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エッセイ:ダメ。ゼッタイ。


反戦デモのニュースが流れる。戦争反対、絶対反対とプラカードを掲げ、無辜の虐殺に、民族浄化に、人権侵害に、反対する声を上げる人たち。声を上げるのが目的でないのなら、駄目なものは駄目だと反対するには、「主語」がいる。


おまいう
「おまえが言うな」の意味で用いられる場合のある語。電子掲示板「2ャンネル」などを中心に、インターネットスラングとして使用されている。

https://www.weblio.jp/content/おまいう



何故には切りが無い

何故人を殺してはならないのか、何故ものを盗んではならないのか、何故騙してはならないのか、と子どもに問われて、大人が、まわりの信用をなくすからと答える。
模範的な解答としては及第点でしょう。
子どもがもし、何故まわりの信用をなくすからなのかと猶も問うてきたら、信用をなくすと生きていけない、と教えておけば充分ですが、それでもまだ納得がいかない子どもに猶も何故と問われれば、引っぱたきたくなるのが道理というものであります。
何故には切りが無い。

切りの無さと折り合いをつけるのが分別というものですが、子どもにはそれがわからない。世のしきたりだからと教えても、なんで? なんで世のしきたりだからなの? とまだしつこいようでしたら、引っぱたいてから、駄目なものは駄目なのだと有無をいわさず𠮟りつけ、大人の威厳を示してやりましょう。

殺してはならない、盗んではならない、嘘をついてはならない、これらはみな禁止という命令ですが、命令だから駄目なのであり、駄目だから駄目なのだということに尽きます。ですので、ガタガタ言わずに黙って従え下さいでいいのです、子どもには。


命令だから「絶対」

字引によると、命令とは「上位の者から下位の者に対して申しつけること」とありますので、上下関係があるとき、すなわち強者と弱者という力関係があるとき、命令は初めて力を持つ。言い換えると、命令は力に裏付けされている。が、従わない者は必ずいるものです。
神と人との関係は、字義通りに取れば絶対ですが、人は完全ではないので絶対は建前となり、実相は相対的であると言わざるを得ません。法治国家における法とその国に暮らす人々との関係もそうですし、大人と子どもとの関係においても同様です。
絶対的な主従関係などあり得ない。凡そ人のかかわる関係性は相対的であり、ゆえに命令を守ることを強いるにも、破った場合罰を与えるにも力が必要となる。
幼い子どもに対してなら、大人が命令し、破ったなら罰すれば事足りますが、そうではない場合、問題となるのは命令者の資格、命令者と非命令者との力関係です。

おまいう

命令とは力に裏付けされたものでありますので、私に力がなければ、あなたに向かって殺すなとも、盗むなとも騙すなとも命じるわけにはいかず、できるのはせいぜい殺さないで欲しい、盗まないで、騙さないで欲しいという「祈り」でしょう。
もし目的語が「私」や「私たち」「彼ら」であれば、「嘆願」や「懇願」となりますが、本稿冒頭の反戦デモに話を戻しますと、戦争や民族浄化、人権侵害に反対する声に、現実を動かす力の裏付けがない場合、その声は抗議という名の祈りであり、懇願であります。
そう考えると、虐げられている他者の側に立ち、祈り、懇願する人の姿は空しく映る。空しく映るのは、同じく共感する一人として己が無力を痛感するからですが、皮肉ではありません。連帯もまた力です。
連帯し、為政者に対して声を上げ、道理を説くということ。このとき重要なのは「私たち」という主語ではないでしょうか。


ダメ。ゼッタイ。

戦争反対、絶対反対、、、、という主張が無意味なのは力を絶対的に否定するという錯誤ゆえであります。戦争という力に抗えるのは戦争と同等の力(場合によっては武力行使)だという現実をみない姿勢は、不誠実といっていいでしょう。あるいは独善、傲慢、蒙昧といってもいい。いかなる武力行使もあってはならないという命令が有効なのは、相手との間に、相応の力関係があってこそです。
百年以上前のことですが、日露戦争開戦前、大国であったロシアの皇帝が、日本とロシアとの間に戦争は起こらないと言ったという。
なぜなら、朕が欲しないから、、、、、、、、と。
結果はご承知のとおりですが、戦争を欲しないのは何も皇帝だけはありません。皆様に置かれましても、同様かと。
しかし無くなることはないでしょう。

あらゆる存在は力を持っていて、虐げもすれば、抗いもする。何故と問うことに意味はない。なぜならこれが現実だからです。
力の均衡が望ましいのですが、それはあくまでも、私たちにとっての力の均衡であるということ。世界中の力の均衡などあり得ません。
絶対はないのですから。
相対的な世界において、他者との関係性のうちに誰もがあり、宇宙から眺めるのでもない限り、見える景色はそれぞれに異なり、それぞれの力関係もまた然り、異なるのであります。ゆえに主語が重要なのだと申し上げたい。私たちは今、力の均衡が崩れた世界にある。

以上、匿名なのをいいことに書き連ねて参りましたが、異論反論あって然るべきです。もしかしたら気分を害された方もいらっしゃるかも知れません(申し訳ございません)。
ただ、この世界に絶対はないということを再度申し上げ、終わりに致します。読んで下さり、ありがとうございました。
戦争には反対です。しかし絶対に反対することは、誰にもできません。
絶対などとは誰にも。



あんた、誰にいうてんねん