「所有」の強化と現実コミュニティの崩壊による漫画ゲームの違法ダウンロード

漫画やゲームの違法ダウンロード。それを倫理的な原因に求め海賊版のサイトの撲滅が対処療法としての解決策みたいになっているがそれはどうなのか?

僕が中学生の頃、漫画に困って違法ダウンロードすることは今ほどではなかった。
『エルフェンリート』だとか『喰霊』とか違法ダウンロードしてしまったり未成年ながらエロ漫画をネットの掲示板でうpしてたのを拾ったりするという良くないことももちろんしていたが。
だがそれはそれとして、お小遣いも漫画やゲームに使っていて、ヤングジャンプも買っていたし、違法ダウンロードは所詮延長線に過ぎなかったのだ。
それはどういう延長線か?

学校のクラスでは週刊少年ジャンプの話は普通にするしドラマ『ライアーゲーム』が流行ればその漫画の貸し借りをするしクラスのコミュニティで漫画は成り立っていた。
しかしそこにインターネットが侵入してきた。
クラスというコミュニティでは子どもたちの融通でお小遣いの量で漫画は足りるし共有することで何倍も楽しめるのだが、インターネットという無限の世界によって興味を持ち話し合う漫画・アニメも無限に増えていく。

それなりの量は買うのだが、やはり間に合わない。カードショップにあるカイジを読むとか、それなりに工夫するのだが所詮は旭川。


そう、今の漫画・アニメを語るコミュニティがインターネットであることによって漫画もインターネットと同じ空間にうつらざるをえない。
そこでジャンプ+とかは0時公開とかで現代に合わせてるわけだが微妙な結果に終わってるかもしれない。

そうなので僕は漫画・アニメを語る場所をあえて現実に戻したのだ。インターネットでは漫画の情報は調べない。そうすると読む漫画も適正な量になったのだ(しかしエロ漫画の情報を得る場所がなく当たりハズレも多いため違法購読に陥っていて悩んでるわけだが)。


そもそも実物のジャンプやらマガジンやらを休日に友達とまわしよみしてコーヒー飲みながら感想を語り、Abemaで解禁されたアニメの感想をLINEで投げ合うそういう小学生みたいな空間は僕が好きなのに、みんな大人になりたがる。

別にニンテンドースイッチなんてなくたって友達んちに図々しく行ってスマブラする口実になるのに、持ってないとかわいそうみたいな風潮がある。

豊かさゆえに資本主義の「所有」という概念にしばられるようになった。そこで起きる格差問題を情報技術によってなんとかするのが昨今のやり方かもしれないが、そうすればそうするほど社会は空洞化していくのではないか?

そして社会の空洞化は技術に頼ったり大人として責任を持たずぐーたらしてコミュニティ作らない人間にあるわけだが、なぜか法律を作ったり金の動きを変える程度しか能力がない政治家のせいにされる。


ということで、今の自分は自宅を週刊少年ジャンプを10年分見れたり(現在3年分まで貯まってる)最新のサンデーとマガジンが見れたり、そこに安くて良い美術品を置いたり、あえて現実空間にこだわっている。科学技術が発展して本質さえあれば手触りなどどうでもいいという意見もあるが、僕はゲームのUIはすごく大事だと思ってるので、大人でも楽しめる小学生たちの部屋というモノを作る。貧困に悩んでるなら人々がモノをシェアしやすい部屋づくり・コミュニティのルールを考えるべきだ。資本主義に抗うのは分かりやすい革命なんかじゃない。

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