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ケーキを食べるあなたを隣で愛したかったんだって『ちょっと思い出しただけ』

「2人の夢として考えさせてよ」

葉ちゃんの言葉は、私が別れ話で口走った言葉と、ほとんど一緒で、嫌になるくらい気持ちが分かってしまったんだ。


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3年以上側にいて、別れてしまった恋人の話をしたら、薦めてもらったのがこの映画だ。「いつか『ちょっと思い出しただけ』って思えたらいいな」となったからって。

そもそも私は映画を見ても、専ら洋画かアニメ映画の人だ。

邦画はかろうじてミステリー・サスペンス系を観るのみで。特に邦画の恋愛映画が苦手なのだ。

ドラマでもそうだけれど、純愛系は好きの表現が何というか、演技じみている感じがするのだ。これは私がひねくれているからかもしれないけれど、好きも愛してるも薄く感じてしまう。

逆に生々しすぎても嫌なのだ。フィクションにリアルさを求めたくない。SEXしようと何しようといいんだけれど、生々しすぎる感情を描かれると、気持ち悪くて途中で観るのを止めてしまう。

アニメならそういうデフォルメ表現だと思えるし、生々しい感情にいっそ感動すら覚えるのに、

外国人の見た目の特徴が違う人たちの情熱的な恋愛模様もいけるのに、

自分と少し特徴の似た日本人が演じたとたんにムリになる。


それでも観てみてほしいと言われたから、色んな感情を吞み込んで観ることにした。


好きだけど結婚できない。と言われた人にこそ、観てほしい作品だ。


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好きなケーキを口にして、ダンスへの想いを振り切って

2020年の照生は、偶然再開したダンサーの後輩いずみの誘いで飲み屋に向かい、誕生日ということでケーキをごちそうになる。

バターナイフのような小さなヘラに少量のクリームをのせ、舐めるように食べる照生にいずみが「変わった食べ方しますね」と思わず口にする。

ダンサーは脂肪も糖も摂りすぎてはいけないから、我慢していたときの癖。でも、もうそのときの照生はダンサーではない道を歩もうとしていて。

もうそんな食べ方しなくてもいいのに、ダンサーとして敬愛の情を持ってくるいずみの手前からか、大口を開けて食べることができない。

マスターの「好きなケーキを我慢するくらい、ダンスが好きだったのね」という言葉が差し込まれて、気づいてしまう。

ケーキを我慢しなくていいことが、一番辛いんだと。


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遡って2019年、葉との別れのシーン、そして、照生の足のケガ。ダンサーとしてはもう再起できないときに、励まそうと持ってきた水族館モチーフのケーキ。

特注の愛と、2人の思い出がつまったケーキは、決して2人で食べられることはない。準備されたフォークの片方で、

自分のダンサーとしての人生がクローズすることを半ばやけくそに受け入れる照生の手つきはどこかぎこちない。

大きくすくって、震える手で一口運ぶ。


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ダンサーじゃない自分も好きだという葉を受け入れられない照生が、わたしの、別れた恋人と重なった。

仕事が第一で、何よりも仕事で。

仕事をしてない彼も好きだと言ったわたしに、彼は「俺の何を知ってるの?」と言い放った。


こんな気持ちだったんだろうか。ダンサー以外の照生を知らず、それすらなくそうとしている照生に精一杯の言葉をかけた葉を、わたしは責められない。

痛いほどわかるんだ。辛いときこそ好きだから側にいたいことも、自分の大事なところをなくしてしまった人をそれでも好きだと言いたい気持ちも。


そして、言葉選びを間違えてしまったことも。



同じ方向を向いているフリをしながら食べる1ピースのショートケーキ

2018年、まだ2人がお互いを好きで仕方なかったころ、2人の間には苺のショートケーキがある。


浮かれて休館日のバイト先に葉を招待しおそいかける照生と、上司にダメと言われたのに無断でタクシーを借りて走らせている葉。

あとのことなんて考えてない、ただ浮かれただけの2人だ。バレたら大目玉だなんて、考えもしていない盲目なバカップルがそこにいた。


帰ってから映画を観る。映画のワンシーンを真似しながら、とっておきの苺とクリームは照生にあげて、それ以外を葉が食べる。


照生が夢を追いかけるために捨てた部分を、葉が補うかのように。



綻びは確かにあった。

子どもが欲しいを聞いていながら、はぐらかす照生。

「プロポーズしよっかな」で、その場を軽くおさめて、ソファに2人で沈み込む。


葉は照生にダンサーになるなとは思っていない。けれど、ダンサーとして成功することを真摯に願ってもない。

葉が好きな照生という人間の夢が叶うことを喜び、隣でその幸せを享受しながら、自分の幸せを叶えたい。


結婚して、子どもを産む。そんな幸せを夢見てる。


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夢がある人ばかりじゃない。私も夢がある人じゃない。好きな人に囲まれて、嫌いじゃない仕事をするくらいがちょうどいい。


けれど、世の中には何よりも自分の仕事や夢が大事な人がいて。彼らには、何を投げ打っても叶えたいものがある。

ふと年齢を重ねたとき、それを諦めて、隣にいる人の願いを少し叶えることがあるだけだ。

葉が合コン後一夜をともにした彼は、ダンサーのような夢を追いかけているわけでもないし、運命の女性と結婚したい、そんな誰かと合致したらいい夢だ。


照生のように、私も別れた恋人と夢があわなかった。彼の夢はどこまでも彼固有のものであって、私は隣でその幸せを願うことは、赦されていなかったんだろうな。

幸せな思い出もよぎるなかで、別れ際の噛み合わなさで何度も泣いて、この3年なんだったんだろうって、何度も何度も思っていて。

好きなのに、スキが伝わらない。要らないと言われてしまう悲しさを経験して。


何度も一緒に手を繋いで歩いた街を、今もまだ一人で歩きたくない。それでもふとした時に視界に入るものには思い出ばかりが染みついて、話す言葉のクセや動画のチョイスも少し似通って。

私の隣に彼がいた3年間を、「ちょっと思い出しただけ」で、誰にも伝えずかぎつきの箱にそっと仕舞える日が来たらいいなと願って、クリープハイプの『ナイトオンザプラネット』を聞きながら、終わりにしようと思う。





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