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"君の名前で僕を呼んで"の繊細な性愛描写

以前から話題になっていた"君の名前で僕を呼んで"をやっと観ました。
基本的にはド派手なアクション映画が好きなので、ラブロマンス系の映画になると急に腰が重くなってしまう。

でも今回は、この映画で一躍有名になったと言っても過言ではない主演のティモシー•シャラメくんの美しさと、"コードネーム・アンクル"からの推しアーミー•ハマーが出るとのことで。

結果的に言うと、総合的にとても良い映画でした。
でも、こんな題名をつけた手前ここで終わらせるわけにもいかない。
大まかなストーリーと繊細で美しい性愛描写を紹介したい。
以下、ネタバレ含むのでご注意。

北イタリアの美しい避暑地で、考古学の教授である父と美しく優しい母と一緒に夏休みを過ごしていた17歳のエリオ(ティモシー•シャラメ)は、父の助手としてアメリカからやって来た大学院生のオリヴァー(アーミー•ハマー)と出会う。
最初はオリヴァーのことを嫌っていたエリオだが、次第に彼の自信と知性溢れる人柄に惹かれてく。
いつも自信がなさげなエリオと自信家なオリヴァー、正反対な2人は激しく愛し合いながらひと夏を共に過ごすが、オリヴァーがアメリカに帰らなければならない日が刻一刻と迫る…。

大まかなストーリーはこんな感じ。
よくある感じというか不変的というか…。
私もそう思いながら観始めたら、たしかにストーリーはいたって普通なんだけど、ティモシー•シャラメの演技力がすごすぎて良くも悪くも普通でよくあるストーリーを見事に芸術に昇華させている。

というのも、17歳の少年を演じるティモシー•シャラメは撮影当時21、22歳あたりなのだが、体つきが少年のそれ。
色白で華奢、脚なんかもめちゃくちゃ細い。
舞台が夏の北イタリアというのもあり、作中での服装は常に半袖短パンか全裸なのでティモシーの線の細さがよくわかる。

彼の思春期を思わせる少年のような体つきは、筋肉質で高身長(196cm!)なアーミー・ハマー演じるアメリカの青年オリヴァーとの体格比を際立たせている。

2人が激しく愛し合うシーンは、大変ドえっち。
もうそれ以上言うことがないくらいドえっち。
でも、そんな言葉で終わらせていいような作品じゃない。
エリオの思春期ならではの、自分が何者なのかわからず揺れ動く繊細な思春期の心理を上手く描いている。

作中でエリオは、同年代くらいの女の子マルツィアとも肉体関係を持っている。
思春期なら誰でも興味を持つであろうスタンダードな愛、というものをエリオは経験していた。
マルツィアとは何度か行為を重ね、エリオもマルツィアとの行為に対して非常に満足そうな態度を見せていたが、それでも尚エリオはオリヴァーへの想いを募らせている。

エリオにとってマルツィアは女性的な魅力を持っていたのかもしれないが、刺激的ではなかったようだ。

17歳思春期真っ只中のエリオは、オリヴァーに対する気持ちに思い悩む。
これは私にも経験があるのだが、思春期は恋愛の対象が憧れなのか本当にそれが自分のセクシュアリティなのかわからなくなる。

オリヴァーは、背が高くハンサムで知性と自信に満ち溢れた青年。
エリオが自分とは正反対な歳上の彼に憧れを抱いてもおかしくない。
つまり、憧れから来る好意なのか自分のセクシュアリティから来る好意なのか、どちらともとれない曖昧さを見事に描き切っているのがこの映画の素晴らしいところだ。

また、これはティモシーとアーミーの演技力の高さからくるものだが、2人が情事を始める前の気恥ずかしさや背徳感が漂うなんとも言えない空気感。
情事が始まる前の恋人がするように、足を絡めたり戯れて触れ合ったりと仕草から目線、照れた笑い方まで本当にリアルな演技が目を引く。
つい演技だということを忘れるくらいに自然な性愛描写だった。

軸が定まらない思春期の中でオリヴァーに体を許すエリオは、彼のことを本当に愛していたのか、それとも憧れを好意と錯覚してしたのか。

私も思春期に一度だけ、同性を好きになったことがある。
今思えばあれは憧れだったのだとわかるが、当時の私は自分のセクシュアリティに問題があるのかもしれないと悩んだ。(スタンダードでなければならないという昔の私の考え方なので、どんなセクシュアリティでも問題はない。)

ある日、同性愛者についての話題が母と出た。
母は「男性同士で付き合っていたって今はおかしくなんてないのよね」と言った。
私はそれとなく、自分の娘が同性愛者だったらどうする?と聞いてみた。
母は「うーーん、それはちょっと考え直してって言うと思う」と返した。

私はその後男性と交際し、自分の恋愛対象や性的対象は男性であるとちゃんと理解できた。
決して、母から否定されたからというわけではなく私が自分で選んでこのセクシュアリティを受け入れた。
それが何よりも大事なことだ。


エリオには、彼のセクシュアリティを否定せずに見守ってくれる両親がいる。
彼らはエリオとオリヴァーが友情以上の絆で結ばれていることを知っていたが、何も言わずにエリオが辛い時は寄り添った。

"君の名前で僕を呼んで"はよくBL映画と称されるが、BLだ何だかんだの前に人間同士のもっと広い範囲の愛を描いた作品ではないだろうか。
ただの"BL映画"で終わらせるには、とてもじゃないが勿体無い作品と言える。
気になった方はぜひ観てみてほしい。


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