見出し画像

どうせ老けるのならば。

「10年前だって。わたしたち若くて可愛い!」
とか
「5年前だよ。わたしたち老けたね。」

このようなメッセージと共に、数年前の自分たちが映る写真が友人から送られてくることがある。
定期的に iPhoneが、頼んでもいないのに昔の写真を表示してくるからだ。

確かに、若いし可愛い。
顔が全体的に今よりも引き上がっているし、表情もハツラツとしている気がする。
でも思い返してみると、その頃はその頃で「もっと可愛くなりたい」とか「老けたかも」とか思っていて、もっと昔の自分を取り戻したくて仕方がなかった記憶がある。
いつになっても、外面も内面も自分ではそんなに変わっていないと思っていたのに、いつの時も写真に写る姿だけは現実を突きつけてくる感じがする。

人生は何歳からでも変えられるという言葉が好きで、事あるごとに思い浮かべては勇気を出すけれど、確実に変えられないものもある。
過ぎ去った時間だけは変えられないのだ。
シミのないお肌、たるみのない目元、毎日仕事後に飲み歩き終電で帰るような体力、流行りを追いかける意欲、残された時間、、、
時間が過ぎ去ったことにより、もう変えられないものがいくつも思い浮かぶ。
人工的に変えられるものもあるけれど、わたしはあまりそういうことに興味がない。

でも果たして、時間が過ぎ去るということはマイナスでしかないのだろうか。

わたしはわりと、全てにおいて視野が狭い。
「エッセイを書いてお金がもらえるようになりたいのに、今年もどうにもなりそうにない」
とか
「胸を張って料理が得意だと言えるようになりたいのに、まだそんなふうには言えそうにない」
とか、半年から1年くらい先の、すぐそこの未来のことを考えてはアタフタしてばっかりだ。
でも、自分が自覚がなく少しずつ少しずつ老けてきたということは、半年や1年じゃ変化しなそうなことでも、少しずつ少しずつプラスに変化させていくことだって可能ということになる。

エッセイはこうしてnoteに書いているだけで、収入に繋がるような変化を起こせないでいる。
でも、書けば書くだけ記事は増えていくし、読んでくれる人も少しずつ増えていく。
コンテストにも応募したいし、noteとのすみ分けが思い付けばWordPressもやってみたい。

料理はコツコツと毎日の自炊を継続しよう。
平日はもう少し時間をかけずにチャチャっとできるように意識して。
時間がある土日は、凝った料理にも挑戦したい。

日頃大きな変化を実感できなくて、やってても意味ないじゃんと思ってしまうことがある。
でも5年後10年後に振り返って、少しずつ老けてきてるわと思うのと同じように、エッセイだって料理だって少しずつ変化を遂げるはずなのだ。
大切なのは、継続すること
なにごとも時間が過ぎ去るのと共に変化していくのだから、そのことを忘れずに、どうせならプラスの変化を遂げられるよう、工夫したり試行錯誤したりしてとにかく続ける。
大きな変化が感じられなくても、やり続ける。
大丈夫。少しずつを積み重ねて、そのうち必ず変化する。
10年後振り返ったら、思っていたよりも大きく変化しているなんてこともあるかもしれない。

小学生の頃から親に心配性と言われて来たわたしだけど、あまり心配しすぎず、あの時からずっとコツコツ続けて来てよかったな、と思えるようにエッセイと料理を続けようではないか。


この記事が参加している募集

スキしてみて

この経験に学べ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?