本当にわたしが心からやりたいことなのか、本当に自分の心が感じていることなのか、本当に心が喜ぶことなのかは分からない。

答えを先に知って、その答え合わせをするような毎日じゃなく、わたしの心から湧き上がるものをきちんとひとつずつ拾い上げて、少しずつでも自分で考えながら道を作っていけたらいいなと思う。

「あそこにこう書いてあったから同じようにしてみよう」
「みんながそう言ってるから、そっちが正しい」
みたいなことをやめたい。

たとえば、一見ちゃんと仕事をしているのだけれど、実は頼まれたことを器用にこなしているだけの人。

こうした人たちはまるで、「自分でものを考える」という機能が退化してしまったかのように見えます。

いちからはじめる / 松浦弥太郎

はい、退化してしまったかのように見える人、わたしだ。

わたしは頼まれたことを器用にこなして、期日までに必ずやる能力には自信がある。
でも、やりたくもない仕事だから、そこには死んだ魚の目をしたわたしがいて、心を無にしてこなしているだけだ。

時々それを疑問に思いつつも、疑問を解消するのも面倒だし、そんな暇もないほど仕事が降ってくるから、ただひたすら器用にこなしてきた。
だからこの歳になってもまだ、自分の意見もなければ、好きなこともよく分からないんだ。

この本に書いてある悪い例えのほぼ全てにわたしは当てはまっていて、実は自分は思っている以上にそもそもの部分に問題があるのだなあと気がついた。
でも決して落ち込んでしまったわけではなくて、自分はぜんぜんダメだから、ちゃんと「いちからはじめよう」と思った。

ちゃんと「いちからはじめる」をやってみて、本当に自分が変われたらと妄想すると、今日からの日々にやる気がみなぎってくる。
いつまで経っっても理想の自分になれなかったとしても、本当にちゃんと自分の感性に従って生きていけば、それだけで人生は素晴らしいものになるんじゃないかと思えてくるし、運良くもしかしたら何かにたどり着くかもしれないと、少しだけ未来が楽しみになった。



この記事が参加している募集

わたしの本棚

今こんな気分

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?