Alone In Kyoto
中学の修学旅行の行き先は京都だった。
連日雨が降っていたように思う。
白いブラウスにグレーのプリーツスカートという制服姿でぞろぞろと同級生たちと寺院をまわった。
それは楽しい思い出というよりも、団体行動に疲れて暗くなっていた気持ちの方をよくおぼえている。
起きてから寝るまでどこにも一人の時間がなくて、ずっと周りと足並み揃えて行動していて気が張っていたから。
早くひとりになって、どこか静かなところでゆっくりしたいと思っていた。
じっさいに京都を訪れたのはその一度きりだけど、帰ってから見る夢の中で、京都はなんども現れた。
ゆめのなかで京都はいつも雨だった。
ひじょうにこまかい雨が、粉のように降り続いている。
傘を差していてもあまり意味がないような、どうしたって肌が濡れてしまうような雨だ。
揃いの制服を着た子は近くにいないけれど、私はここで修学旅行のやり直しをしているんだと思う。
同級生から離れてひとりになって、自分の行きたいところに行くことにしたんだと思う。
通りを歩いていたら緑の木が植わった少し奥まったところに白い布がかけてあるのが目に入った。
足をとめると白い布はのれんで、葉っぱの間で息しているみたいにかすかに揺れている。
引き込まれるようにそうっとのれんをくぐってみると、その先には透明なガラスに囲まれた小さな部屋があった。
なかに人はいないし明かりもついていない。でも目を凝らせば木でできたカウンターと椅子が数脚、それからキッチンにきれいなカップやカテラリーがいくつも並んでいるのがわかる。背の高い本棚に本がぎっしり詰まっているのも。
なんとなく好みの雰囲気の部屋で思わず見とれながら裏までまわると、そこにはちいさな庭のような空間があった。
草木が生い茂っていて、一番奥には小さな祠がひっそりと雨に濡れながら佇んでいる。
私は何だか身体の力が抜けてしまいその場にしゃがみこんだ。ずっと歩いていたから疲れていたのかもしれない。すこし眠たいような気もして目を閉じると細かい雨粒のシャワーの音がよく聴こえる。とても静かなところですっかり安心した気持ちになり、しばらくここで身体を休ませることにした。
そうしてゆっくりしていると
「今日はお休みなんです、この店」
という声がした。
驚いて、おそるおそる振り返ると、知らない制服を着た女の子が一人、のれんのこちら側に立っていた。
地元の子だろうか。
女の子が履いているスカートのすこし変わった形のプリーツに目をやりながら、私は返事をした。
「そうみたいですね。歩いていたら気になって、入ってきてしまったんです。ここは何のお店でしょうか?」
「カフェですよ。このごろは土曜日しかやっていないみたいですが、とても良いお店です。わたしもよくお茶しに来ます」
「そうですか、それは残念です。入ってみたかったな」
カフェと聞いたとたん、私は熱い紅茶が飲みたくなっていた。雨で身体が冷えていたから、飲んだらすごくおいしかったと思う。
そんなことを考えていたら
「もしかして、ここでねこを見ていましたか?」
と、女の子に聞かれた。
「いいえ、ねこは来ませんでした。私はただお庭を見ていただけです」
「そうですか。たまに通るんですよ、ねこが。すごくかわいい。あそこに祠があるでしょう。あのあたりに抜け道があるみたいで」
「へえ、ここからだと全然わからないな」
祠のほうに目を向けてみたけれど草がサワサワ揺れているのみで、抜け穴らしきものはとくに見つけられなかった。
「きっと人にはわからない道があるんだと思います。ねこにしか通れない小さな道が」
と女の子は言った。
話しを聞きながら私は、今目の前にはいないけれど、この庭を通って行くねこのことを想像していた。
ねこにしか通れない道。その先はどこに繋がっているんだろう。何が見えるんだろう。
すると女の子は私の顔をじいっと見て、神妙な面持ちで口を開いた。
「あなたは修学旅行生ですよね。グループから離れてひとりで動くのも楽しいけれど、気をつけて。本当にはぐれて、帰れなくなってしまう子もいるから」
「帰れなくなる?誘拐とかでしょうか?」
それは怖いな、と思いながら尋ねると
「そういうこともあるでしょうね。でもわたしが言っているのは、本人の意志で帰るのをやめてしまう子のことです。たまにいるんです。家に帰りたくなくて、ねこになってしまう子が」
と女の子は言った。
「修学旅行生が、ねこに?」
「ええ。どうしても帰りたくない子は、ねこになってこの町に残るんです。神様と、そういう契約を交わすそうです。そうすると見た目は普通のねこと変わらないので、もうわからない。誰も気が付きません。たとえ家族でもわからないのです。わたしの叔母がそうでした」
叔母は修学旅行で京都に行ったきり、帰ってきませんでした。
叔母の母親は悲しみのあまり心を病んで寝込んでしまいました。
もう何年も昔のできごとですが、わたしは今も彼女がこの町のどこかにいるような気がするんです。
人知れず、ねことして生き続けているような気がするんです。
ぼんやり庭を眺めながら、淡々とした口調で女の子はそう続けた。
小さな庭のあるカフェを出て女の子と別れた後も、私は聞いた話が頭から離れなかった。
ひとりでいつまでもいつまでも雨に煙る町を歩いていた。
――私もいつかねこになってしまったらどうしよう。
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