#35 習慣(習性)を変えるには
ナマステー。
ヴェーダの学び、ヨーガの実践によって起こる変化は、価値構造(価値基準)の変化です。
大切なものが大切に思えること。
そんな心の成長のための道具として、自分の義務や役割に丁寧に取り組むことがヨーガの実践です。
大切なものを大切と見えなくしてしまうものは、個人の無知と妄想(主観的な見方)です。
私たちはあるがまま無色透明の世界に、ジーヴァ・スルシュティ(個人の創造)と呼ばれる、個人的な見方による様々な価値の上乗せをして世界を見ています。
それは個人的な上乗せ(フィルター)なので、それをしている本人にしか見えないものです。
暗闇でロープを蛇と見間違える時、蛇と、蛇に対する恐怖はその人の中にだけ存在するように。
そしてその上乗せの見方、上乗せされた価値は、私たちの日々の選択にも大きな影響力を持ちます。
何かを選ぶということは、それが少なくとも自分にとってより良いこと、より好ましい状況をもたらすことと思うからその行動を選びます。
たとえ主観であっても、自分の価値基準(価値構造)において、より矛盾のない行動を私たちは選択します。
意志の力によって、一時的に価値基準通りでない行いを選択することもできますが、優先順位に反する行いを長続きさせることは難しいことです。
旧い習性は、それが好ましくないものと考えでは理解されていても、考えには変化を嫌う性質もあり、習性(クセ)の選択は根強いです。
長年の繰り返しによって強化された習慣的な行い(選択)が変わるには、価値構造そのものが変わる必要があります。
例えば、それまで夜更かしが習慣になっていた人が、朝ヨガの気持ちよさを体験したことで、朝ヨガを成功させるために夜更かしをしなくなるように。
「夜更かしの楽しさ」の価値が、「朝ヨガの気持ちよさ」の価値を上回ったままでは、いくら意志で努力しても習慣を変えることは難しいです。
では、夜更かしの習慣が朝ヨガの習慣にシフトする時、何が起こっているのか。
それは、「理解」です。
うまく言葉で説明できなくても、体験あるいは知識から、何か朝ヨガが自分にとって大切なことに思えたなら、行動は自ずから変化します。
より自分にとって大切に思えていることを選ぶことは自然なことで、我慢でも、努力でもありません。
(新しい価値構造が定着するまでは、我慢や努力が必要な期間もあります。)
日々の選択においてダルマを選べるようになることもこれと同じです。
アヒムサー(傷つけないこと)など、ダルマのセンス(善悪のセンス)は生まれながら知っていても、その「価値(ダルマ)の価値」が知られていない時、ダルマに反した行いの方に価値があるように思えてしまいます。
その結果、「黙っていればわからないことだから」「みんなしていることだから」などと自分に言い訳をしつつ、多少のアダルマには目をつぶります。
すべきことをしていない、すべきでないことをしている時の居心地の悪さ、自分が自分にガッカリしてしまう、自己信頼を失うことがどれほどの損失かを理解したなら、ダルマを選ぶことに選択の余地はなくなります。
大人に100円と1,000円を見せてどちらか選ぶように言えば、普通は迷わず1,000円を選ぶように。
思いやりを実践するためにも、その価値の理解が大切ですが、はじめは「フリ」であっても思いやりの実践、手を差し伸べる行為が価値の理解を助けてくれます。
Fake it till you make it.
(できるまでできるふりをしなさい)
与える手を引っ込めずに差し伸べることができた、意地悪な言葉ではなく優しい言葉を選ぶことができた。
そんな時に自分自身に感じる誇らしさを大切にしてみてください。
その誇らしさ、自己尊厳が、次も思いやりを現わす、ダルマを選ぶ助けになってくれます。
そのことが人間の成功の意味と言われます。
その自己尊厳=成功感覚とダルマな行いは相互に支え合いながら、外側の状況に依存しない安心、満足へと繋がります。
自分が自分であることに居心地がよいこと
自分が自分自身に寛げること
私たちが本当に欲しいのは、そのような自分自身であることなのだとヴェーダは教えます。
習慣的な見方、考えのクセは、変えられない過去に形作られた変えられないもの。
価値構造は、理解によって変えられるもの(変わりうるもの)。
価値の理解、価値構造の変化によって、内面的、外面的に起こるべき変化が起こります。
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