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本が読めるようになった

最近、本が読めるようになった。
これがとてもうれしいのだ。

いや、もちろん物心ついた頃からずっと読んでたんだけど。
大学生になったころからもう10年近く、「私、本読めてないな」とずっと苦しんでいた。
それが最近、霧が晴れたように読めるようになったのだ。

高校生までの私はそこそこの文学少女だった。
まだ小学生にもなってない頃から、母と手をつないで、また父が運転する車に乗って、町の図書館へ通っていたことを思い出す。クラスで話題になる本はだいたい読んでたし、高校生の頃は本屋大賞にノミネートされた本は読破していた。流行りの小説1冊くらいなら、2日もあれば読めていた。
現代文は得点源の科目だった。なんならセンター試験は間違える気がしなかった。私は自分の「国語力」を誇りにしていた。。

そんな私が「本が読めない」と気づくのは大学に入学してすぐのことだった。
1回生の前期のこと。文系学部の私は、日本近代文学やら社会学やらの一般教養科目をあれこれ受講した。それぞれで課題となる本がある。
さて、ぺろっと読んでささっとレポートを書くぞ、と本をめくる。
だが全然読めない。
頭に入ってこない、文字が上滑りする、情報を整理できない。
・・・なんかおかしい。

大学の同級生と話していると、どうも高校生の頃から、彼らは夏目漱石やら谷崎潤一郎やらカミュやらライ麦畑でつかまえてやらを読んでいるらしい。
え?夏目漱石なんて高2の教科書で出てきた「こころ」しか知らないよ、しかも全部読んでないし。村上春樹訳のサリンジャーいいよって?村上春樹すらろくに読んだことないんだけど・・・サリンジャーってどなた?
慌てて図書館で古典とよばれる小説を借りるも、どれもこれもぜんっぜん面白くない。ヤマもなければオチもない。みんなこんなののどこが好きなのー!?

私は焦った。自分は読書が好きだと、得意だと思ってきたけど、実は全然違うんじゃないか。私は何を読んできたんだろう。みんながおすすめするものがこんなに面白くないだなんて、私だけ頭が悪いんじゃないだろうか。こんなに読めないだなんて、読解力が全然足りてないんじゃないだろうか。

(今思えば、級友たちは多かれ少なかれ背伸びをしていたのだろうが、当時の私は本気で「私だけ読めてない」と思っていたのだ。)

あっというまに本を読むのが怖くなった。レポートのために最低限は読むが、それ以上続かなかった。高校生の頃まで大好きだった小説にも手を伸ばさなくなった。楽しく読める小説など、読んでも意味がないと思ってしまっていた。
難しい本を読まなきゃ、でも読めない、読まなきゃ・・・そんな無限ループにはまっていた。
文系大学生は、本を読むのが仕事だ。なのに、読めない。
私はすっかり劣等感でいっぱいになっていた。
大学生としての時間を鬱々と過ごした。

大学を卒業し、就職してからもそうだ。
仕事に関係する本はちびちびと読むが、頭に入っているかはよく分からない。
たまに小説は読むけど、味のしないガムを噛んでいるようだ。
資格試験の勉強を試みるも、集中力が全然続かない。頭の中がぐちゃぐちゃしている。今日も進まなかった。段ボールいっぱいの教材は、目に入らないようにクローゼットに押しこんだ。

なんか、仕事中もぼーっとしてるかも。
そんなのの繰り返しで、私はとうとう心療内科に通い始め薬を飲むようになった。
本はますます読めなくなった。

で、いろいろあって、今年の年明け、2年間にわたって服薬したお薬を卒業した。そのちょっと前に資格試験の勉強も辞めた(諦めたともいう)。
お薬を辞めても幸いにして体調に影響はなかったが、無理をしないように読書は避けていた。

そこに、このコロナ禍である。
家事とお昼寝で休日を終えるのも悪くはないけど、それでも時間を持て余し、本を読むくらいしかやることがなくなった。
時間はたっぷりあるし、もう勉強もしなくていい。
好きな本を読もーっと。積読になっていた本に手を伸ばした。

読めるのだ。
何時間も続けては読めないけれど、5分で投げ出すこともない。書いてあることも理解できるから、胸が苦しくもならない。
うれしい、うれしい。
こんなにうれしいことはない。また本が読めるようになった。
10年かけてまた本と仲良くなれた。
気づいたら、1か月で新書6冊、小説1冊、エッセイ1冊の計8冊も読めていた。1か月にこんなに読めたのって何年ぶりだろう。というか、新書を読むのが辛くなかったのは初めてかもしれない。

難しい本を読まなければならない、古典くらい知っておかなきゃいけない、ためになる本じゃないと読む意味がない、そんな強迫観念から解放された私は、のびのびと読書を楽しめるようになった。

大げさかもしれないが、18歳の頃の私にとって、読書というのは私を支える柱のようなものであり、自信であった。それがかくもあっさりと崩れてしまい、まっすぐ立つことができなくなった。もしかしたら学生の頃から病院に通うべきだったのかもしれないけど、当時の私はとにかく自分の頭が悪いのだと思っていた。

崩れてしまった柱を、何年もかけてもう一度立て直すことができたのかもしれない。
まっすぐ立てなくなってちょうど10年後の今、かつてのように読書が好きだと思えるようになった。
これからどんな本でも読める。
まるで羽を与えられたかのように、浮き足立っている私である。

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