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【超短編小説】 合格最低点

「おれ、友達少なくてさ」と呑気に言えるほど、友達はいない。あれは、友達がいるやつの劣等感を武器にするためだけの言葉だ。こんな風に、りくは斜に構えて、世間を斜めから見る。

おれは、京都に生まれた。そして、京都で育った。父親の職業は内科医で、5年生のころに開業した。母は、おれを医者にするための日々を過ごした。たとえば、勉強のスケジュール作成や、宿題のチェック、テストの分析、各塾の評判集めのためのママ友の会への出席などで、それなりに多忙だった。

一方、おれは、おれは。
勉強が心底嫌いだった。いや、違う。大好きな母からの”プレッシャー”に応えることがつらかった。模擬テストの日は決まって、カントリーマアムが青のウルトラマンの巾着袋に入れられており、加えて”がんばって”と書かれた手紙が入ってあった。母は一度たりとも、「いい点数取るんだよ」や「偏差値60を目指そうね」など言わなかった。成績に関して明確な数値を求めなかったし、偏差値が下がったとしても”お疲れ様”としか言わない。

だから、模擬テストが嫌いだった。

”カンニング”を始めたのは、ちょうどそのころからかもしれない。
やめようと何度も思った。でも、できなかった。母を喜ばせたいわけではなくて、できる限り気を遣わせたくなかった。優しくない母を見たかった。それだけだった。

二年前の大学入試では、(母の)念願の医学部に合格最低点で合格した。ほっとけれども、何とも言えない苦い不快感があった。そう、「カンニング」だ。国語の大問3の(2)。ぼくは「イ」だと思った。左隣の人は「ア」、右隣の人も「ア」。だから、「ア」と書いた。

ぼくは、合格最低点で合格した。

ちなみに、母はおれの受験番号を見つけたときに、
「よく頑張ったね、ありがとう、ありがとう」 と、
おれの胸の中で人目を憚らず泣きじゃくった。

その瞬間が忘れられない。
たぶん、嬉しかった。


最後まで読んで下さり、ありがとうございます。皆様の貴重な人生の時間を頂戴しました。 これからも、暖かい記事を書けるように頑張ります!